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歴史ってなぜ学ぶ必要があるの?

学生時代、歴史が苦手だったものです。ひがみと捉えられても構わないのですが…。 「日本最古の通貨は和同開珎」とか「任那という国があった」とか「弥生時代は○○年頃に始まった」とか、最近になって覆ってしまった事実を、私が学生だった頃に覚えさせられた記憶があります。 そんなことを覚えさせる学校の先生も浅はかだな、と今では思うのですが、実際にテストで出るのですから仕方がないとも言えるのでしょう。社会の教科書も含めてそうだと言えると思うのですが、こんなに不確定なことを覚えさせて何の役に立つと言えるのでしょうか。 こういう話をするとよく「自然科学も同じだ」と言われる方がいますが、理科の先生や教科書に書かれていることは、最先端科学的観点では既に覆っているため、その点に関して気を使って書いているように思うのです。 結論の出ない質問かと思いますが、歴史好きの方に意見をお聞きしたいと思います。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kondew
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回答No.26

専門として歴史学を行っております。 質問者さんの疑問は 歴史を「義務教育」で学ぶ必要があるのか? また、 今の「義務教育での歴史の教え方」はおかしいのじゃないのか? の二点に集約されると思います。 一方で、回答のみなさんは「歴史は必要か?必要である」という答えになっているので噛み合ってないとこもあるのだと思います。 で、僕の意見としては 回答者さんの疑問は最もである。ただし、「義務教育で教えられる」歴史を「歴史学」と勘違いされては困る。 という事です。 たくさんの回答者さんがおっしゃってますが、今の「義務教育」での歴史の教え方は○×問題を解かせる知識と受験偏重もので、良いものではありません。 歴史学とは本来的には「今いる自分」、「今いる他人」がどうして「今、現在、この形(きている服装から階層まで)でいる」のかを過去の事象を検討していくことで解き明かそうとする大変哲学的なものです。 つまり、物理学が自然現象を数式に置き換えて把握し世の中を理解しようとし、医学や生物学が有機生命体を細断し観察することで理解しようとするように、歴史学は「過去」を利用して人間や世の中を理解しようとするものです。 余談ですが、この部分を別に金儲けにならないとか、歴史では飢えた人間は救えないとかの理由で否定されますと、話になりません。別に自然科学にしても別に人や世の「ため」だけに成立しているわけではないことをあなたが知らないだけです。有用な技術とは最初から有用なのではなく、「有用にしたい」という思いがあってはじめて有効だということです。いい例が原爆と原子力発電だと思います。 また、ピンとこないかもしれませんが、歴史は「科学」です。科学である以上、前提となる確定事実が必要になります。これが弥生時代はいつからとか、聖徳太子は何年に死んだとかの部類ですから、ちゃんと重要です。 実は自然科学の理論だって、結局は「観察」でしか論証できません。 また、最も説得力のある理論が今、幅をきかせているだけです。 アインシュタイン以前のニュートン力学はそれだけで、世界の全てを説明できるだろうと考えられていましたが、アインシュタインの出現によってそれは否定されました。また、次の存在がアインシュタインを否定するでしょう。 そういう意味では、歴史学も自然科学も違いはありません。歴史学の方が数学的でないというだけの話です。歴史学の定説と呼ばれるものは、ちゃんと同意を得た上で定説になっているわけです。だからこそ、新たな発見でひっくり返されたりするのです。 というわけで、実際の歴史学と「義務教育の教え方」と言う点では、今の「義務教育における歴史の教え方」は意味がないのではないかと思います。むしろ、司馬遼太郎の歴史小説や歴史マンガとかを読んだほうが良い面もあるのかと思います。 では、「義務教育での歴史の必要性はあるのか」 これには以下の考え方があると思います。 まず、国民国家という観点で、今住んでいる国の歴史を均一に全員に教えることで、日本国民を形成するという点です。 よく日本人は均質的と呼ばれますが、それは全員がある種、均質的な教育を受けているからこそ、同じような考え、同じような思いを抱けるのです。 ある意味、日本人が諸外国に対してコンプレックスを抱きやすいのは、多かれ少なかれそういう教育を受けてきた、しかもその代表が歴史教育だったという点は否めません。 つまり、歴史教育は日本国民形成には一定の役割が認められる以上、歴史教育を行うべきだという事です。 また、今いる自分を考える材料にもなりますから、歴史を教えることで、科学的ではない社会的な側面から自己を形成するのに役立つと思います。 「日本人」はたんぱく質だけでできているのではなく、歴史によって作られているためです。 もう一方で諸外国を理解するために歴史を学ぶという点があります。 日中、日韓問題なんかは明らかに歴史認識の違いに端を発しているわけです。だからこそ、議論のテーブルについて議論し尽す事で、否定にしろ肯定にしろ、相手の立場を理解しやすくなります。 そのためにも歴史を勉強する必要はあると思います。 つまり、「義務教育で歴史を教えること」は、生徒の自己認識を深め、他者への理解に有効である、と、わたしは考えるので、するべきだと思います。 ただ、今の「義務教育の教え方」ではそれは叶わないと思いますので、変える必要はあると思います。 結論として、歴史を学ぶ事は意味があることだが、今の義務教育の教え方はおかしいから変えるべきだ。 というのが私の意見です。

