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歴史ってなぜ学ぶ必要があるの?
学生時代、歴史が苦手だったものです。ひがみと捉えられても構わないのですが…。 「日本最古の通貨は和同開珎」とか「任那という国があった」とか「弥生時代は○○年頃に始まった」とか、最近になって覆ってしまった事実を、私が学生だった頃に覚えさせられた記憶があります。 そんなことを覚えさせる学校の先生も浅はかだな、と今では思うのですが、実際にテストで出るのですから仕方がないとも言えるのでしょう。社会の教科書も含めてそうだと言えると思うのですが、こんなに不確定なことを覚えさせて何の役に立つと言えるのでしょうか。 こういう話をするとよく「自然科学も同じだ」と言われる方がいますが、理科の先生や教科書に書かれていることは、最先端科学的観点では既に覆っているため、その点に関して気を使って書いているように思うのです。 結論の出ない質問かと思いますが、歴史好きの方に意見をお聞きしたいと思います。
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専門として歴史学を行っております。 質問者さんの疑問は 歴史を「義務教育」で学ぶ必要があるのか? また、 今の「義務教育での歴史の教え方」はおかしいのじゃないのか? の二点に集約されると思います。 一方で、回答のみなさんは「歴史は必要か?必要である」という答えになっているので噛み合ってないとこもあるのだと思います。 で、僕の意見としては 回答者さんの疑問は最もである。ただし、「義務教育で教えられる」歴史を「歴史学」と勘違いされては困る。 という事です。 たくさんの回答者さんがおっしゃってますが、今の「義務教育」での歴史の教え方は○×問題を解かせる知識と受験偏重もので、良いものではありません。 歴史学とは本来的には「今いる自分」、「今いる他人」がどうして「今、現在、この形(きている服装から階層まで)でいる」のかを過去の事象を検討していくことで解き明かそうとする大変哲学的なものです。 つまり、物理学が自然現象を数式に置き換えて把握し世の中を理解しようとし、医学や生物学が有機生命体を細断し観察することで理解しようとするように、歴史学は「過去」を利用して人間や世の中を理解しようとするものです。 余談ですが、この部分を別に金儲けにならないとか、歴史では飢えた人間は救えないとかの理由で否定されますと、話になりません。別に自然科学にしても別に人や世の「ため」だけに成立しているわけではないことをあなたが知らないだけです。有用な技術とは最初から有用なのではなく、「有用にしたい」という思いがあってはじめて有効だということです。いい例が原爆と原子力発電だと思います。 また、ピンとこないかもしれませんが、歴史は「科学」です。科学である以上、前提となる確定事実が必要になります。これが弥生時代はいつからとか、聖徳太子は何年に死んだとかの部類ですから、ちゃんと重要です。 実は自然科学の理論だって、結局は「観察」でしか論証できません。 また、最も説得力のある理論が今、幅をきかせているだけです。 アインシュタイン以前のニュートン力学はそれだけで、世界の全てを説明できるだろうと考えられていましたが、アインシュタインの出現によってそれは否定されました。また、次の存在がアインシュタインを否定するでしょう。 そういう意味では、歴史学も自然科学も違いはありません。歴史学の方が数学的でないというだけの話です。歴史学の定説と呼ばれるものは、ちゃんと同意を得た上で定説になっているわけです。だからこそ、新たな発見でひっくり返されたりするのです。 というわけで、実際の歴史学と「義務教育の教え方」と言う点では、今の「義務教育における歴史の教え方」は意味がないのではないかと思います。むしろ、司馬遼太郎の歴史小説や歴史マンガとかを読んだほうが良い面もあるのかと思います。 では、「義務教育での歴史の必要性はあるのか」 これには以下の考え方があると思います。 まず、国民国家という観点で、今住んでいる国の歴史を均一に全員に教えることで、日本国民を形成するという点です。 よく日本人は均質的と呼ばれますが、それは全員がある種、均質的な教育を受けているからこそ、同じような考え、同じような思いを抱けるのです。 ある意味、日本人が諸外国に対してコンプレックスを抱きやすいのは、多かれ少なかれそういう教育を受けてきた、しかもその代表が歴史教育だったという点は否めません。 つまり、歴史教育は日本国民形成には一定の役割が認められる以上、歴史教育を行うべきだという事です。 また、今いる自分を考える材料にもなりますから、歴史を教えることで、科学的ではない社会的な側面から自己を形成するのに役立つと思います。 