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放射性元素を利用して作ったロシアンルーレットは不敗?

1/2の確率で放射性元素が崩壊したら、玉が発射される銃を作り、私がこれでロシアンルーレットのような勝負をしたとします。量子力学の多世界解釈が正しいなら私が勝負に勝ち生き残る世界と、負けて死ぬ世界ができます。しかし、死ぬ場合は一瞬にして頭を打ち抜かれるのでそのような状況を私は認識できません。認識できないものは存在しないと考えると、私はこの勝負に負けることは無いことになります。 もちろん私はこんな無謀な賭けをするきはありませんが、この考えの間違いを指摘できません。どこか間違っているように思うのですが、どなたかどこが間違っているのか教えていただけないでしょうか?

みんなの回答

  • sekisei
  • ベストアンサー率38% (94/246)
回答No.16

たびたび補足要求をして申し訳ありません。 私もこういう事を考えるのが好きですので・・・ いったん閉じられるとの事ですが、良ければお教えください。 質問者様の考え方で行くとき、シュレーディンガーの猫はどうなるでしょうか。 この場合箱の中の猫がロシアンルーレットをする人に代わります。

  • stomachman
  • ベストアンサー率57% (1014/1775)
回答No.15

 今の物理理論を認めるんであれば、多世界解釈の真否を実験的に証明する方法は原理的にない。なぜなら理論が導く結果には何の影響もない。無数に分岐した多世界のうちのコヒーレンスを持つ(近い)世界同士が干渉する、と思って計算しても、可能な全ての経路に沿って作用を全部足し合わせると思って計算しても、答は常に同じ。まさに解釈だけの問題である。  しかし、将来に於いてまさにこの自分が、一体どの世界の住人になるのか、ということを考え出すと、確率として捉えられる「『可能的』な多世界」と、「『実際』に分岐した多世界」とでは話が違うような気がする、と、こう仰っているだと思います。  さてそこで、 [1] ある日メールが送られて来る。文面は「明日の○○競馬、第一レースの単勝は××です。」とたったそれだけです。これがなんと当たっちゃう。 するとまた翌日、同じようなメールが送られて来る。これがまた当たり。 そのまた翌日、同じようなメールが送られて来る。これがまたまた当たり。 4日目のメールをドキドキしながら待っていると、「必勝法を発見したんですけど買いませんか。」と連絡先が書いてあるメールが来る。 というのは、メールなんかなかった時代の古典的な詐欺の手口です。どうやるって、もちろん、最初に 「明日の○○競馬、第一レースの単勝は1です。」 「明日の○○競馬、第一レースの単勝は2です。」 「明日の○○競馬、第一レースの単勝は3です。」 : をそれぞれ何千通も送ったんですね。それが当たった人だけに二度目のメールを送った。これを繰り返すと、連続で当たる人はどんどん減って行きますけれども、全部当たりだった人も必ず残る。その人たちに詐欺師さんは本題を切り出した訳です。  で、被害者候補のうちの一人の立場から見てみましょう。さて自分が3通とも全部当たりだった人の中に入るかどうか。大抵入らないでしょう。でも、そういう人も確かに居る。その人と自分の立場を入れ替えて考えてみれば、必勝法を買わずにはいられなかったかも知れない。ただ、その入れ替えは現実にはできない。  そして、全体を俯瞰している詐欺師さんにとって儲けは確実である。(なにしろ「信者」をくっつけて書くと「儲」なんです。)ただ、誰が被害に遭うかは、詐欺師さんにも予見できない。 [2] 単に宝くじを買ってみる、という実験はどうでしょうか。大当たりを取った自分を観測することはほぼ0%の確率で確実ですけれども、分岐した沢山の世界の中には、当たりくじを握りしめている自分もいる。  将来分岐で生じる全ての世界は、今現在自分がいるこの唯一の世界の「子孫」なんだから、当たりくじを握りしめている自分はまぎれもなく今現在のこの自分の将来の姿である。けれども、将来の抽選が終わった時点で、外れくじで鼻をかむ自分もまた今現在のこの自分の将来の姿である。ただし、両者は没交渉になっている。外れた自分をわざわざ殺さなくたって、当りくじを持った自分から見れば観測できないものはないのと同じです。そして、外れくじを丸めている自分から見れば、当りくじを持った自分も観測できないから、ただの夢である。そのどちらに「なる」か、という問題じゃない。どちらにも「なる」のであり、どちらから見ても現時点の事実は過去の事実である。  …そう考えてくじを買った筈なのに、なぜ俺は鼻をかんでいるのか? もちろん、鼻をかむ方の「自分」だからです。 [3] 「俺はどんなに無茶をやったって、これまで一度も死んだ事がない」と威張ってる奴が居たらアホでしょ。何もロシアンルーレットなんか考えなくても、他の誰でもないこのまさに自分が、戦争も飢餓もペストの大流行もない場所と時代にいるということ自体が奇跡的。(この事情を一言で「運命」と呼んでもいいんじゃないでしょうか。)  だからご質問は、自分が自分であって他の誰かとは交換できないし、可能性としての自分とも交換できない。はてさて、この異常な非対称性ってどーよ? という(多くの人たちが嵌っている一種の独我論の)問いに他ならないと思われます。多世界解釈と結びつけるまでもないんじゃ?

