• ベストアンサー

自分を客観的に考える事について

お世話になります。 「自分を客観的に見る事が大事」「第3者の目線で自分の行動を見れば良い」とはよく言われますが、よくよく考えると『自分を客観的に見ようとしていたり、第3者として自分を見ようとしている自分』がいて、結局は、その主体的な目線から考えているのではと思いました。 その場合、自分自身の事を完全に第3者の目線から客観的に考える事は出来ないのではと思うのですが、いかがでしょうか? 何かアドバイスを下さる方がいらっしゃいましたら、宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kuku82
  • ベストアンサー率25% (367/1464)
回答No.9

はじめまして 事の発端は、どれだけ忠実に客観的になれるか?だったのでしょうか? 多分ちがうと思います。 あまりに視野が狭くなってしまっていたり、自分の気持ち本位で利己的であったり・・・ このような背景の時に「客観的になれ」と言われると思います。 なので、客観性が今よりも少しでも加味されていれば、それでも今よりはましという状況なのではないでしょうか? 議論のすり替えになってるかもしれませんが、 我々は、 自分自身の事を完全に第三者的に見ることもできなければ、 自分自身の完全な本心を自分で見ることも出来ないと思います。 つまり、完全とは何か?が 既にあやふやなのです。 ただ完全はなくとも 可能性をあげることは出来るかもしれません。 可能性をあげる為には、可能な限りの客観性を加味するってのも手ですよ ってことではないでしょうか?

whiteblack
質問者

お礼

お返事、拝読致しました。 確かに、話題が摩り替わっていたかもしれないです。 参考にさせて頂きます。 回答して頂き、ありがとうございました。

その他の回答 (8)

  • HeyXey
  • ベストアンサー率26% (134/498)
回答No.8

 「自分自身は見えない」という法則があるように思います。自分の眼球は見えませんよね。だから鏡に映します。それと同様に他者を鏡として「自分自身がどんな人間なのか」を知ることが出来ます。大事に育てられた子供は「自分は価値ある存在だ」と思うことでしょう。勢い余って尊大な態度のお金持ちの子もいますがね。つまり、他者の自分に対する態度を見て、自分のことを理解するのです。ここで注意しなければならないのは、おべっかで褒められているとか、なんでもかんでも否定する親とか、歪んだ鏡を見ているのではないかと疑ってみることです。  もう一つは、いわば「移し身」という方法です。自分自身のことを言葉やイメージで捉えて規定し、それを「自分」だと認識するのです。その規定の仕方によっては、本当の自分とは違う「自分」なのかもしれませんが、「自分自身は見えない」という法則がある以上、そうするしかありません。例えば、「自分は周りに配慮し、計画的に行動したが、周りはそれを理解しなかった」と規定したとしましょう。すると色んな処に矛盾が出てきたとなれば、その規定の仕方が間違っていたことになります。もう一度言葉を変えて規定し直す作業が必要です。証拠、解釈、因果関係を想像する等、さまざまな検討を繰り返すことで矛盾の少ない規定の仕方が見つかって来るでしょう。  また、色々な感情のゆらぎを経験することによって、立ち位置を変えて感じることが出来るようになります。弱気な時があるから「今の自分は強気になっている」ことに気付けるのです。もし、のっぺらぼうな人生なら、そういうことは気付けないのです。不幸な時を経験するから、幸せとは何かが理解できるのです。人生の「ゆらぎ」が客観的になることを可能にするのです。

whiteblack
質問者

お礼

お返事、拝読致しました。 記載して下さった様に、徐々に変更して行く事が出来れば良いのかなと思いました。 参考にさせて頂きます。 回答して頂き、ありがとうございました。