sak_sak
質問者

補足

もやもやとしていたものを少しすっきりさせていただいたように思います。ありがとうございます。 >余談ですが、 私も「役に立つかどうかわからない研究」はやっていますから、その辺は理解しているつもりです。 >アインシュタイン以前のニュートン力学はそれだけで、世界の全てを説明できるだろうと考えられていましたが、 >アインシュタインの出現によってそれは否定されました。また、次の存在がアインシュタインを否定するでしょう。 この辺は私は認識が違うんですよね。 歴史を知らない人間なので間違っているかもしれないですが、 ニュートン力学の破綻が見えてきた頃に相対論が現れた、と思っています。 自然科学にも幾つもの謎がありますから、それを説明する理論はきっと現れる時が来るのでしょうね。 それはどうあれ先にも少し書いたんですが、ニュートン力学では破綻している部分があるものの、大雑把に成り立っているんですね。相対論を発表して100年ほどになった今でもニュートン力学は有用なものと言えると思います。「新しいPCが発売されて多少は悔しいけど、古いPCでもまだ使えるからいいや」と似た心境です。 それと比べると、例えば弥生時代の始まった時代が大幅に変わるというのは「今まで使ってたPCで新発売のソフトが使えなくて、また新しいPCを買わなきゃきえないのか」みたいな心境に陥っちゃうんですね。 「これこれこういう史料があるから、どうも弥生時代は○○年頃に始まったらしい」ということを少しでも義務教育で話してくれてたらな、と思うわけです。 国としての必要性として歴史を学ばせる必要はあるんでしょうね。

その他の回答 (28)

  • keydaimon
  • ベストアンサー率28% (80/285)
回答No.8

#3です。 実際あったかどうかはわからない。それはおっしゃるとおりです。昔の書物になればなるほど、恣意的に改ざんされた可能性もありますし、文章で現れてこない事柄を推測するのは容易なことではありません。 しかし、現在としてできうる限りのことをしたとしたら、#5さんの仰るように定説としての議論も含めて価値のあるものでしょう。 「覚える」そして「義務教育で学ぶ」意味を考えていらっしゃるようですが、それこそ、どの教科であれ、歴史を出発点にするものが多いのではないでしょうか。 でも考えてみると、覆るのは考古学が絡んでくる時代ですよね。それ以降の、特に近世などはよっぽどのことがないかぎり覆りません。(それでもくつがえるときがあるのも楽しいですね。) 私は、小学生・中学生の頃は、非常に不確定な古代が嫌いでした。聖徳太子あたりから好きになり始めましたが(笑) 自分の中ではそれらは完全に違うものです。有史以前と以後という感じです。有史以前は殆ど推測だったりしますからね。それはそれなりのおもしろさがあると思います。 ただ、そういった理由で、受験生を全員納得させられる自信はありません。ただ、私は自分が生まれる前の映像などが流れると、何故かわくわくします。自分の常識が通用しない世界があるようで。 余談ですが、自然科学は、「実験」することができる、即ち再現可能性があるものを対象としますので、そもそも一回限りの歴史とはかなり隔たりがあるかと思います。書き方の問題ももちろんあるでしょう。

sak_sak
質問者

補足

> 歴史を出発点にするものが多いのではないでしょうか。 というより学問の出発点を考えようとすると、歴史になってしまうということではないでしょうか。 高校生物で「遺伝子の本体がDNAである」ということを、くどいまでに教えていますが、当時はタンパク質が遺伝子の本体であると思われていた、という時代背景がわかれば納得はいきますね。 >(それでもくつがえるときがあるのも楽しいですね。) 南京大虐殺などは、その一例でしょうか。 「藪の中」でしたっけ。一つの事件にしても、当事者ですら解釈が違うということはありますね。 > 聖徳太子あたりから好きになり始めましたが(笑) 聖徳太子も実在したのかどうかという議論があるみたいですね。 > 書き方の問題ももちろんあるでしょう。 そうですね。書き方の問題はかなりあると思います。 「あったと考えられている」などと書くべきだと思いますね。