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=20857
回答No.14

>違うことを言っているのですから紛れも無く「仮説」だと思います。 と書かれていますが、「解釈」以外なにも違わないと思います。 質問者自身も書かれているように「認識できないものは存在しない」と考えると多世界であっても今認識している世界以外は存在しない訳ですから。

moritan2
質問者

お礼

私自身、この問題でなにが分からないのか分からなくなってしまいました。 そういうわけで、一旦閉じさせていただきます。 愚論にお付き合いくださり、ありがとうございました。

回答No.13

多世界解釈を「信じる」とか「信じない」とかいう表現をされていますが、多世界解釈は「解釈」であって仮説ではありません。「信じる」とか「信じない」とかいいうものではないと思います。 例えば相対的な運動において、あなたが止まっていて私が動いているのか、私が止まっていてあなたが動いているのか、解釈の問題であってどちらを信じるという問題ではないはずです。 同様に、コペンハーゲン解釈と多世界解釈も全く等価な事に対してどう解釈するかだけの問題なのです。 したがって、多世界解釈を「信じた」からといって賭けに勝ち続けることはありません。

moritan2
質問者

お礼

すいません、お礼ではなく補足の続きです。 「仮説」では無いと書いておられますが、補足で述べましたように、違うことを言っているのですから紛れも無く「仮説」だと思います。しかし、どちらの仮説も観測事実と全く矛盾していないし、予想も同じ予想しかできない。ですから現在分かっていることからどちらが真実かは「解釈」するしか無いのだと思います。

moritan2
質問者

補足

多世界解釈なら勝負に勝つ世界と負ける世界に分かれ、私は生き残った世界しか確認できないので、私の意識は必ず勝負に勝った私を見るのに対し、コペンハーゲン解釈だと50%の確率で勝つか負けるかどちらかの状態になり、負けた場合は私が全く存在しない無の世界に陥るのですから、この2つは全く別の事と思います。 どちらが正しいのか科学的な方法で検証することが不可能なので「解釈」といいますが、「信じる」というのに近いと思っているのですが。

回答No.12

せっかくおもしろそうな質問だったのに自己解決されて残念です。と言うわけでもう一度むし返します。 >頭ではそれを正しい思っていますが、私の本能は決してそれを信じていないということだと思います。 と書かれていますが、信じているかどうかの問題では無いと思います。 100%信じたとしても勝負はしたくないでしょう。理由はNo.9さんの回答がわかりやすいです。恐怖が強いか弱いかや時間が長いか短いかは関係ありません。死んだ自分はもう他の世界で生き返れません。

