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歴史ってなぜ学ぶ必要があるの?
学生時代、歴史が苦手だったものです。ひがみと捉えられても構わないのですが…。 「日本最古の通貨は和同開珎」とか「任那という国があった」とか「弥生時代は○○年頃に始まった」とか、最近になって覆ってしまった事実を、私が学生だった頃に覚えさせられた記憶があります。 そんなことを覚えさせる学校の先生も浅はかだな、と今では思うのですが、実際にテストで出るのですから仕方がないとも言えるのでしょう。社会の教科書も含めてそうだと言えると思うのですが、こんなに不確定なことを覚えさせて何の役に立つと言えるのでしょうか。 こういう話をするとよく「自然科学も同じだ」と言われる方がいますが、理科の先生や教科書に書かれていることは、最先端科学的観点では既に覆っているため、その点に関して気を使って書いているように思うのです。 結論の出ない質問かと思いますが、歴史好きの方に意見をお聞きしたいと思います。
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質問者が選んだベストアンサー
専門として歴史学を行っております。 質問者さんの疑問は 歴史を「義務教育」で学ぶ必要があるのか? また、 今の「義務教育での歴史の教え方」はおかしいのじゃないのか? の二点に集約されると思います。 一方で、回答のみなさんは「歴史は必要か?必要である」という答えになっているので噛み合ってないとこもあるのだと思います。 で、僕の意見としては 回答者さんの疑問は最もである。ただし、「義務教育で教えられる」歴史を「歴史学」と勘違いされては困る。 という事です。 たくさんの回答者さんがおっしゃってますが、今の「義務教育」での歴史の教え方は○×問題を解かせる知識と受験偏重もので、良いものではありません。 歴史学とは本来的には「今いる自分」、「今いる他人」がどうして「今、現在、この形(きている服装から階層まで)でいる」のかを過去の事象を検討していくことで解き明かそうとする大変哲学的なものです。 つまり、物理学が自然現象を数式に置き換えて把握し世の中を理解しようとし、医学や生物学が有機生命体を細断し観察することで理解しようとするように、歴史学は「過去」を利用して人間や世の中を理解しようとするものです。 余談ですが、この部分を別に金儲けにならないとか、歴史では飢えた人間は救えないとかの理由で否定されますと、話になりません。別に自然科学にしても別に人や世の「ため」だけに成立しているわけではないことをあなたが知らないだけです。有用な技術とは最初から有用なのではなく、「有用にしたい」という思いがあってはじめて有効だということです。いい例が原爆と原子力発電だと思います。 また、ピンとこないかもしれませんが、歴史は「科学」です。科学である以上、前提となる確定事実が必要になります。これが弥生時代はいつからとか、聖徳太子は何年に死んだとかの部類ですから、ちゃんと重要です。 実は自然科学の理論だって、結局は「観察」でしか論証できません。 また、最も説得力のある理論が今、幅をきかせているだけです。 アインシュタイン以前のニュートン力学はそれだけで、世界の全てを説明できるだろうと考えられていましたが、アインシュタインの出現によってそれは否定されました。また、次の存在がアインシュタインを否定するでしょう。 そういう意味では、歴史学も自然科学も違いはありません。歴史学の方が数学的でないというだけの話です。歴史学の定説と呼ばれるものは、ちゃんと同意を得た上で定説になっているわけです。だからこそ、新たな発見でひっくり返されたりするのです。 というわけで、実際の歴史学と「義務教育の教え方」と言う点では、今の「義務教育における歴史の教え方」は意味がないのではないかと思います。むしろ、司馬遼太郎の歴史小説や歴史マンガとかを読んだほうが良い面もあるのかと思います。 では、「義務教育での歴史の必要性はあるのか」 これには以下の考え方があると思います。 まず、国民国家という観点で、今住んでいる国の歴史を均一に全員に教えることで、日本国民を形成するという点です。 よく日本人は均質的と呼ばれますが、それは全員がある種、均質的な教育を受けているからこそ、同じような考え、同じような思いを抱けるのです。 ある意味、日本人が諸外国に対してコンプレックスを抱きやすいのは、多かれ少なかれそういう教育を受けてきた、しかもその代表が歴史教育だったという点は否めません。 つまり、歴史教育は日本国民形成には一定の役割が認められる以上、歴史教育を行うべきだという事です。 また、今いる自分を考える材料にもなりますから、歴史を教えることで、科学的ではない社会的な側面から自己を形成するのに役立つと思います。 