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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:カラマーゾフの兄弟の「信仰と無神論」についてです)
カラマーゾフの兄弟の信仰と無神論について
このQ&Aのポイント
- カラマーゾフの兄弟では、「信仰と無神論」が話の根幹をなしていますが、この部分を、日本人の大半は、本質的に理解(味わう)できないのではないか?と考えるのですが、皆さまのご意見をお聞かせください。
- 神様の存在を確信しなくても、明確な信仰を持たなくても、高い水準の道徳観を維持できる日本人にとって、ドストエフスキーの投げかける「信仰と無神論のはざまで起きるせめぎ合い」は、理解できないと思うのです。
- 宗教の力を借りなくても、倫理感を保つことができる日本人に、イワンの苦悩は理解できない。と考えます。
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カラマーゾフの兄弟では、「信仰と無神論」が話の根幹をなしていますが、 この部分を、日本人の大半は、本質的に理解(味わう)できないのではないか? ↑ ワタシもそう思います。 言葉では理解出来ます。 でも、感情で判らなければ、本当に判った ことにはなりません。 その意味で、キリスト教徒でない日本人には 限界があります。 これは哲学でも指摘されていることで、所詮 日本人には西洋哲学は判らないと思います。 その証拠に、哲学で悩んで発狂した日本人哲学者が いたでしょうか。 自殺した人は。 尚、日本にはキリストのような神はいませんが、 その代わりに、世間、があります。 世間が神様の代わりをしているのが、日本だと 考えています。
お礼
回答ありがとうございます。 >感情で判らなければ、本当に判った ことにはなりません おっしゃる通りです。 >哲学で悩んで発狂した日本人哲学者が いたでしょうか。 自殺した人は 文学者のなかには、何人か発狂した人はいますが、哲学はあまりいませんね。 世間・・・確かに、日本には、世間の概念がありますね。 もしドストエフスキーが、日本の文化にふれたら、さぞおどろくことでしょう。 「おいおい、倫理観を備えたイワンが沢山いるぜよ・・・」とね。