「日本人」はたんぱく質だけでできているのではなく、歴史によって作られているためです。 もう一方で諸外国を理解するために歴史を学ぶという点があります。 日中、日韓問題なんかは明らかに歴史認識の違いに端を発しているわけです。だからこそ、議論のテーブルについて議論し尽す事で、否定にしろ肯定にしろ、相手の立場を理解しやすくなります。 そのためにも歴史を勉強する必要はあると思います。 つまり、「義務教育で歴史を教えること」は、生徒の自己認識を深め、他者への理解に有効である、と、わたしは考えるので、するべきだと思います。 ただ、今の「義務教育の教え方」ではそれは叶わないと思いますので、変える必要はあると思います。 結論として、歴史を学ぶ事は意味があることだが、今の義務教育の教え方はおかしいから変えるべきだ。 というのが私の意見です。
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- Sombart
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> 「私は理解しなくていい」と理解しましたが、それでいい > んですよね? 間違っています。「いい」の定義が無い以上、これは何も言っていないに等しいからです。これはむしろ、「他人はオレの言っていることを理解しなくてもオレは構わない」とあなたが主張していることを意味します。 それはともかく、あなたが作業を放棄したということは、あなたが No.23 への補足として付けた「どう違う」という質問に対し、「全く違う」とあなた自身が答えを出したということを意味します。 結論として、あなたの「学ばないための言い訳」は全て破棄されました。おめでとうございます。
補足
あなたの言われている事が正しいのか正しくないのか、私にはさっぱりわかりません。 ただ、それだけです。 作業を放棄したことは確かですが、私自身は「全く違う」と答えを出しているつもりはありません。 歴史を学んでないからなのか、他に理由があるのかわかりませんが、あなたのような調子で語られても私のようなアホには理解できません。 今はあなたのような教え方をする人が、自分の子どもの教師にならないことを祈るだけです。 私はあなたに感謝しませんが、あなたの言われることが正しいならば、他の方が感謝することでしょう。
- lee-miranda3
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今までロムさせてもらってましたが、まだしめてなかったので書かせてもらいます。 #26さんへの補足に >>国としての必要性として歴史を学ばせる必要はあるんでしょうね。 この書き込み見て orz となりました。 どうしてお隣さんたちが他国の教科書にクレーム入れるか小泉首相が内政干渉だと言ったかわかってきませんか? どなたでもご両親が誰か分からないというのは不安になることだと思います。歴史を知らないというのは親が誰だかわからないと同じだと思います。 >結論の出ない質問かと思いますが、 とありますが、結論はすでに出ています。 「歴史は学ぶべきもの」です。古来から。 質問者さんは学ぶ必要がないと結論ありき。 だからずっと平行線のままではないでしょうか。 質問者さんに樋口清之氏「逆・日本史1~4」の読破をお勧めします。筆者はすでに亡くなられているのでだいぶ古い本ですが地元の図書館にでも置いてあるでしょう。現代から古来へと遡っていく結果としての今、原因としての過去の切り口で書かれています。読みやすいです。 余力があればこの著者の代表作「梅干と日本刀」をぜひお読みになってください。 凄く読みやすい本ばかりです。
補足
>どうしてお隣さんたちが他国の教科書にクレーム入れるか小泉首相が内政干渉だと言ったかわかってきませんか? 国が国民をコントロールするために歴史教育は非常に有用な手段だ、ということに気づきました。 これでは中途半端に歴史を知っているよりも、歴史を全く知らないほうが寧ろ個人にとっては良いのではないかと思えませんか? >歴史を知らないというのは親が誰だかわからないと同じだと思います。 屁理屈かもしれませんが、自分の産みの親だの誕生日なんて100%確信の持てるものではないわけですよね。 書類作成などの都合上ただ記憶しているだけのことではないでしょうか。 「昨日のことも歴史」となれば、育ての親にも言及できるのでしょうが、そこまでなると複雑すぎて私には理解できないと思います。 >質問者さんは学ぶ必要がないと結論ありき。 >だからずっと平行線のままではないでしょうか。 そうですね。 答える側は「学ぶ必要ある」と結論ありきですしね。 できれば「学ぶ必要がある」と思いたいですけど、 「嘘を教えられるのはまっぴらごめん」という心境です。 「嘘」という表現がいけないのなら、「昨日は○○と言ったけど、やっぱり××にするから」と何度も言われるのを快いとは思わない、ということです。 本の紹介ありがとうございます。 司馬遼太郎の本で挫折したくらいですから、読破できるかどうかは自身がありませんが、探してみたいと思います。
