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五月革命
第二次大戦後、サルトルの思想のどういう部分がフランス市民に受けいれられたのでしょうか? これは日本の学生運動や戦後民主主義にも影響をあたえたんでしたっけ? 実存は本質に先立つという部分の意味も含めて、 そこらへんの事情をご存知の方いらっしゃいましたら解説をお願いしたいのですが。 ちなみに私は哲学初心者です。
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ファシズムに対する反対の思想として受け入れられていったと理解しています。ヨーロッパや日本では、第二次大戦にうんざりしていましたから、「実存は本質に先立つ」という人間一人一人の主体性を重視する立場は歓迎されたのではないでしょうか。 ただ、マルクス主義との結びつきは、本質的なものではないような気がします。私の知る限りでは、「歴史は進化する」と解釈した一点において、共通するものがあったようです。主体性を客観的なものではないとしたレヴィ=ストロースが実存主義に反論し、その後、実存主義は急速に衰退して行きますが、構造主義では「歴史は構造であって進化するとは言えない」としています。しかし、その構造主義もマルクス主義とくっついていきます。日本でも、戦前、西田幾太郎を初めとする京都学派から、三木清・戸坂潤(西田左派)らが出ています。 今でも、マルクスの思想はバラバラに分解されて、あちこちでその断片が利用されています。唯物論的弁証法の一つとして、色々な哲学と結びつきやすいのではないでしょうか。 実存主義も構造主義も、第二次大戦の全体主義への反動や、西洋中心主義への反動として広まって行きました。
お礼
ありがとうございます。大変参考になりました。