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無神論者だったとされるサルトルの言葉
最近ふときになったことがあるのですが、無神論者だったとされる有名なフランスの哲学者サルトルが晩年、「神は存在する」というような発言をした、という話があったりなかったりするのですが実際のところはどうなんでしょうか? ここらへんの事情に詳しい方おられましたら回答よろしくお願いします。
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no,1です。 解釈については、分かりません。 ボーボワールなどの証言によると、 サルトルは晩年は若い取り巻きに囲まれてだめになったとか、 誰だか忘れてしまいましたが、最後はボケてた、という話も耳にしたことがあります。 ただ、no2の文言は非常にキリスト教的な匂いがする、ということはあります。 かといって、晩年、サルトルは自らの哲学体系を否定し、神を信じた、というのもどうかと思いますし、 ボケた、というのも……75歳って微妙なお年頃ですし。 晩年は神秘思想に少し入りかけた、という感じかもしれません。 『存在と虚無』の「人間は神になることを本質的に欲望する」という話もどこか神秘思想の雰囲気が漂っているともととれるので、そうした傾向が晩年助長された、というのはあるのかもしれませんが、個人的な推測です。 ひどいまとめ方ですが、カントにせよ、ニーチェにせよ、ハイデガーにせよ、天才的哲学者は、晩年は頭を使いすぎたせいか、神秘思想めいたわけが分からぬことを言い出す、という一般的傾向があって、サルトルもそうだった、という気もします。 (書いてみて思いましたが、これはあんまりですね) 参考までに。
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- mptpons
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No,1 です。 すみません。晩年というところを読み落としていました。 晩年 Le Nouvel Observateurに 「私は自分のことを、世界に現れた一粒のほこりではなく、待たれ、もたらされ、予示された存在だと感じている、ある創造者から来たとしか思えないような存在だと。この私を作ったであろう救いの手という概念が、私を神へと返すのだ」 と手紙で言っていたことは知られているようですが、死の間際でもあり年も75歳くらいだったらしいです。
お礼
>死の間際でもあり年も75歳くらいだったらしいです。 これはどのように解釈すればいいのでしょうか?www 死の間際の戸惑いが生んだ、というだけでサルトルの主義とは違うということでしょうか?
- mptpons
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サルトルは『実存主義はヒューマニズムである』のなかで、 「実存主義は神が存在しないということを精魂を尽くして証明しようとする、という意味での無神論ではない」 と言っています。 サルトルにとって、神がいるか、いないか、というのは問題では最も重要な問題ではなかったようです。 本質(その究極は神)よりも実存が先行する、だから人間は自分で責任を取って政治参加しなければならない、なんだかんだと神のせいにしてはならない、神が定めた運命だなんだ、と言わず、自分で責任とりなさい、と。 「人間は自由の刑に処せられている」という名台詞もこの意味で言われているようです。 また『存在と虚無』では、 「神様がいない、というのは困ったことである、なぜなら神と一緒に知的宇宙の中で様々な価値を見つける可能性も失ってしまうからだ」 と言っています(引用はうる覚え)。 サルトルは、それ以前様々な価値を保持していた神様から、それらの価値奪って人間に与えたのでは。 「人間は神になることを欲望する」とサルトルは言いますが、これはそういうことではないでしょうか。
お礼
なるほど。つまりサルトルは神の存在の是非というよりも、神がいようがいまいがどちらでもいい、仮にいたとしても勝手に存在してくれればよくて私の主義には関係ない、というふうな見解を持っていたということでしょうか。 神の存在を信じないのではなく神の価値を認めない的な!? 詳しいご回答、誠にありがとうございました。
お礼
度重なる細かいご回答、本当にありがとうございます。 う~ん、要するに死を前にした人間の迷い、と取ればいいのでしょうか。 >頭を使いすぎたせいか、神秘思想めいたわけが分からぬことを言い出す、という一般的傾向があって 笑ってしまいました。 なにはともあれ、ありがとうございました!!www