- Sombart
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> 公教育は有限の能力しか有しない人間が行う制度だから (中略) > 義務教育では、データの検証や応用を行わなくて良い ここまでの流れは、一点を除いて問題無いですね。 私の記述である「見切るラインが存在する」とあなたの書いた「見切らざるを得ない」とは、同じ意味ですからここは構いません。が、この部分が後段で「行なわなくて良い」に摩り替わっているのは、頂けません。 「Aである」ということと、「Aであってよい」ということの区別が曖昧になるのは実は日本人の特徴の一つですが、両者、全く別物です。 そして、意識的にせよ無意識的にせよあなたの戦略は、この曖昧さを利用して「私が言っていないことまで私の発言を拡大させ、私が言っていない部分のおかしさを批判して私が誤っているということにする」であることが判明しましたが、これは残念ながら通じません。 従って、ここでの終端は、下記のようになります。 「義務教育では、データの検証や応用までは見切らざるを得ない」 が、まだあなたの作業は終わっていません。「(義務教育では)データ量が膨大であるゆえにそのデータの検証や応用を一切行なわなくても良い」に、辿り着いていませんから。 特に、指摘済みのポイントである「であるゆえに」と「一切」が出てきていませんね。 続きをお願いします。 後半、いろいろと言い訳を並べていますが、幻に向かって身構えているに過ぎませんから、止めておきましょう。、 とは言え、言い訳の中に認識の誤りがありますから、それは指摘しておきます。 > 論理飛躍をさせる 仮に論理を飛躍させたとしたら、それはあなたがさせたのです。あなたの発言はあなたの脳内で構築されたものであり、そこに私の出る幕はありません。 自分の責任を他者に転嫁させるのは止めましょう。 > 1対1形式である以上 この質疑応答は誰でも見ることができ、誰でも発言することができるます。実際、何人もの私以外の回答者が存在しています。1対1ではありません。 そして、1対1形式という前提が誤っていますから、「である以上」で接続しても後半は意味がありません。 > 単なる自己満足で終わる こう書くということは、「単なる自己満足で終わる」ことが悪いと言っていると読解するのが通常の日本語読解ですからその前提で話を進めます。 で、自己満足で終わることの、どこに問題があるのでしょう? 回答者の活動とは回答者がボランタリーに行なっていることです。そして、一般論としてボランティアの目的の一つは自分が満足することです。そして私もその例に漏れません。 目的の一つが達成されるのですから、回答者にとってはそれで終わっても十分でしょう。 まあ、OKWave の形式上、質問者の疑問が晴れるという結果も目的として設定されていて良いとおもいますが、それは質問者の資質に大きく依存することですから、回答側の努力代はあまり大きくありません。そんなものを偏重するのは、愚かなことです。
補足
「私は理解しなくていい」と理解しましたが、それでいいんですよね? いつか理解できる日が来るのか、永久に来ないのかわかりませんが。
- nacam
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13番です。 補足についての件です。 >「知識は凄いけど、中学数学で解ける問題で何でそんなに苦しんでるの?」と同僚に思うことはありますよ。 それが、受験勉強の弊害です。 受験勉強は、単なる知識の詰め込み、暗記にすぎず、応用を全く重視しません。 歴史についても同じ事で、画一的な答えばかりを求めるため、単なる知識を詰め込む事のみを目的にするため、質問者のような疑問が生じます。 >義務教育で教える必要性って私はわからなくなるんですよ。 義務教育ってなんでしようか? 私は、勉強の機会を与える事だと思っています。 歴史に関して言えば、歴史の面白さ、奥深さ、を知ってもらう事が、歴史を学ぶきっかけになればと思います。 歴史は、単に教えられた事を鵜呑みにするのではなく、自分で調べる事、その結果を多方面から検証する事が、もっとも歴史を学ぶうえで必要だと思います。 それが、自分の力で考え、判断する力をつける事になると思っています。 >どうして歴史の授業では殆どの場合、1つの答えしか教えないのでしょうか。 「テストの採点に不向きだから」という理由だとしたら怠慢そのものではないでしょうか。 そのとうりだと思います。 現在の学校での授業は、受験のための授業になってしまっています。 それは歴史だけでなく、受験で良い点をとっても、全く英語が話せなかったり、数学の公式はできても、実生活で簡単な数学の応用ができなかったりする事と、同じことです。 18番の補足で、 >自分に教えた歴史担当の教師も知識が薄弱だったんじゃないか、って気もしてきましたね。「でもしか」先生だったのかなって。 と言われていますが、多分そうだと思います。 受験勉強用に、詰め込む事はできても、思考力を育てる事については、全く知識も経験も無かったのでしょう。 しかし、現在では、生徒に受験で高得点を取らせることができる教師が、高評価を得てしまうという実態があるのも事実です。 私が、歴史の話をすると、歴史に興味が無いと言う人でも、かなり興味をもってくれます。 学校では決して教えない裏話や、全く別の事として教える事件の関係性、物事を多方面から指摘するため、意外な事実や関係性を指摘するためです。 ただし、それは、受験には全く役立ちませんが。 19番の補足で >「弥生時代が○○世紀頃から」というのが、そんなに大切なのか、と思っちゃいますね。 全くそのとうりです。 大切な事でもなんでもありません。 年号でも、1年や2年のズレは、歴史を学ぶうえで、全く必要ありません。 ただし、原因と結果の順番は、絶対に必要な事です。
補足
>私が、歴史の話をすると、歴史に興味が無いと言う人でも、かなり興味をもってくれます。 社会人になって初めてそういう人が私の前に現れました。色々話してくれるので今は興味を持っています。 そういう人に中学時代に出会えていたらな、と思いますね。 たまに夜寝られないときなどはNHK「高校地理」や「高校歴史」を観るときあります。受験を意識していない番組で(と感じるのは私だけかもしれませんが)、一つの事に関してけっこう詳しくやるので面白いと思いますね。
- Sombart
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>>データ量が膨大である故にそのデータの検証や応用を一 >>切行わなくても良い >は >>一から千まで教わらないと分からない人間は、所詮その程 >>度ですから、そこまで拾い上げるほど公教育というものは >>網羅的ではないというだけの話ですね。 >>有限の能力しか有しない人間が行う制度ですから、どこか >>には必ず見切るラインというものは存在するものです。 >と、どう違うのでしょうか? こう問うということは、差が分からないということですね。 差が無いとみなした、あなたの評価ポイントを教えてください。 しかし、むしろ私の方が「どこが似ているのですか?」と問いたいくらいですね。
補足
公教育は有限の能力しか有しない人間が行う制度だから 一から千まで教わらないと分からない人間を見切らざるを得ない ↓ 一から千まで教えることはできないし、仕方が無いので、行わなくても良い。 ↓ 「データの検証や応用」は千より小さいと思いますが、一よりは大きい筈だし、義務教育で行っていないので、 ↓ 義務教育では、データの検証や応用を行わなくて良い 論理の飛躍があると言うのでしたら、 あなたの文章は、論理飛躍をさせるくらい不親切きわまりない説明不足の文章であり、 とても「教える」などというレベルのものではないと思います。 私のレベルをわかっていると仰りたいのであれば、そのレベルに合わせて説明するのでなければ、 ここが1対1形式で場である以上、単なる自己満足で終わるのではないでしょうか。
- Sombart
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> >あなたが引用した部分の直後に解説してある通りです。 > すみません、よくわかりません。 > あなたが言ったことを引用した後に「であれば」を付け > たのに、それが成立しないとはどういうことなのでしょう? No.21 を読み直しましょう。あなたが引用した部分の直後に解説してある通りです。 なお、ここであなたの勘違いがまたも明らかになりましたが、「であれば」が成立する要件は、「引用する」のみではありません。「であれば」の後に続く文章が「であれば」の前にある文章を是として前提としている必要があります。あなたの場合、逆ですね。 > >> 一部をつくというのは誤りなんですか? > > 言うまでも無く誤りです。本気で聞いているのなら、あ > >なたは文章を読む能力が十分に構築できていません。本気 > >でないなら、困っているということでしょうね。