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放射性元素を利用して作ったロシアンルーレットは不敗?

1/2の確率で放射性元素が崩壊したら、玉が発射される銃を作り、私がこれでロシアンルーレットのような勝負をしたとします。量子力学の多世界解釈が正しいなら私が勝負に勝ち生き残る世界と、負けて死ぬ世界ができます。しかし、死ぬ場合は一瞬にして頭を打ち抜かれるのでそのような状況を私は認識できません。認識できないものは存在しないと考えると、私はこの勝負に負けることは無いことになります。 もちろん私はこんな無謀な賭けをするきはありませんが、この考えの間違いを指摘できません。どこか間違っているように思うのですが、どなたかどこが間違っているのか教えていただけないでしょうか?

みんなの回答

回答No.6

 No.1です。自己解決なさったのなら結構ですが、締め切られていなかったので言葉のゲームとしてもうひとこと。  先の回答を詳しく言うと、あなたが負けた世界では、観測者には(勝負の相手にも)あなたの死体が観察できるので、あなたが認識できなくても他の人には認識できますから、心配いりません。  勝負に勝ったあなたにとって、勝負に勝ったあなたの世界だけが世界ならば、その時点で多世界解釈を放棄したことになるので、この問い自体無意味になりませんか。  そこに要点があるのではないでしょうか。  つまり勝負に勝ったあなたにとっては、勝った世界があったわけですが、負けたあなたにとっては負けた世界があったわけで、どちらかのあるいは両方の世界を観測できるかも知れないけれど、あなた自身が多数の存在する世界を選び取ることができない以上あなたは2分の1の確率で負けるわけですから、必勝はできないでしょう。  

moritan2
質問者

補足

> 勝負に勝ったあなたにとって、勝負に勝ったあなたの世界だけが世界ならば、その時点で多世界解釈を放棄したことになるので、この問い自体無意味になりませんか。 これはちがうと思います。コヒーレントな状態が保たれていれば多世界ですが、観測することによりその中の一つと関連付けられます。コペンハーゲン解釈だと波束の収束と解釈しますが、多世界解釈だと個々の世界がバラバラに無関係になっていくのだと思います。そのなかで私の意識により観測される世界は私が勝つ世界だけであるということです。

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.5

多世界解釈という言葉は知りませんでしたが、大体の意味はなんとなく わかったような気がします。  もし原子一つたりとて正確にコピーできる人間コピー機があったなら、オリジナルとコピーの見分けは、誰にもつける事ができない。 そして本人も(コピーも)自分がコピーなのかオリジナルなのか も判らないでしょう。     もしコピー機ではなくて、コピーの瞬間オリジナルを消して、 コピーが出てきたら、コピーはコピーの自覚はないし、客観的にそれを コピーと認定できない。もちろんオリジナルは消された自覚は無いし、 そういう場合は、誰も死んでないでいいのではないか?  だからロシアンルーレットもその多世界解釈というのが真実なら 貴方は死なない。そして、しかし貴方の死体も何処かの世界には有るという事かな。  ひょっとして人間って別にロシアンルーレットじゃなくても死なないんじゃないかな同じ(近い)理屈で。 素人の妄想ですけど

moritan2
質問者

お礼

皆様への補足などを書いているうちに、はっと気が付きました。量子力学の多世界解釈というのは、量子力学の問題ではなく、また哲学の問題ですらなく、信ずるか信じないかの宗教的な問題だということです。多世界解釈は量子力学の観測問題の流行の解釈なので私は頭ではそれを正しい思っていますが、私の本能は決してそれを信じていないということだと思います。 というわけで、自己完結してしまいましたが、私のくだらない疑問にお付き合いいただいた方々にお礼を申し上げます。

  • sekisei
  • ベストアンサー率38% (94/246)
回答No.4

多世界解釈での必勝世界があるかどうかについては言われるとおりあると思います。 質問文からそれを読解できずすいません。 私は質問文を”質問文の賭けをすると何度やっても必ず勝ちのみで負けることはない”と読み取っていました。

moritan2
質問者

補足

私が本当に質問したいことは、頭で考えた結果は「私は負けない」なのですが、本能は「そんな考えは絶対に間違っている、絶対にそんな勝負はするな」と言っていることの整合性をとりたいのです。 昔、親鸞上人は「自分は師の法然上人の浄土についての説法を信じている、仮にそれが間違いだったとしても、師をうらむことは無い」というようはことをおっしゃったそうですが、私は悟りを開いているわけではないので、「多世界解釈が間違いだったとしてもドイチュらを恨むことは無い」などとはいえません。

  • sekisei
  • ベストアンサー率38% (94/246)
回答No.3

負けることが無いのではなく、負けたことを観測できないが正しい表現です。 だから必ず勝つのではなく、勝った時にしか認識できないだけとなります。 つまり結果を観測するには観測者であるあなたが生きていることが条件として要求されるので勝ち以外の結果が得られないとなります。

moritan2
質問者

補足

多世界解釈が正しいのなら、必ずゲームに勝つ私も存在するのではありませんか? ゲーム機で最後のボスとの戦闘前には必ずセーブしてからでかけると思いますが、いくらやられても負けたらリセットして勝つまでやりなおせばいいのですから、最後はかならず勝てます。多世界解釈が正しいなら、リセットしてやりなおすまでもなく、同時進行で勝つシナリオも起こっているのですから

  • sugartea
  • ベストアンサー率44% (43/96)
回答No.2

それだとまさに、真に存在するものは私が認識したものだけであるという独我論のドグマそのものでは?あなたが死んであなたにとっての世界は存在しないけど、あなたの死体が転がっているような客観的世界は残りますよね。

moritan2
質問者

補足

> あなたが死んであなたにとっての世界は存在しないけど、あなたの死体が転がっているような客観的世界は残りますよね。 それはもちろんそうですが、量子力学的なコヒーレンスが無くなった時には、私が存在できる世界は、多世界の中の一つになり、それは決して私の死体がころがっている世界ではありません。とすれば、私の死体の転がっている世界は私とは何の縁の無い世界だと思うのですが。 私が生きてきた人生のなかだけでも、私はいろんな幸運で現在まできていると思います。多世界解釈が正しければ、今の私の遺伝子を担っていた父の精子が母の卵子に到達できなかった世界など無数に私の存在しない世界があると思います。でも、そういう世界は今の私から見れば、全く縁の無い世界でもあります。

回答No.1

 あなたが自分の死を認識できなかったとしても、勝負の相手はそれを認識できますから、心配いりません。

moritan2
質問者

補足

私にとって世界は、私が勝った世界だけですから、相手が勝って私の死を認識している世界は私とはもうえんの無い世界であり、関係ないとおもいますが。 多世界解釈というものが正しいなら、必ず勝負に勝った私が存在するはずですが、もし多世界解釈というのが間違いなら、負ければ私は永遠の無の世界に陥ってしまいます。 結局、問題は多世界解釈というものが正しいかどうかということなのでしょうか?

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