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「打てば響く」の使い方
お忙しい所、お世話になります。 慣用句の「打てば響く」 すぐに反応する。直ちに反響が現れる、の意味ですが、使い方について納得できないので、教えて頂きたく立ち上げました。 知人が先生に対して、 「打てば響くような教え方をして欲しいんだよね。」 意味はわかるのですが、打てば響くは目下に使いませんか? 〔例〕「わたしの部下は打てば響くように理解する。」 確か鼓の音がよく響くことから、何かを言われたら即反応することを指していると思うのです。 先生など目上の方に対して使うのは、妙に納得できません。 また、先生が丁寧に訪ねたら即教えてくれる様を表すような慣用句をご存知でしたら教えて頂けないでしょうか? どうぞ宜しくお願いします。
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生徒側のわからないところを的確に見抜いてそこを教えるという意味なら、「かゆいところに手が届く」はどうでしょうか。 この言葉を教えてもらうとき先生に対して使うと、教えられる側の身勝手な言い分になりますが。 単純に「わかりやすく」でいいように思います。 その先生側に問題があるとすれば、おそらく、「すでにわかっている人にしかわからないような教え方」をしているのではないでしょうか? 「わからん者にそんな説明されてもわからん。」と知人の方は言いたいのかも知れません。
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- norosi
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この使い方はおかしいでしょう。 「打っても響かない」方が悪い、つまり、失礼ですがあなたの知人の能力の問題かと・・・・ ANo.3 さんの、「かゆいところに手が届く」でしょうね。
お礼
ありがとうございます。 本当に響かない方に問題アリ、なのです。 「かゆいところに手が届くような教え方をして欲しい。」 もし自分が先生の立場で、これを言われたらがっかりしてしまいます。 やはり打てば響く生徒でありたいと感じます。 ありがとうございました。
こんにちは。 日本語の表現でいつも苦労している者です。 「打てば響く」というのは、おっしゃるとおり、「打つ」側は師匠、先生であり、「響く」のは弟子や生徒という前提で使う表現だと思います。 昔、先生から「打てば響くんだからがんばれ」とか何とかと励ましてもらった記憶があります(笑) 懇切丁寧に先生が教える、といった慣用句ですが、「箸でくくめる」とか「噛んで含める」とかは使いませんか? これは幼児に口の中にまで食べ物を運んであげる、といった意味から、「手取り足取り説明したり、教える」といったイメージがあるように感じます。 ただ、「先生が即何でも教えてくれる」といった表現とはちょっと違いますね。お役に立たなかったらごめんなさい。
お礼
ありがとうございます。 常々、仕事などする際に打てば響くような部下でありたいと感じていたので、先生に対して使うのに妙な気持ち悪さを感じてしまいました。 <先生から「打てば響くんだからがんばれ」とか何とかと励ましてもらった 先生が鼓をキリリと持って打つように、言葉も生徒に響いて伝わるのが本来の姿と思います。 良い先生ですね。 <「箸でくくめる」とか「噛んで含める」とか 使ってます(苦笑)思い出せない自分が恥ずかしいです。 子供が小さい時、理解させるために色んな言い方をして説明してるのを誰かに伝える時、使ってました。 教えてくれる側に感謝こそすれ、それ以上を期待するのは不躾な態度なのかもしれません。 いえいえ、回答を寄せて下さって感謝しております。 ありがとうございます。
- Quattro99
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> 訪ねたら即教えてくれる様 知人の方はそういう意味で言っているのではないのでは? 「打てば響くように理解できる教え方をして欲しい(打つのは先生で響くのは自分)」という意味で、要するに「パッとわかるように教えて欲しい」ということではないでしょうか。 ただ、「打てば響く」というのは響く側の能力のことを言っている言葉であって、打ち方のことを言っているのではないと思いますので、「打てば響くような教え方」という使い方はおかしいと思います。
お礼
早速ご回答くださって、ありがとうございます。 <「パッとわかるように教えて欲しい」 そうです、本人ももっと解りやすいように教えて欲しかったようです。 <ただ、「打てば響く」というのは響く側の能力のことを言っている言葉であって 本当にわたしが心の奥底で感じたことを、そのまま言葉にしてくださっているような一文で驚きました。 そうなんです、傍から見ていても、先生のせいにするのでなく自分がいかに調べて勉強に励むかにかかっている気はするのですが、本人は先生の足らなさと感じているのですよね。 <「打てば響くような教え方」 言葉として間違っているので余計に違和感を覚えるのでしょうね。 学ぶ側の「一を聞いて十を知る」などの慣用句はすぐ浮かぶのですが、親切に教えてくれる様を表す慣用句は、なかなか浮かびません。 先生が優しく親切には期待するほうが間違っているのでしょうか。 ありがとうございました。
お礼
ありがとうございます。 「かゆいところに手が届く」 確かに、心が行き届いていて、嬉しくなるような慣用句です。 できればこんな行き届いたホテルにでも泊まりたくなります。 <先生に対して使うと、教えられる側の身勝手な言い分になります ご指摘の通りと思います。 いくら授業料を払っていても、先生に対して求めすぎるのかもしれません。 <「すでにわかっている人にしかわからないような教え方」 興味のある事に関しては、調べれば調べるほど面白くてしょうがないので、先生が思いもかけない切り口で説明してくれるのは個人的には楽しいのですが、知人はそこを説明されてもね、と物足りない様子です。 結局の所、学ぶ側の気持ち次第なのですよね。 ありがとうございました。