いずれに > > せよ、自業自得というものです。 > 「自業自得」という言葉が出ましたが、説明を放棄したと > 考えてよろしいのでしょうか。 「が」の前後が繋がっていませんね。順接でも逆接でもない、全く関係の無い話が「が」の後に来ています。こういうケースは、発言者の脳内で突如湧出した思い込みであることをたいてい意味します。そのような問いに他者が答えられるはずがありません。 そもそも、私は放棄どころか場合分けまでして説明をしています。 >>しないことをあなた自身の発言が証明したことが、ここでの >>ポイントです。 >仮に私以外の全員が証明したと感じたとしても、私が理解し >ない限り質問に答えたことにならないのではないでしょうか。 あなたがどう思っているのかは知りませんが、世の中では答えたことになるかどうかと、質問者の理解とは、直接の関係はありません。「何の役に立つと言えるのでしょうか」という問いに対して、「○○の役に立つと言える」という形で私は明確に答えを出しており、答えるとはそういうことです。 その内容をあなたが理解するかしないかはあなたの問題です。理解できないとしたら、あなたが理解したくないか、あなたの「理解」という単語の用法が世間一般と違うのか、あなたが質問文を正しく書いていなかったか、そういう辺りでしょう。 > とにかく、今までのをまとめると > 歴史というのは『勝ち組』となるに必要であるが、膨大な > データベースであるため、そのデータベースの処理(検証や >応用)を義務教育の中では一切行わなくてもよい >ということでよろしいでしょうか。 「勝ち組」や「一切行わなくてよい」という話は今まで全く出てきていませんから、その時点でまとめとしては失格です。しかも、2005年12月現在において人口に膾炙している特殊な意味の用法を伴う「勝ち組」という単語を使い、その定義をしていない時点で、少なくとも2通りの解釈ができますから、この記述は意味不定です。 また、内容は一切無視して文字解釈をしても、データ量が膨大である故にそのデータの検証や応用を一切行わなくても良いという話には、なりません。 結論として、あなたは誰も言っていないことを勝手に「まとめ」と称しているだけですね。 従って、ダメですね。
補足
>データ量が膨大である故にそのデータの検証や応用を一切行わなくても良い は >一から千まで教わらないと分からない人間は、所詮その程度ですから、 >そこまで拾い上げるほど公教育というものは網羅的ではないというだけの話ですね。 > 有限の能力しか有しない人間が行う制度ですから、どこかには必ず見切るラインというものは存在するものです。 と、どう違うのでしょうか?
- Sombart
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> >「であれば」がせいりつしません。 > これは、どういうことですか? > 目的意識を持った人は勝手に身に付けるのではないのですか? あなたが引用した部分の直後に解説してある通りです。 > >考えるためには知識が前提として必要です。 > 偽りであっても必要なわけですか。 何が偽りなのやら。私の No.5 での記述が、一切頭から抜けているようですね。読み直しましょう。このような経緯もまた、歴史です。 > >一部をつくという誤りを犯したあなたです > 一部をつくというのは誤りなんですか? 言うまでも無く誤りです。本気で聞いているのなら、あなたは文章を読む能力が十分に構築できていません。本気でないなら、困っているということでしょうね。いずれにせよ、自業自得というものです。 まあ、結論として、このような枝葉末節にしか言及できなくなった時点で、あなたの「勉強しないことの言い訳」は尽きていると言えます。 とは言え、「あなた」が歴史を勉強する意思を持つかどうかはどうでもよくて、「あなたによる」「歴史を勉強する必要が無い」という主張が成立しないことをあなた自身の発言が証明したことが、ここでのポイントです。
補足
>あなたが引用した部分の直後に解説してある通りです。 すみません、よくわかりません。 あなたが言ったことを引用した後に「であれば」を付けたのに、それが成立しないとはどういうことなのでしょう? >> 一部をつくというのは誤りなんですか? > 言うまでも無く誤りです。本気で聞いているのなら、あなたは文章を読む能力が十分に構築できていません。本気でないなら、困っているということでしょうね。いずれにせよ、自業自得というものです。 「自業自得」という言葉が出ましたが、説明を放棄したと考えてよろしいのでしょうか。 >しないことをあなた自身の発言が証明したことが、ここでのポイントです。 仮に私以外の全員が証明したと感じたとしても、私が理解しない限り質問に答えたことにならないのではないでしょうか。 とにかく、今までのをまとめると 歴史というのは『勝ち組』となるに必要であるが、膨大なデータベースであるため、そのデータベースの処理(検証や応用)を義務教育の中では一切行わなくてもよい ということでよろしいでしょうか。
