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好きになる事で。
何かを好きになるという事は、客観性を欠く事で、人間にとってマイナスな事なのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
人間にとってはマイナスだと思います。好きになったことで、一点に集中してしまうように思います。 しかし、自分にとってはプラスになりませんか? たしかに、後から振り返り、考えてみると、周りの人を傷つけてしまったかもしれないでしょうが、それはしょうがないのではないかと私は思います。 自分にはプラス、他人にはマイナス 他人にはプラス、自分にはマイナス どっちもあると思います。即ちすべてが陰と陽で成り立っていると思います。 まとめることができませんがご参考になれば幸いです^^
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- oshietechan
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好きになる事=客観性を欠く事、なのでしょうか? 客観性を欠くことはプラスとは言えないと思います。 見失っている状態なわけですから・・・ しかし、「客観性を欠くほど何かを好きになること」 それは必ずしもマイナスではないと私は思います。 素敵じゃないですか。 妥当に生きることのみが、正解ではないのと同じです。
お礼
好きになる事=客観性ではない場合もあるという事ですね。
- kuwakuwa12
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好きになることに関してマイナスはないと思っています。マイナスになる場合は、「中途半端な好き」によって自分のみ満足してしまう場合に発生するのではないでしょうか? 「本気の好き」であれば、そのまわりへの影響も考慮しますし、また客観的に見なくてはいけない場合も発生します。 世間はほとんどの物事が好きとか嫌いで動いているように思います。ただ人によって好きの量が違いますし計ることも出来ないです。しかし好きを否定したらただ生きているだけの無機質な世の中になると思います。 好きの量が増えていく過程で、人によっては客観性を失う場合もでてくることは否定しませんが、私の考えはそれはマイナスではなく、更に発展するための要素だと思います。その状態で終わってしまった場合には結果的にマイナスしか残らないことがあると思います。 回答になっておりませんが、私はそう思っております。
お礼
質問を拡大解釈すると、宗教戦争のようなものを思い浮かべる人もいると思います。 私は、一概に戦争を否定するつもりはないのですが、悲しい面も多いと思います。
- baihu
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恋愛が、自分自身をアンコントローラブルなスタンスに置くという意味でで、アルコールやドラッグと同様に「異常な状態」だという私の持論があるのですが、それはさておき……。 人間が何かを始めるとき、すべての可能性を並列にして客観的に眺めるという作業をするのか、それがもっとも良い判断の仕方なのか、という疑問があります。 人が物事を観るときには必ず好き嫌いの主観が入りますし、それを「意思」と呼びます。計算機のプログラムになんら意思を込めずに走らせたなら、おそらく何も判断せずに延々と計算を続けるのではないでしょうか。 大事なことは主観から一旦抜け出して客観化することであり、主観を取り除くことではありません。ざっくりと言うなら、「客観」は、「主観」が捉えたネタをいじったり観察したりすることはできても、ネタを探すこともエンディングをひねり出すこともできません。開始(創造)も終了(破壊)もないところに継続だけが存在することはありえません。 客観性は、主観の裏づけとして後から加えられるものであり、主観のない客観で「意味」のあるものなどないのではないでしょうか。 好き嫌いという主観は、なぜか客観性を排したところでしか生じません。客観のない主観はあっても、主観のない客観はありえないのだと思います。
お礼
末文、非常に興味深く読ませて頂きました。
私のプラスとは、喜びを感じたり、充実したり、活力が出てきたり、やりがいを感じたり、感じたことです。 マイナスとは、その逆で苦しんだり、辛くなったり、破滅・破綻したり、したです。 私は、何かを好きになることは、プラスだと思いますが、好きになる対象や好きになり、する行動、好きの続きが発展して自分が感じ方によってはプラスにもマイナスにもなると思います。(好きが発展して自分の感じ方とは、好き→それを得たいが得られない、得るためには何かを失わなければいけないなど) 客観性とは、個人個人が共通して持つ感性・感覚のこと、これは「ただ、生きること」に対して感性・感覚だと思います。 人は、ただ生きることだけでは時として満足しません。むしろ、生きるのが嫌になります。 人が生命の保証された(精神的安定を得た)次は、充実、活力を求めます。これが何かを好きになることだと思います。だから、プラスであると思います。 でも、人生、気持ちが向くままに生きれば失敗したり、苦しみを味わうことがあります。それはマイナスです。そうならないためにも客観性は失われるべきではないと思います。ですが、好きはしないということはそれだけマイナスだと思います。 好きでありながら、客観性を持つ。 そして、好きになる対象を間違えてはならない、そういう感性を持たないことです。 ただ、感性、感覚とは性格・体質です。性格・体質は変らない、変りづらいように、好きになる対象を間違えないというのは難しいものです。 以上、私の意見です。
お礼
>人が生命の保証された(精神的安定を得た)次は、 という、精神的な安定という前提を覆す可能性を秘めている。 人間とは不思議なものです。
- chironero
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時と場合に依っては、我を忘れてのめり込む事も必要です。一時的なマイナス状態は取り戻せます。何時も冷静な自分って怖くないですか。
お礼
今、好きになった事で、問題を抱えています。 感情も、0付近を上下している状態です。 なので、冷静な自分に関しては、今現在恐怖をいだくとは思えません。
- phj
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たしかに何かを好きになるということは、何かに捉われるということですから、客観性も欠きますし、禅などの精神修養から見れば好ましいことではないでしょう。 しかしみんな誰でも好みがあるのですから、何も好きになるものがないというのは人間生活にとっては、生きづらく、誰にも理解されないことになるのでしょう。 人類すべてが冷静に客観的になれれば、すばらしいことだと思いますが、思い込みや好き嫌いがあって、歴史が回るので、それはそれでドラマティックですてきなことではないでしょうか?
お礼
ドラマティックもいい面と悪い面があると思います。 とくに、戦争等、悪い面の方が目立つ事も多いです。 私はそれをとても悲しく思います。
- kokoreko
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ということは「客観性を失わず」 「好きになれば」人間にとって+ ということか、 君、天才?賢いんじゃない階。 ま、それが難しいのかもね、、、とほほ、、、。
お礼
回答の真意がうまく読み取れませんが、とりあえず1番といった雰囲気の回答です。 哲学のカテゴリーだけに少し残念です。
お礼
陽 陽中の陰 陰 陰中の陽 太陰大極図の中には、上記の4つがあります。 好きになるという事は、陰中の陽なのかもしれません。