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.7

おっしゃる通りだと思います。 ただ、すぐには無理だけれど、数年、経った時に、(あの時のあの行動は人からはこういうように見えていたに違いない。)というように第三者の立場で自分のことが見える時があると思います。 確かに何処まで行ってもどの人にとっても自分というものはその人にとって主体的な存在なので限界はあるとは思います。 でも、時間というものはとても多くのものを教えてくれるので、焦らないでじっと考えることをやめないでいると、いつかは、自分について客観的な考え方で自分をとらえることが出来るようになるのではと私には思えるのです。

whiteblack
質問者

お礼

お返事、拝読致しました。 出来ないと思っても、続ける事が大事なのかなーと思いました。 参考にさせて頂きます。 回答して頂き、ありがとうございました。

  • 9143final
  • ベストアンサー率11% (18/163)
回答No.6

まぁね。 それでも上から見る自分がいたほうが冷静になりやすいです。 なりやすいであって完全には無理。 でも意味はないことはない。

whiteblack
質問者

お礼

お返事、拝読致しました。 冷静になる為の手段としても良いんですね。 参考にさせて頂きます。 回答して頂き、ありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

"その場合、自分自身の事を完全に第3者の目線から客観的に考える事は 出来ないのではと思うのですが、いかがでしょうか?"     ↑ 出来ません。 そんなことが出来るのはゴルゴ13ぐらいです。 鏡に映った顔と、写真の顔を比較すれば、鏡の 方が男前、美人に見えるはずです。 これはそうありたい、という心理が無意識に働く からです。 かようにして、自分を客観的にみる、考えるてのは 難しいのです。 生まれつき、これが出来る人がおります。 勿論完全にではありませんが、普通の人よりも という意味です。 心理学では、これをサイコパスといいまして、 悪く出ると、冷血な犯罪者に、良く出ると、成功者 になるそうです。 大企業のCEOにはサイコパスが多いという調査結果 が出ています。 あとは、歴史の英雄ですね。 彼らは、己を客観的にみることが出来ますので、判断を 間違えないのです。

whiteblack
質問者

お礼

お返事、拝読致しました。 サイコパス…なりたくはないけど、良い所もなくはないんですね。 参考にさせて頂きます。 回答して頂き、ありがとうございました。

回答No.4

Q、自分自身の事を完全に第3者の目線から客観的に考える事は出来ないのでは? A、そんなことはないと思いますよ。 ちょっとばかし自分を細かくばらして各部品を冷徹に検討することは可能です。ただし、そういう理性的な分析の果てに得た結論を自らの人生の指針とすることが難しいだけですよ。「判っちゃいるけど止められない!」-この理性と自己の感情の対立、この理性と自自己の欲望の対立を制御できないのが問題。で、私は、結局は「己の気の向くまま!」で生きています。それでダメダメ人生に終わるのであれば、それだけの器だってこと。それはそれで、しゃーないなー・・・。 と、思っています。

whiteblack
質問者

お礼

お返事、拝読致しました。 部品を細かくばらして考える所からやってみようと思います。 参考にさせて頂きます。 回答して頂き、ありがとうございました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34537)
回答No.3

自分を客観視するほど難しいこともないですが、しかし社会との関わりの中で自分が相対的にどんな立ち位置にいるかということを分かっていないと恥をかいたり失敗したり世間から非難を受けたりしますから、自分を客観視しようと努力することは大切だと思います。

whiteblack
質問者

お礼

お返事、拝読致しました。 難しい事だけど、そうしようとする事はこれからも続けてみようかと思いました。 参考にさせて頂きます。 回答して頂き、ありがとうございました。

  • 00000000aa
  • ベストアンサー率26% (385/1478)
回答No.2

自分は鏡でしか見ることかできません。同様に自分を客観的に見つめるのは無理です。自分をよく理解してくれる人に意見を求める、または自分と正反対の人の意見を聞いてみるとよいと思います。

whiteblack
質問者

お礼

お返事、拝読致しました。 実際に自分と他の人に意見を聞いてみる事も方法の1つですね。 参考にさせて頂きます。 回答して頂き、ありがとうございました。

noname#209945
noname#209945
回答No.1

究極的にはその通りですよ。 一般的にそんなことを言っているのではありません。 嫌われますのでリアルでは控えたほうがいいでしょうね。

whiteblack
質問者

お礼

お返事、拝読致しました。 ネット上で相談させて頂いて良かったです。 参考にさせて頂きます。 回答して頂き、ありがとうございました。

関連するQ&A