- Sombart
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> >全く関係の無い話ですね。何が言いたいのか意味不明。 > 社会も生物の個体も集合であるということです。 > 個人の挙動の集合体が社会であるなら、 > 細胞の挙動の集合が個体になるわけですよね。 > こう説明すればわかっていただけすか? 「あるなら」が成立していません。ですから、あなたの想定は間違いです。 要素還元主義で社会を語れるという主張は、はるか昔に誤りであることが証明されています。これも、歴史を知らないと犯す誤りの事例ですね。 > >目的意識を持った人は、そんなことを教えなくても勝手 > >に身に付けるからです。 >であれば、わざわざ公教育の場で歴史を扱う必要は無いので >はないでしょうか? 「であれば」がせいりつしません。 掛け算を学ぶには足算が必要であることは、既に述べたとおりです。No.18 への補足であなたが勘違いしていることが確認できますが、考えるためには知識が前提として必要です。最低限ではなく、かなり豊富に。 > 「人が2人以上いて、その中の目的を持った人間がいた場合、 > その人間には、過去の為政者のデータである歴史が必要であ > る」ということですか? そういうことです。ルールも知らずにポーカーをすれば、100%敗れます。 >>「全体がなんとなくよければ、土台なんてどうでもいい」と >> いうことでしょうか。どこかの建設会社みたいですね。 > > そんなに自己卑下することはありません。 > Sombartさんのことを言ったつもりなんですけどね。 あなたのつもりがどうあれ、あなたのことをあなたは記述しています。 > 一部を突かれたら困る文を書いたわけでしょ? いいえ。困る可能性があるとしたら、一部をつくという誤りを犯したあなたです。「間違えました」と認めて誤りを是正することができなければ、困るでしょう。できるなら、あなたも困らないでしょうけれど。私としては、その誤りを批判すればいいだけですから、全く困りません。
補足
まずNo.20の補足で >こう説明すればわかっていただけすか? 「ま」が抜けたことをお詫びします。 >「であれば」がせいりつしません。 これは、どういうことですか? 目的意識を持った人は勝手に身に付けるのではないのですか? >考えるためには知識が前提として必要です。 偽りであっても必要なわけですか。 >一部をつくという誤りを犯したあなたです 一部をつくというのは誤りなんですか?
- Sombart
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> あくまで社会という個人の集合を扱っていることがほとんどだ > と思います。ある人の性格がわかれば、その人の細胞一つ一つ > までわかるということであれば話は別ですが。 全く関係の無い話ですね。何が言いたいのか意味不明。 > それに学校の授業で扱う人物というのは大抵は為政者です > ね。そんなに為政者のデータが万人に必要ですか? 誰が万人などという話をしているのでしょう? 無目的な人間には何も必要ないと最初から言っています。そして、そもそも社会活動はイコール政治活動です。人が二人以上いれば政治が必ず生じるということもまだ分からないうちは、歴史を学ぶ意味も理解できないでしょうね。 > しかも実在したかどうかも確定的でない事象がデータたり > うるのでしょうか。 もちろん、足りえます。史料には一級から五級まで確からしさでランキングが付けられていますが、五級の史料からすら、言えることがいろいろとあります。 まあ、今のところあなたは歴史を学ぶ気が無いようですから、そこまでは教えてあげません。気になったら、自分で調べましょう。 > また細かいところしか見ていないと言われそうですが、掛 > け算は義務教育で扱いますよね。理数系に関しては「こん >なに教える必要あるのか」というところまで教えていると思 >います。 細かい、ではなくて「あなたに理解できるレベルに落として」解説しているに過ぎません。あなたは掛け算を学んだから、足算の上にそれがあることを理解できたわけです。 つまり、そのステップがあることは、これで理解できたということです。 で、歴史に関しては、次のステップをあなたは今知りませんが、ステップの存在を知った以上、歴史における「次のステップ」の存在を、あなたは否定できなくなりました。