「日本人」はたんぱく質だけでできているのではなく、歴史によって作られているためです。 もう一方で諸外国を理解するために歴史を学ぶという点があります。 日中、日韓問題なんかは明らかに歴史認識の違いに端を発しているわけです。だからこそ、議論のテーブルについて議論し尽す事で、否定にしろ肯定にしろ、相手の立場を理解しやすくなります。 そのためにも歴史を勉強する必要はあると思います。 つまり、「義務教育で歴史を教えること」は、生徒の自己認識を深め、他者への理解に有効である、と、わたしは考えるので、するべきだと思います。 ただ、今の「義務教育の教え方」ではそれは叶わないと思いますので、変える必要はあると思います。 結論として、歴史を学ぶ事は意味があることだが、今の義務教育の教え方はおかしいから変えるべきだ。 というのが私の意見です。
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- takaaka5335
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鵜呑みにさせてしまうという授業の仕組みが 歴史問題が起こる原因なんでしょうね。 本来歴史を学ぶというのは教科書に書いてある事象を 自分でそれらの背景をいろんな面から考察して 自分なりの考えを作って初めて 学んだことになると思うんです。 学校の授業は時間が限られているため、また 試験があるためそれらの事象をそのまま 受け止めて覚えてしまうんでしょうね。 これでは政府の思う壺ですね。 歴史は政治という人間の生命を動かすものと 最も深く接する重要な学問の一つなのに 考察という重要な過程に時間を避けないのでは 学ぶ意味があるのかと 質問者さんが思うのも仕方がないでしょう。 本当は試験科目から外して欲しいとも思いますが それだと学ぶ、学ぶ意思を持つ人が少なくなって それこそ政府の思い通りになってしまう。 難しいですね・・
補足
高校もそうですが小中学校の理数関係は、教える内容を減らしてまで、考える力を身に付けさせようという努力はしています。 でも歴史については、あまりそれを感じないんですよね。週5日制になったから、教える内容は減りましたが(今は復活したのかもしれませんが、ルネサンスが消えましたよね)、「もしかしたら覆るかもしれない」という可能性を微塵も感じさせない授業だったように思いますね。 ここで質問に関する答えを読ませてもらっているうちに、だんだん学校教育に関する怒りを感じるようになりました。自分に教えた歴史担当の教師も知識が薄弱だったんじゃないか、って気もしてきましたね。「でもしか」先生だったのかなって。
- cse_ri2
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No.15の補足への返答です。 >日中問題や日韓問題は、まさに歴史の問題と言えると思いますが、 >歴史の授業や教科書というのは、国家の都合のいいように教えられて >いる側面がないとは言い切れないと思います。 >学校の歴史授業により悪い言葉で言えば「洗脳」されていると言って >もよいのではないでしょうか。 >「教えて!goo」などで議論をしている方は別かと思いますが、多く >の人は教科書に書いてあることや、授業で先生が言ったことを鵜呑み >にしまいます。 まさに、そのとおりです。 誰の言葉かは忘れましたが『歴史教育と歴史研究は違う』というのを 聞いた覚えがあります。 歴史研究は、まさに学問の分野ですね。 しかし、歴史教育は違います。歴史教育は、青少年たちに国民としての 意識を植えつけるためのものであり、その意味では洗脳そのものです。 現状の日本の歴史教育は、正直歪んでいると思います。 『自虐史観』という言葉が出てきても、全くもって不思議ではありません。 だからこそ、より歪みが少なく、自分たちの国に誇りを持てるような歴史 教育が必要なんです。 次に必要なのは、学校の歴史教育の偏りを修正できる環境が、社会に 準備されていることです。いわゆる、思想の自由ですね。 歴史に対する、自由かつ多様な意見を学べることが重要でしょう。 私が司馬文学にハマったのは、まさに歴史教育の一面性に気づかせて くれたからです。 その点、中国や韓国の若者はかわいそうだと思います。国内が反日イデオロギー で統一されており、それに反する見解が政治的・社会的に抑圧されている からです。 実際、中国や韓国の学生が、外国に留学に出て始めて自分たちの受けて きた教育の問題に気がつくことがあるという話を、ときおり聞きます。 >司馬遼太郎は「最後の将軍」を途中まで読んで挫折しました。 最初に読むにはレベルが高い本でしたね。 無難なところでは、「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」あたりが妥当でしょう。 旅行好きなら、「街道をゆく」もいいですよ。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