moritan2
質問者

補足

これは死生観の違いというか宗教観の違いだと思います。私は得るものによっては多世界解釈を信じることができれば、やるかもしれません。 勝負をする前の私と同一性を持つ私のうち、一つが勝負に負けて消滅し、一つが生き残れるというのは、スタートレックのような転送装置でオリジナルを消してコピーを残すというのとそんなに変わらないんじゃないかと思います。#9の負けたら虎に食べられるというのは、転送装置のオリジナルを消去する装置が故障して、消去がきれいにできなかったというのと似ています。 自己解決といったのは、こういう宗教的な議論になると OK Webの本来の使い方と違ってくると思ったからですが、私はこういう議論は嫌いではありません。

  • gooegg
  • ベストアンサー率31% (5/16)
回答No.11

<量子力学の多世界解釈は、私が勝つ世界が必ず存在するることを保証するために必要だと思います。機械的なロシアンルーレットだと勝つか負けるか勝負の前に決まっているので負けた世界を認識しないというだけでなく、負けたら私は永遠の無の世界に陥ってしまいます。 多世界解釈が勝つ世界もあるというのなら負ける世界もあるということなのですね。そして、負ける世界が永遠の無というのになるというのならその世界ももちろんあると思います。時空間ももちろん別々ですからね。この辺は認めていると思いますが。なんだか「私が勝つ世界が必ず存在する」というのは多世界をひっくるめて一つの世界と見ているような気がしてなりません(上から多世界すべてを見下ろしてるような感じ) <(他の回答者さんの中での補足ですが)多世界解釈だと個々の世界がバラバラに無関係になっていくのだと思います。そのなかで私の意識により観測される世界は私が勝つ世界だけであるということです このなかの「私」というのは個々別々に考える必要があるのではないでしょうか? つまりバラバラに無関係に分岐した「私」は全くの他人と変わらない、ということです。 いくら勝つ世界があろうとも負ける世界の「私」にとってそれはなにも関係ないのですよね。 自分は多世界間での私が同じように「正確に」それと表現できるような同一性を保持するとは考えていないのです。 私が勝つ世界が必ず存在する、というのは多世界間での「私」という同一性が保障されていなければならないと思います。このへんはなにか多世界解釈派でなにか統一した見解はあるのでしょうか?自分は確認できませんでした。 ひょっとしたらこのロシアンルーレットの問題は、多世界解釈という問題以上に「私とはなにか?」や「同一性」という別の哲学的問題を解消しな・・・orz 駄文失礼しました。 あと、moritan2さんの主張の意味十分にをよく受け止められず、的外れな回答になっているのではないかという点についてはご了承願いたいです。

moritan2
質問者

補足

> このへんはなにか多世界解釈派でなにか統一した見解はあるのでしょうか?自分は確認できませんでした。 私も見たことがないです。意識と量子力学の観測問題を絡ませた話は、ロジャー・ペンローズが有名ですが、賛否両論があって「統一した見解」には程遠いように思えます。いずれにしろ、こういう議論は「科学」による検証可能な話ではないように思えます。よくて哲学、へたをすると信じるか信じないかの「宗教」の話かもしれません。

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.10

#9です。なんどもごめんなさい。 訂正です。 ×飢えた野生の檻→○飢えた野生のトラの居る檻

moritan2
質問者

補足

#9の私の補足はよく見たら8942さんの疑問には答えていないので、再度補足いたします。 食べられるまでの意識は当然負けたと認識してるでしょうね。ただこの意識はながくは続かないけど。これについてはどうかんがえればいいのかよくわかりません。 もうひとつ、よく分からないのはおなじ8942様の#5です。 手違いがあってコピー元を消去しわすれたら、オリジナルに対して「すいません、手違いがあってあなた(オリジナル)の消去が失敗しました。これから間違いなく消去いたしますのでご心配なく」と言われたらどうすればいいんでしょう。