それで十分です。 > 「歴史というのも自分自身が検証しようという気持ちを持 > たないといけない学問だ」ということを義務教育の間で何 > 故教えようとしないのでしょう。 目的意識を持った人は、そんなことを教えなくても勝手に身に付けるからです。一から千まで教わらないと分からない人間は、所詮その程度ですから、そこまで拾い上げるほど公教育というものは網羅的ではないというだけの話ですね。 有限の能力しか有しない人間が行う制度ですから、どこかには必ず見切るラインというものは存在するものです。 >>土台だけ見て全体像を見ていないようですね。 >「全体がなんとなくよければ、土台なんてどうでもいい」と > いうことでしょうか。どこかの建設会社みたいですね。 そんなに自己卑下することはありません。 まだあなたはビルを建てるどころか土台の整備もしていないのですから、住民に非難される以前の段階です。まだ挽回できますから、その気があればがんばってください。
補足
>全く関係の無い話ですね。何が言いたいのか意味不明。 社会も生物の個体も集合であるということです。 個人の挙動の集合体が社会であるなら、 細胞の挙動の集合が個体になるわけですよね。 こう説明すればわかっていただけすか? >目的意識を持った人は、そんなことを教えなくても勝手に身に付けるからです。 であれば、わざわざ公教育の場で歴史を扱う必要は無いのではないでしょうか? >人が二人以上いれば政治が必ず生じるということもまだ分からないうちは、歴史を学ぶ意味も理解できないでしょうね。 「人が2人以上いて、その中の目的を持った人間がいた場合、その人間には、過去の為政者のデータである歴史が必要である」ということですか? >>「全体がなんとなくよければ、土台なんてどうでもいい」と >> いうことでしょうか。どこかの建設会社みたいですね。 > そんなに自己卑下することはありません。 Sombartさんのことを言ったつもりなんですけどね。 一部を突かれたら困る文を書いたわけでしょ?
- netcatme
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賢者は歴史から学ぶ、という言葉もありますし、歴史は年代を覚えることが歴史の流れ関連を掴むのに重要ですから、まあ、歴史を楽しむ前の予備知識と言うところだったのだと卒業してから思っています(それでも年代は直ぐに忘れましたが)。 まあね、科学とは永遠の仮説である、と誰かが言ってましたからいろいろな学説よりも有力説を覚えさせようというのかもしれません。でも、私的には様々な学説を入れてほしかったと思います(覚えるのには煩わしいから受験のときにはそうは思えなっかたとは思いますが)。
補足
年代自体を覚えること自体は、ある程度までなら仕方がないと思います。横の繋がりというか、他の国や分野の繋がりを捕えやすくなりますからね。 しかし「弥生時代が○○世紀頃から」というのが、そんなに大切なのか、と思っちゃいますね。 教科書には目安として書いているのかもしれないけど、教科書に書かれている以上テストに出る可能性も出てしまうわけで…。
補足
もやもやとしていたものを少しすっきりさせていただいたように思います。ありがとうございます。 >余談ですが、 私も「役に立つかどうかわからない研究」はやっていますから、その辺は理解しているつもりです。 >アインシュタイン以前のニュートン力学はそれだけで、世界の全てを説明できるだろうと考えられていましたが、 >アインシュタインの出現によってそれは否定されました。また、次の存在がアインシュタインを否定するでしょう。 この辺は私は認識が違うんですよね。 歴史を知らない人間なので間違っているかもしれないですが、 ニュートン力学の破綻が見えてきた頃に相対論が現れた、と思っています。 自然科学にも幾つもの謎がありますから、それを説明する理論はきっと現れる時が来るのでしょうね。 それはどうあれ先にも少し書いたんですが、ニュートン力学では破綻している部分があるものの、大雑把に成り立っているんですね。相対論を発表して100年ほどになった今でもニュートン力学は有用なものと言えると思います。「新しいPCが発売されて多少は悔しいけど、古いPCでもまだ使えるからいいや」と似た心境です。 それと比べると、例えば弥生時代の始まった時代が大幅に変わるというのは「今まで使ってたPCで新発売のソフトが使えなくて、また新しいPCを買わなきゃきえないのか」みたいな心境に陥っちゃうんですね。 「これこれこういう史料があるから、どうも弥生時代は○○年頃に始まったらしい」ということを少しでも義務教育で話してくれてたらな、と思うわけです。 国としての必要性として歴史を学ばせる必要はあるんでしょうね。