追伸。ここのHPの記事も読んでみてください。 『そうだったのね!日本史φ(._.)』 http://www.geocities.jp/sou_nihonshi/ 「That's雑談」-「なぜ歴史を勉強するの?」の内容は、一読の価値ありです。 私の回答やNo.14の方の回答とほぼ同じ内容が、面白おかしく(?)書かれています。 ここのHPは、面白いコンテンツばかりです。 学校の歴史の授業がトラウマになっている方には、とくにオススメしたいサイトですね。
補足
ありがとうございます。 「さかもとりょうこ」って一瞬、龍馬の奥さんかと思いました。 最近エピソードを楽しむことはよくあるのですが、固有名詞が覚えられないのは今でも憤りを感じます(自分に)。そもそも実社会でもなかなか人の名前を覚えられないですからね。 フランスの「ルイ1?世」とか色々エピソードを目にしますが、どれが誰だかこんがらかって、面白みが半減してるんだろうな、と自分で思いますよ。
- cse_ri2
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過去に類似の質問があるので、紹介します。 『歴史を学ぶ意味』 http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=965563 私もその質問で回答しているのですが、今世界や日本のあちこちで起きている社会問題の大半は、過去に原因があります。 問題というのは原因があって過程があって、その結果出てくるものです。 問題を解決するには、原因と過程を知ることが必要ですよね。 今起きている問題の背景を知り、そして解決の道を模索するために、歴史を学ぶ必要があるのです。 そんな難しいことは、一部の政治家や官僚だけ知っていればいいという意見もあるかもしれませんが、日本が民主主義国家である以上、主権者たる国民もある程度知っている必要はありますよね。 もし国民が無知だと、一部の政治家や官僚に騙され、いいように振り回されてしまう恐れがあります。 そんなわけで、歴史の勉強というのはきちんとしておく必要があると、私は考えています。 ただ、学校で教える歴史の授業は、実質的に受験勉強が目的となっています。 だから、つまらないです。つまらないから、歴史を学ぶことに抵抗感を持つ人が少なからずいるのが現状かと思います。 私自身のことを言えば、中学で日本史を学んでいるときは退屈そのものでした。 しかし、高校で世界史を学び始めて、はじめて歴史が面白いと思うようになりました。 その先生の教え方もうまかったと思います。テストも単語の暗記に重点を置かず、歴史の流れについて重点を置いていました。 その後、司馬遼太郎全集に触れる機会があり、一気にのめりこみました。 そこで歴史を知る面白さを知り、現在に至っています。(笑)
補足
>問題を解決するには、原因と過程を知ることが必要ですよね。 >今起きている問題の背景を知り、そして解決の道を模索するために、歴史を学ぶ必要があるのです。 日中問題や日韓問題は、まさに歴史の問題と言えると思いますが、歴史の授業や教科書というのは、国家の都合のいいように教えられている側面がないとは言い切れないと思います。 学校の歴史授業により悪い言葉で言えば「洗脳」されていると言ってもよいのではないでしょうか。「教えて!goo」などで議論をしている方は別かと思いますが、多くの人は教科書に書いてあることや、授業で先生が言ったことを鵜呑みにしまいます。 義務教育の範囲での話ですが、理科は実験や観察を通して自分で検証しようという立場を一応とっていますが、歴史は「どうしてそういうことがわかったか」「もしかしたら今後の研究によって覆るかもしれない」という部分をほとんど取り扱っていないように思います。 こういうことなら、まさに「有害」になっている人の方が多いのではないかと思います。 司馬遼太郎は「最後の将軍」を途中まで読んで挫折しました。
- nanairo-unko