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.9

#5です。 素人の分際でなんども投稿申し訳無いです。 ただ、こういう場合はどうなるのかな?と思った事がありまして、 まぁピストルのロシアンルーレットと基本は同じなんですが、 たとえば銃で撃たれるかわりに、飢えた野生の檻に放り込まれる場合。 運がわるいと死ぬまで食われるわけですがその間貴方は阿鼻叫喚の地獄を見るわけです。  ロシアンルーレット無敗の貴方ですが、トラに食われて悶絶している 貴方は何者なのでしょうか?

moritan2
質問者

補足

死の恐怖の問題はこの問題では余計な問題と思ったので「一瞬にして頭を打ち抜かれる」としましたが、死の恐怖は人によってちがいます。私の場合は、死の苦しみそのものはそれほど大きな恐怖ではなく、自分が存在しなくなることの恐怖が大きいです。ですから、別の世界で自分が存続できると信じることができれば、それほど恐怖は感じないかも。ただ、こうなると哲学の話ではなく、宗教の話になってしまうので、これ以上深く議論を進めるのは遠慮したいとおもいます。

  • gooegg
  • ベストアンサー率31% (5/16)
回答No.8

一つ思ったんですが猫の思考実験に使われるような1/2の確率で放射性元素が崩壊する仮定と、「多世界解釈」、「認識できないものは存在しない」というキーポイントはなにか必然的関連性はあるのでしょうか? なにも猫実験のようなややこしい話を持ち出さなくても通常の場面で銃の弾倉に半分弾を込めて引き金をひけば、あなたは1/2の確率で死ぬ場面ができます。そして認識できないものは存在しないと考えるとあなたは勝負には負けませんね。 moritan2さんは多世界解釈はなにも猫実験の様な特殊状態だけでなく、普段日常レベルで起こっている事と言いたいのですよね? 勝負に負けることはないと主張するなら多世界解釈は都合が悪いんじゃないでしょうか? もちろん、負ける(死ぬ)世界はあなたにとって全く関係なく、縁のない世界だというなら別ですが、量子力学でいう観測、収束とは他人の観測による収束も自分の収束に反映するという可能性が想定されていたはずです(違っていたらすみません) むしろ多世界解釈など認めず、自分の観測、収束がすべてだというなら独我論とあまり変わりなく、「世界が存続しているならばそれは私が勝った世界である」という論理が成り立つので原理的に勝つことしかできなくなり、負けることはないと思います。

moritan2
質問者

補足

量子力学の多世界解釈は、私が勝つ世界が必ず存在するることを保証するために必要だと思います。機械的なロシアンルーレットだと勝つか負けるか勝負の前に決まっているので負けた世界を認識しないというだけでなく、負けたら私は永遠の無の世界に陥ってしまいます。コペンハーゲン解釈でも同じように観測した時点でどちらかに決まってしまいますから、負けたら無の世界に陥ってしまいます。

  • sekisei
  • ベストアンサー率38% (94/246)
回答No.7

自己完結されたところで申し訳ないのですが、質問について補足をお願いします。 質問は以下のどちらでしょうか。 1.50%の崩壊確率の放射性元素でのロシアンルーレットをすれば何度やっても必ず勝つ。 この場合多世界の全ての世界で皆が勝っている(連勝している) 2.50%の崩壊確率の放射性元素でのロシアンルーレットをすれば何度やっても必ず勝つとい世界が多世界の中の一つとしてある。 この場合多世界のほかの世界では負けている。 お手数ですがよければどちらか教えてください。

moritan2
質問者

補足

第三者が見たら50%の確率で私が勝ち、50%の確率で私の死体が転がっているでしょう。 一方私の意識より観察される世界は私が勝つ世界だけです。 答えとしては、第三者から見たら2ですが、私の意識により観測されたものは1になります。 この考え方は「人間原理」の変形の一つだと思います。つまり、この宇宙はあまりにも人間に都合よくできていて、確立50%の勝負を1000連勝するのと同じくらいの奇跡が起こっているわけです。でも、多世界解釈をあてはめ、人間により観測可能な世界だけが、いま私たちに観測されているとすれば、1000連勝は不思議でもなんでもなくなります。