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幕末にあったある切腹の事件。概略しかわからず、教えてください。
借リて読んだ本の中にあった切腹の事件です。確か幕末、佐幕派の人たちだったと思います。倒幕派か明治政府に捕まり(?)、どこかの寺で切腹することになりました。その中にはとても幼い少年も含まれていて、彼は元服前で切腹の作法も知らず、確か一緒に切腹する兄が弟に作法と心構えを教えるのです。その折、弟は気丈にも兄の言う事を守り、ひるむことなく「兄上、こうでござるか?」と堂々と教えられた作法に従い切腹したそうです。この事件についてもしご存知であれば、事件の名前や場所、またこの兄弟たちの名前、そしてこれが載っている本があればお教えいただければ、幸いです。よろしくお願いいたします。
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幕末ではないのですが似た様な話が新渡戸稲造著 武士道の中に・・・ 左近と内記という24歳と17歳の兄弟が父の仇を討つべく家康を襲うが捕らえられてしまい一族男子全て切腹を命ぜられる 末の弟8歳の八麿も共に処刑場の寺に引き立てられた時 立ち会った医者の日記に 『左近が八麿に「切損じなきよう見届けてやるのでお前からやれ」と言うと弟は「未だ切腹を見た事が無いので兄達の作法を見てそれに続きたい」と述べた為両脇に座る兄たちが作法を教えながら腹を切るとそれを交互に見た八麿は静かに両兄から教えられた範に従って従容として死に就いた』と 記されていると有ります 違うとは思うのですが ちょっち似ている話なのでお耳に入れようかと・・・(^_^;)
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- sumiyoshigawa
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ちょっとわかりません。幕末は勤皇、佐幕のけっこう藩内抗争がありましたから。尾張、加賀、長州、久留米・・・敗れた方はは斬罪か切腹ですから。 そこで似た話ですが。 丹羽家の二本松藩の「松藩廃家録」には下記記述あります。 二本松藩士の12、3歳の子供同士があそんでいたところ、せみのぬけがらをとりあいしてめぐってけんかになり、一方がそれをとって自分の屋敷へ逃げ込んだ。そして従者(武家には必ず下働きする奉公人がいた)が門を締めてしまった。恥辱を受けたとして門の前で切腹したそうです。門を締めた方はそれがもとでお家断絶になった。武家の子供は親から作法として切腹のやり方は教わるものだと。 一方でNHKの20年以上前の大河ドラマ峠の群像では討ち入り浪士で最年少(17か18)の江頭右衛門七が切腹の前にやはり作法を他の浪士に尋ねたところ、「心配いらぬ、前に置かれた短刀を取って腹を切るまねをすればよい」と答えています。つまり、実際には腹は切らずとも介錯人が首を刎ねてくれるというものです。切腹場所を提供する方とすれば腹を切られると出血は激しいし、内臓がでて後片付けも大変だし、腹を切る痛さでもがいて介錯がうまくいかず変なところを切っても余計ひどくなるので、江戸時代も時を下るとこのような簡略化した「切腹」になります。 さらに前に置かれた短刀を取るとき、ちょっと前かがみになるので、そこがいちばん介錯しやすいそうです。(本当の打ち首のときも介添え人が罪人を前かがみにさせる)だから正確には短刀をとろうと前かがみになればいいわけです。ひどいときは短刀すらなく扇子が一本おいてあるだけということもありました。
お礼
色々お教えいただきありがとうございました。切腹に関してよく知らなかったので大変参考になりました。厚く御礼申し上げます。
お礼
師走のお忙しい中さっそくありがとうございました。 新渡戸稲造の「武士道」を読みたいと思います。 「従容として死におもむいた」と言う表現は私が読んだ本でもあったように記憶しています。ただ、幕末だったようですが。きっと昔の武士の方々は、時代が少しちがっていても、また、たとえ幼くとも、いまどきの人たちとはちがって、しっかりした精神構造だったのですね。 本当にありがとうございました。