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幕末の武家諸法度の影響力

学校で幕末の事について調べています。 幕末は若い武士が倒幕運動を起こしましたよね。 その時って武家諸法度の影響力は低かったんですか? 学校で発表するので、出来れば資料等もあるとうれしいです。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

専門家ではないので参考意見です。 武家諸法度が作られたのは3代家光の時代ですよね。 徳川の初代3代は大変権力も権威もありました。 しかし、戦乱のない世の中で武家の威光は変化していきました。 それから400年近く経った幕末、 15代慶喜の頃まで影響力が持続したとは思えません。 それと、ひとつ付け加えるなら 幕末に倒幕運動を起こした主な人々は 浪人と呼ばれる、非武士階級が多く含まれています。 彼らにとっては、(勿論武士になりたいという憧れがあったので 法度を順守した人もいると思いますが) 武家諸法度も何もないのではないでしょうか? そういう意味では、影響力が薄いと言えるはずです。 倒幕派の中にも、 幕府に対立したい人、天皇を擁立したい人、 開国に反対の人、開国に賛成の人と、様々な人がおり 思想が微妙に違います。 そのあたりを斟酌しないと 武家諸法度の影響力も一概に言えないと思いますよ。

earaida
質問者

お礼

とても見やすい文章ありがとうございます。 わかり易く、参考にしやすいです。 ありがとうございます。

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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

まずは、Wikipdediaをごらんください。 法律が法律として成立するには、ざっくりと、守らせる実行力と、守る側の法への信頼が必要です。 守らせる実行力という事では、最終的には幕府の武力が圧倒的である必要があります。幕末の段階で「黒船にグーの音も、ないんでないの?」という疑惑が出てきていました。第一次長州征伐は実行されましたが、第二次長州征伐では、薩摩が「おいら、参加しねよ」と言って参加しなかったわけですが、それを幕府は罰せられなかった事で目に見える形になってしまいました。 信頼という話で行くと、ずっと「将軍様が一番、偉いよね!」と、思っていたのに対して、幕末段階で「天皇の方が、もともと もっと偉いんじゃないの」という考えが拡がり、将軍と天皇で違うことを言ったら、天皇の方を取るよ!と感じられた段階で、法は守られなくなります。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E8%AB%B8%E6%B3%95%E5%BA%A6
earaida
質問者

お礼

なるほどです。 参考にさせてしますね。 ありがとうございました。

  • yakyutuku
  • ベストアンサー率14% (267/1890)
回答No.2

武家諸法度は幕府が諸大名を統制するためのものです。武士個人を縛るためのものではありませんし、脱藩者、浪人と呼ばれた藩に管理されない人には、まったく関係ありません。また、長州藩などは藩の管理がいきとどかなくて、藩士が公然と倒幕活動を行っていたので戦争となっています。薩摩藩は幕末の最後の時期になって、反旗を翻したので、これは若い武士云々と言うより藩としてのクーデター活動です。

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