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日本の道徳観
日本では、「悪いことをしたら同等以上の償いをする」との 道徳観があります。この道徳観がなくなれば、世知辛い 世の中になると考えます。 また、「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなう しかない」という倫理観も多くの人が持っています。 この倫理観が殺人の抑止にも働いているものと考えます。 みなさんは、いかがお考えですか?
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殺人の抑止力は人を殺めたら自分の命を失うとの等価判断も一部にはあるでしょうが、それが全てではないと思います。 なぜなら、人を殺めれば自分を殺してもらえると言う自殺願望者にとっては抑止力が働かず逆に殺人行為の動機づけになりますし 既に殺人をおかした犯人の逃走を邪魔立てするものに対して犯人は第二の殺人をするわけですが、この際にも殺人の抑止力が機能していません。 世の中の公民が殺人事件を起こさないのは、人に迷惑を与えることは処罰を受けると言う刑法の抑止力であると思います。 この刑法には抑止力はあると認めますが これについても悪用されないとは限りません。 生活困難者が衣食住に困り犯罪を犯して収監されることで生活の安定を求める行為などを考慮すれば必ずしも抑止力を刑法に求めることも、また困難ではないでしょうか? 私は犯罪は環境に由来するのではないかと考えています。 例えば、監視カメラが稼働し見通しのよい周囲に人がたくさんいる場所と 落書きだらけで窓が壊されたままのすさんだスラム街とでは どちらの犯罪発生率が高いとお考えでしょうか? むろん、後者になります。 これは、ニューヨークで実証データがあるブロークンウィンドウズ理論と言う犯罪抑止力の理論なのですが ニューヨークの地下鉄は 落書きだらけで犯罪の宝庫でした。ニューヨーク市警は犯罪心理学の権威ある学者に犯罪の抑止を依頼しました。警備力強化を申し出てくるとニューヨーク市警は予想しましたが、学者は「まず地下鉄構内と地下鉄車両の落書きを消すこと」を指示しました。これにより、地下鉄構内での犯罪は減少し この成果により 信頼を得た学者は次に 「スラム街の落書きや壊された窓も早急に直せ」と 指示しました。そうしたところ、スラム街での犯罪は激減し軽微な犯罪どころか殺人事件などの重大な犯罪も激減しました。 このことから言えることは犯罪は環境により左右すると言えるのではないでしょうか? 殺人犯を生み出した環境。つまりは、社会環境だったり教育環境だったり、人間関係だったり、労働環境だったり、それらの環境から殺人犯は不満を募らせ犯罪を実行した。 これが健全な社会環境、教育環境、人間関係、労働環境だったら果たして殺人犯は犯罪をおかしたかどうか? 戦前の日本は犯罪検挙率が高かったため、犯罪発生率も少なく、凶悪犯罪も少なかったようです。 それは地域にコミュニケーションがあり、部外者の進入と監視が徹底されていたため、犯罪がしにくい環境だったからと推測します。 犯罪者個人に社会的制裁を与えるだけにとどまらず その犯罪にいたる環境の精査と改善もまた犯罪抑止には必要な要素だと思います。 犯罪は社会環境が作ると言えるかと思います。 現時点では殺人犯を処罰し殺人犯を社会から抹殺することが犯罪抑止力であるとの見解があって死刑の存続を支持する国民が多数派を占めるのですが、 犯罪は社会環境が犯罪者を生み出したと考えると 犯罪者の社会からの抹殺は社会に残されたものの 社会環境の改善と言う責務を放棄した無責任な対応であり責任転嫁ではないかと言う見方もできます。 犯罪は社会環境、社会全体の責任である。社会環境が整えば、犯罪は減少する。これを主張したいと思います。
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- area_99
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勘違いじゃないですか? 天に唾吐く行為とは云われます。 しかし、同等の償いをしろということではありません。 仏教の因果応報の例えですね。 これは、巡り巡って、地震に地震に降りかかることを教えています。 人に善意を施せば、それが巡って、自信を助け、人に悪意を及ぼせば、必ず報いがあることを云います。
お礼
回答ありがとうございます。 >仏教の因果応報の例えですね。 でも、多くの日本人は曲解していますよ。仏教の考えだと輪廻というのがあって、一見、何の罪もない子供が殺されるのだって、前世の報いだと考えないと辻褄が合わなくなる。
- 150715
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>また、「人の命をあやめた人は、償いとして自分の命であがなう >しかない」という倫理観も多くの人が持っています。 >この倫理観が殺人の抑止にも働いているものと考えます 基本的にはそうでしょうけど、一括りにはできないと思います。 やむを得ない事情というのも、少なからず存在するから。 例:父親が小学生の娘に執拗な乱暴(or性的虐待)をしていて、 見かねた母親が殺人を犯す…とか。 自己中心的な考えや欲、被害者にとって理不尽極まりないなら、 加害者自身の命で償うのは当然かと。 以下は勝手なあたし個人の考え方 普通は(とりあえず日本人としては)、殺人=悪というのが前提です。 いかなる理由があっても殺人はいけない事だという共通認識です。 これを前提にした上で、理性があります。 ちょっと前提とは似て異なるものですが。 つまり、殺したいほどだけど、それはやってはいかんというもの。 その先はもう感情が優先するかどうかですね。 殺人に対する理性すら吹っ飛ばすほどの感情の爆発があるかどうか。 ※あくまでも、一般市民が殺人をする・しないに限定したものです。根っからの悪人・犯罪者、つまり計画的殺人などは含めません。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 >なぜなら、人を殺めれば自分を殺してもらえると言う自殺願望者にとっては抑止力が働かず逆に殺人行為の動機づけになりますし 宅間守や加藤智大がいい例ですね。