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「現象学」では「肉体」をどのように捉えているのでしょうか
現在外国で、教育学を勉強しているのですが、身体の社会学も勉強しなくてはなりません。 phenomenology and bodyについて、Leder (1990)と言う人の本を英語で読んだのですが、ちんぷんかんぷんでした。 現象学では健康、病気という文脈で肉体をどのように解釈するのか、中学生にでもわかるように、ものすごく簡単なコトバで解説いただけないでしょうか。 簡明な説明の際に生じる多少の語弊は気にしません。なんとなく、こんなカンジと言う形でわかれば本望です。
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真理に到達しようとする実顕場
心は、部分を持たない空なる点。 空は空。 大いなる気。
地球
- mitsui1966
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時間の許す限り、続けます。 人間は動物と違って、欲求するものにしたがわないことができます。たとえば、人間の胃は、欲している食べものを食べないでいることができます。動物の胃はおそらく欲しているときは、その食べものを必ず食べるよりほかありません。動物の胃が食べないのは、欲していないときか、欲していないものであるかの、いずれかにかぎられます。 感官も臓器もそれが人間の<身体>であるかぎり、思考し、感覚します。そうでなければ、人間(の身体)は、たんに動物的なもの一般にすぎません……。 時間がありません。今回はこれまでにします。
- mitsui1966
- ベストアンサー率39% (29/73)
ご質問にどれくらい答えられるか分かりません。時間が限られていますので、一度に全部お答えすることはできません。 <身体>とはなにか、という反省的な問いにこたえられなくても、<これだ>といってじぶんまたは他者の<身体>を指さすことはできますし、触れることも、抱擁することもできます。また、ときには<身体>の美について語ることも鑑賞することも、描くこともできます。ただかれは<身体>を抽象的一般者として了解できないだけです。そんなことはできなくても経験的にはなんの不自由もきたしませんが、ただ、そういう種族が<身体>についてなにか云うときは、いつも一面的誇張とならざるをえません。文学者や芸術家のエロティシズムの記述などは、どこの国でもたいていこの誇張にしかすぎません。かれらは、はなはだ馬鹿なことを、だがかなり巧みにいうため、わたしたちは感性的な白痴美の世界に接することになります。たしかに美ではありますが、わたしたちが白痴美につきあえるのは、珍しさが醒めぬうちだけです。かれらにとってエロティシズムはまず<身体>が発散するムードであり、その<身体>は性感帯に集約されます。異性の性感帯のみりょくを認めるとしても、しかし<身体>が性感帯によって集約されえるという考えが認めがたいことは、三十男と老人をのぞけば、<人間は性感帯のみで生きるものにあらず>ということと同様です。 フォイエルバッハが、さしあたって問題にしたのはキリスト教的な身魂二元論だったでしょうが、たえず意識していたのは大ヘーゲルの考察だったにちあいありません。ヘーゲルは人間の<身体>現象にまつわる課題に、現在わたしたちがかんがえるような意味あいで、まともな考察をくわえたもっとも重要な位置をしめしています。 まず、ヘーゲルは<身体>現象のうち消化、血液の循環、発汗、呼吸など自律的にいとなまれる作用をひろく<有機>的な作用とみなし、神経や筋肉の活動の作用を<動物>的なものとみなして大別します。また、<身体>の内的な器官(臓器)と外的な器官(眼、耳および四肢--手足など)とを区別します。 時間がありません。今日のところはここまでにしておきます。