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幕末期の件で質問です。小説の嘘話は結構です。
幕末期の件で質問です。小説の嘘話は結構です。 (1)後藤象二郎が容堂の名で大政奉還の建白をしたと良く出てきます。 元来会沢正志斎の20年前の説で、慶喜も容堂も遥か前に支持しています。 建白書が残っているのでしょうか? (2)倒幕の勅旨、密勅と言う表現も良く出てきます。征夷大将軍や開幕許可は朝廷が出す物だから、表現がおかしいのでは?朝廷が自分を討てと言ってる事になるのでは? 長州は藩主親子の冠位剥奪の上、征長令が出された筈です。 いずれも話面白くするだけの表現なのでしょうか?
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建白書は、 国立国会図書館に写しが残っているようで、 上奏した原本は残っていないようです(個人死蔵している可能性は否めませんが)。 >征夷大将軍や開幕許可は朝廷が出す物だから、 征夷大将軍は朝廷が任命するものですが、 幕府を作るのに朝廷の許可は不要です。 というか、源頼朝・足利尊氏の時代には幕府と言う概念はなく、 武士政権を幕府と言い始めたのは江戸時代からです。 源頼朝が「鎌倉に幕府を開こう」と宣言した様に書かれることが多いですが、 これこそ小説の嘘です。 源頼朝は関東地方の完全な掌握と いちいち朝廷にお伺いを立てなくても動くことができる、 大将軍職がほしかっただけのようで、 征夷大将軍としたのは 朝廷側の消去法によるそうです(山槐記) 足利尊氏は「建武式目」を示しましたが、 この答申の中に幕府と言う文字はありません。 鎌倉を柳営(将軍の軍営地)とすべきかと記載されています。 そして、建武式目は足利政権の方針を定めたもので、 このときすでに足利氏(武士)による政治体制が樹立したことになり、 後世では便宜上、室町幕府が始まったと言っているだけ。 また、これを示したのは、征夷大将軍に任命される前なので、 源頼朝もですが、 すでにある程度の力のある状態のものが、 征夷大将軍に任命されています。 徳川家康は、前例に倣って任命されただけです。
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- eroero4649
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多少知識があるのは2番のほうだけなので。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%8E%E5%B9%95%E3%81%AE%E5%AF%86%E5%8B%85 Wikipediaにもありますが、本来「詔勅」というのは正式な手続きを踏んで発行されるものです。先だっては今上天皇から退位に関する「お言葉」が自らなされましたが、あれもあくまで「お言葉」であって「詔勅」ではありません。ああいうのは何より手続きが重視されるのでありますね。 ところが世間がいうところの「倒幕の密勅」なるものはこの正式な手続きを一切踏んでいません。正式な手続きを踏んでいないものですから、本来は「詔勅」としては不備があるので認められない、となってもおかしくありません。正式な手続きを踏んでいないので「密勅」という体裁にしているのです。 Wikipediaにもありますが、岩倉具視あたりが出した偽命だとすれば全ての辻褄は合ってくるようですね。戦いは結局岩倉具視の勝ちでしたから「勝てば官軍」となったわけです。 法的な表現がおかしくなるのは、政治の世界ではよくあることです。つい最近も、防衛大臣が「自衛隊として、防衛大臣として政党への投票をお願いしたい」と発言しました。自衛隊(も含めた公務員全員)は政治(政党)とは切り離されていてどこかの特定政党を公務員組織が応援するということは日本国憲法上あり得ません。しかもその発言をしたのが司法試験に合格したはずの弁護士資格を持っている人の口から出てきたのですから表現がおかしいどころの騒ぎではありません。「法の番人たるべき弁護士が憲法を無視した発言を大臣という公けの立場にありながらした」とも「弁護士なのに日本国憲法の基礎理念を理解していない」ともいえるのです。でも実際にそういうことが起きるのが政治です。 そんな人がそんなことを口にしてもクビにもならなきゃ辞任にもならないんだから、政治というのはそういうものなのでありますよ。
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ありがとうございます。 多分慶喜討伐のことを面白くするために倒幕としたようですね。 朝廷が倒幕するのはおかしく、冠位剥奪して慶喜討伐でないと辻褄合わないですね。 参考資料には慶喜討伐と有ります。
お礼
ありがとうございます。 全くの嘘思い込んでいました。 Wikiで見れば、文久3年・翌年に大政の再確認とあり、それまでは慣例(勝手に)ですね。 形式的な手続きとはいえややこしいです。