回答No.7

ご質問の主旨とは少々違うかもしれませんが、別の観点からお答えします。 >こんなに不確定なことを覚えさせて何の役に立つと言えるのでしょうか。 確かにそうですよね・・・。こんなこと憶えて実社会で何の役に立つの・・・? 私も学生時代、似たような感情を抱いていました。しかし、若い頃に勉強して知識を蓄えることは、後々役立つからということだけではありません。憶える、考えるという脳を鍛えることだと思ったらいかがですか?! そうしたら少しは、やる気になりませんか? 学生時代憶えた知識は、実社会で殆ど役に立たなくても、憶える、考えるという能力は一生役に立つものです。 特に十代は脳が飛躍的に発達する時なので、その時に鍛えておけば一生の財産だと思いますよ。今は筋トレをするように脳を鍛えてはいかがでしょうか。 勉強が嫌だったら、任天堂の「脳を鍛える大人のDS」のようなものでも効果があるのでは・・・?!

sak_sak
質問者

補足

>憶える、考えるという脳を鍛えることだと思ったらいかがですか?! それが歴史である必要性が何なのか、 もっと確実な事実を覚えさせるほうが良いのではないか、 と思われませんか? >そうしたら少しは、やる気になりませんか? 今は少しやる気ありますよ。 と言っても、大河ドラマとか歴史番組を観る程度ですけど。

回答No.6

そうですね。僕も次々に覆る歴史を見ていると、学ぶ意義を疑ってしまいます。なんで、ウソかホントかわからないようなことを分かったような口調で偉そうに語っているのか信じられませんね。ゴットハンドの人がばれたときなんて「あ、やっぱり」なんて思ってしまいました。前置きが少し長くなりました。 受験を考えて、重箱の隅をつつくようなくだらない問題が多いからそういう印象になるんだろうと思います。でも、細部を知らずに全体を把握するのも難しいですから、ある程度用語を知っとくのも必要かと思います。自分が知らないことを他人には説明できないでしょうし、相手が知っていることを自分が知らないとそのことについては議論ができません。あと、当たり前ですけど、歴史は推測の上に成り立っているものだから修正・変更が生じます。現実に起きている裁判ですら本当とウソを見抜くのが難しいことからも何百年も前のことを正確に言い当てるのはほぼ不可能なのではないでしょうか。 個人的に必要性を感じたのは外人と歴史の話をしたときです。縄文、弥生時代なんて話題になりませんが、近代の話とかどことどこが戦争したとか、どうしてそれが起こったか、今どうなっているか・・・などなど。中国の人に、「731部隊についてあなたはどう思う?」なんて聞かれたこともあります。そのとき、知らないと恥ずかしいし、答えられません。自分の国がどういう経緯を経て現在に至っているかくらいは、おぼろげにでも知っておくべきだと思います。日中、日韓と歴史問題が叫ばれる中、自分も認識していないと、一方的に非難されてしまいます。 もう1つは、「歴史は繰り返す」ではないですけど、歴史というのは過去の人たちの経験から成り立つノンフィクション(一部フィクション入ってるみたいですけど)だということです。そこには様々な体験談が集約されています。何かの体験談は次の機会(未知の出来事と遭遇したとき)に役立つものです。 他にはタダ単に趣向の問題というのもありますね。小説みたいな感じで。数学だって哲学だって、生活にゆとりのある人が暇な時間にはじめたものらしいです。 いろいろ知って心を豊かにするカテになればいいのでは?くらいが無難ですかね。 長々と失礼しました。

sak_sak
質問者

補足

>ゴットハンドの人がばれたときなんて「あ、やっぱり」なんて思ってしまいました。前置きが少し長くなりました。 あれは教科書にも影響が出たようですね。 すごく離れたところで、ぴったり合う石器だかが見つかったんでしたっけ? あの時点でおかしいと思う人も多かったと思いますが、何も感じない歴史家もいたということでしょうか。 他の方の補足のところにも書きましたが、今は歴史を楽しんでますよ。皆さん方に比べれば稚拙なものだと思いますがね。授業で苦しめられてなければ、もっと早く楽しめたかもしれないのに、と思っています。

