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キリスト教的お金持ちとは?

お金持ちが天国に入るには針の穴を通るよりも難しいというのをキリスト教で聞いた事があるのですが、どういう意味なのか教えて下さい。 よろしくお願いします。

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  • behemoth
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回答No.1

少し訂正をしますと、「金持ちが神の国に入るより、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」ですね。 神の国とは天国のことだと思ってください。 意味としては、お金持ちがお金持ちのまま天国に入ることはできない、ということです。日本にも、墓まで金は持っていけない、というのがありますね。 何故入れないかというと、天国は苦しい思いをした正しい人が慰められる場所なので、裕福に暮らして既に慰められている人はそこに入れないからです。 「針のあな」というのには複数の解釈があります。ひとつは縫い針の穴です。当時身近にある最も小さなものと、(パレスチナでは)最大の家畜を比べて、それがいかに困難であるかを表している、ということです。糸をとおすのですら難しいのですから、らくだは通れませんよね。ちなみに、イエスが使った言語ではらくだとロープは同じ単語らしく、「糸と比べてロープは太いから」とも考えられます。 もうひとつは門という考え方です。聖書には天国にも門があると書いてあるので、この針の穴も門扉の比喩だと考えることができます。荷物をたくさん積んだらくだ(財産をたくさんもっている金持ち)は人が通る小さな門には入れませんが、荷物を降ろせば入れますよ、という意味です。 いずれの解釈にしても、言葉の真意は同じです。 ちなみに、ただ財産を捨てろ、ということではありません。キリスト教徒にもお金持ちはたくさんいます。要は金銭欲にまみれたりせず、そのお金を貧しい人のために使ったり、教会に献金したりしなさい、とのことです。 残念ながらいまの私はキリスト教徒ではありませんが、家族はまだキリスト教徒なので、家族の意見も含めて私なりに解釈してみました。

6izt
質問者

お礼

よくわかりました。 有難う御座いました。

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