  • Sombart
  • ベストアンサー率16% (45/267)
回答No.5

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言います。  個人が得た気になる程度のちっぽけな経験則よりも、はるかに確からしさと有用性の大きな経験則を、歴史は与えてくれます。それゆえに、何かを達成しようとする人は、無駄な試行錯誤を避けるために、歴史を学ぶのです。  何も目的が無いのなら、歴史に限らず何も学ぶ必要はありません。  そもそも必要性とは、目的によって変わるのですから。  歴史に話を戻すと、定説が覆ることは、定説の価値が無いことを意味しません。ある説が定説とされるまでには、慎重な検討や議論があるのです。それを知らないから、「不確定」などと言ってしまえるのです。  なお、定説というものが、どういう変遷をしているのかという経緯自体も、立派な「歴史」です。そのことを含めて学んでいるということを弁えましょう。  従って、「日本最古の通貨は和同開珎」などという形で覚えるのは、馬鹿の一つ覚えと変わりませんから、それ自体にさして価値はありません。本当に大切なのは、いつ時点の定説としてそうであるのか、それが定説として定まったのはどのような背景があるのか、それを踏まえることです。このプロセスは、歴史学に限らずあらゆる体系的学問の学習に応用が利きます。そして、このようなことを考えるには、馬鹿の一つ覚えレベルの基礎知識はベースとして必要なのです。  学校で学ぶ程度の歴史教育とは、このような足がかり作り、土台作りに過ぎません。土台の地味さだけを見て後に立つ建築物の壮麗さを無視するのは自由ですが、それは想像力と思考力の欠如を表出しているに過ぎないことを、自覚しましょう。

sak_sak
質問者

補足

>個人が得た気になる程度のちっぽけな経験則よりも、はるかに確からしさと有用性の大きな経験則を、歴史は与えてくれます。 断定する前にこの根拠を示していただけないでしょうか。 >なお、定説というものが、どういう変遷をしているのかという経緯自体も、立派な「歴史」です。 この「歴史」は必ずしも学校では歴史として学びませんね。 仮説を立て論証していく過程は義務教育においては、むしろ数学や理科などの授業で学んでいると言っても良いのではないでしょうか。 >このプロセスは、歴史学に限らずあらゆる体系的学問の学習に応用が利きます。 必ずしも歴史でなくとも良い、ということになりませんか?

回答No.4

あなたが生まれてから今までの生きてきた 経験や記憶がなくなってしまったら、 これから生きていくのが困難になるでしょう。 日本や世界の過去の経験、歴史もかけがえの ないもので、それを学ぶことは 現代の世界情勢を知るのと同じくらい 重要だと思います。

sak_sak
質問者

補足

であれば、なぜ年号を丸暗記させたりなどの教育を行うのでしょうか。 それから、歴史で学んだことが人生において役立った経験がおありなら、どのような経験か教えていただけませんか?

  • keydaimon
  • ベストアンサー率28% (80/285)
回答No.3

例えば、ある芸能人が居たとします。俗っぽい言い方で恐縮ですが、突然、ものすごく有名になったとします。 そのとき週刊誌は、その人の生い立ちなどを取り立てて報じます。何か事件を起こした犯人についても同じくです。 人の探求心というのは、多岐にわたり、途方もなくどん欲です。鉄道マニアなら路線をすべて覚えるでしょうし、パソコンマニアなら最新のCPUの型番をすべて暗記していることでしょう。 そのような中で、唯一全員が学ぶべきことは、どんな事件・出来事、つまりどんな歴史の上に我々が生きているかということなんじゃないでしょうか。死んだおじいちゃんはこんな人だったよ、と聞いて「別に知りたくない」と思うようでしたら話は終わりですが。 歴史は繰り返すと言います。少なくとも人類全員が歴史を学べば、繰り返すことも少なくなるかもしれません。

sak_sak
質問者

補足

実際あったことなのかもわからないことなのに、ですか?

回答No.2

あくまで個人的な意見です。 私は日本史よりも世界史の方が好きだったので論点がずれてるかもしれませんが、 >最近覆ってしまった現実 歴史を教えられていなかったら、歴史に興味を持って考古学者になる人もいなくなりますし、そのように新事実を発見することもなくなると思います。 歴史を単なる教養とみなすのもありですが、人類の探求心の賜物とみることもできるのではないでしょうか。

sak_sak
質問者

補足

>歴史を教えられていなかったら、歴史に興味を持って考古学者になる人もいなくなりますし 学校で教えなくとも発展するものはありますよね。 例が悪いかもしれませんが、プロレスは学校では教えませんが、プロレスラーはいなくなりませんよ。

  • sirowan777
  • ベストアンサー率14% (270/1906)
回答No.1

本来、学問というものは覚えるためのものではありません。 あくまで教養をつけるためのものです。 覚える必要があるのは、受験があるからです。 受験がないのなら、覚えなくてもいいのです。 歴史なら、その流れさえつかめればいいわけです。 歴史は人類という集団の経験です。 学ぶ価値のあるものです。

sak_sak
質問者

補足

教養という意味ではそうですね。私も今は楽しんでますから。 では「義務教育で教えるべきものか」とか「高校入試で出題していいのか」という意味ではいかがでしょうか。

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