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「我々は何処から来たのか、我々は何処へ行くのか、我々は何者か」有名なゴーギャンの言葉です。 歴史を学ぶのも、自然科学を学ぶのも、つまるところ探求心です(探求心をもつというのは、人間が人間たるゆえんといっても良いでしょう)。 探求心がもっとも根源的な要因ではありますが、自然科学は科学技術として、便利な生活を提供してくれます。「歴史を学ぶのは、過去の過ちを繰り返さないため」です。 受験勉強などの歴史は年代を暗記したりなど無味乾燥です。本来、学校で学ぶ歴史は、歴史の面白さを教えてくれることであるべきです。受験の手段として使われていては、歴史に限らず、いかなる学問もその面白さをしることは出来ないと思います。 歴史小説をよめば、実際に過去に存在した人間の偉大さを知ることも出来ます、その人のように生きたい、と思うこともあるはずです。坂本龍馬なんてのは良い例です(司馬遼太郎氏の功績は大きいですが)。 また、京都などで、古刹を見たときに、この寺では、今から1000年前にこんな出来事が有ったんだ、と思いを馳せれば、ロマンでもあります(まあ、後で再建されたお寺であったりしますが(^^;))。歴史的な知識がない人は、同じ建物をみても、古くさい、汚い、としか思わないのではないのでしょうか。 歴史に限らず、知識があるということは、同じ事象を見ても受け取り方が深くなります。地質学の知識がある人が、通りすがりに山肌をみれば、ここにはこんな岩石がある。ということは、どんな農作物に適している、とか、この地形の成り立ちはこんなだったのだろう・・と考えることができるわけです。私のような門外漢にはただの土としか見えませんが。 こんなところでいかがでしょうか。 「」内のことばは、誰かは忘れましたが、引用です。
補足
>「歴史を学ぶのは、過去の過ちを繰り返さないため」です。 衆愚政治とならないために、過去の失敗を繰り返さないよう教化しておかないといけない、ということでしょうか。 民主主義国家としては必要なもの、ということですね。 日本を「よくできた社会主義」という人もいるようですが、それであれば現状のような歴史教育で良いのかもしれませんね。 >歴史的な知識がない人は、同じ建物をみても、古くさい、汚い、としか思わないのではないのでしょうか。 ちょっと話はそれるのですが、「この寺は、昔からこんなに汚かったんだろうか。この塗装は色褪せているみたいだけど鮮やかな色だったんだろうな、この仏像も昔は金ピカだったんじゃないか」と思うことがあります。「今は“渋い”と思うけど昔はすさまじく“派手”だったんじゃないか」と。 >私のような門外漢にはただの土としか見えませんが。 私がうがって読んでいるのかもしれませんが、 もし地質学は必要なく、歴史は必要とお考えでしたら、 なぜ「ただの土」と思うのは良くて、「古臭い寺」と思うのはいけないのか、お聞かせいただけますか?
- nacam
- ベストアンサー率36% (1238/3398)
受験のための歴史は、はっきり言いまして、無意味です。 それは、全く応用が利かないためです。 もっともそれは、受験の数学、受験の古文などなど同じですが。 歴史を、暗記するものではなく、「ストーリーを楽しむ物」と考えてみてください。 歴史には、その辺のサスペンスドラマなどより、よほど、ミステリーに富み、ナゾが沢山あります。 推理小説などは、一度トリックが分かれば、繰り返し読む必要は有りませんが、歴史では、次々と事件が起こりますし、いくつもの事件が、複雑にからまり、読んだり、調べたりするほど、ナゾが深まります。 ナゾを探求したいという、興味から、調べれば調べるほど、ナゾが深まるのが、歴史のおもしろさです。 また、現在起こっている事件なども、過去に根ざしたものがほとんどです。 イスラエルとパレスチナの問題は、2000年前まで遡りますし、イスラム原理主義も、1500年前まで遡って考える必要があります。 最近話題の、愛子様の女性天皇、女系天皇の問題も、過去に根ざした問題です。 日中、日韓の問題も、しかりです。 自分の都合の良い部分だけを切り離して、あたかも自分達が、正しいと主張していることを、真に歴史を知らないと、信じ込んでしまいます。 そういった偏向した意見にまどわされないためにも、歴史を学ぶ必要があります。 歴史の答えは、一つでは有りません。 いくつもの答えを、考える事こそ、歴史の勉強なのです。
補足
>受験のための歴史は、はっきり言いまして、無意味です。 >それは、全く応用が利かないためです。 >もっともそれは、受験の数学、受験の古文などなど同じですが。 稀なケースだとは思いますが、私はいま機械メーカで仕事をしていますが「知識は凄いけど、中学数学で解ける問題で何でそんなに苦しんでるの?」と同僚に思うことはありますよ。 >歴史を、暗記するものではなく、「ストーリーを楽しむ物」と考えてみてください。 歴史のおもしろさ、というか歴史小説のおもしろさ、というのは何となくわかりますが、こういう観点だと義務教育で教える必要性って私はわからなくなるんですよ。 >最近話題の、愛子様の女性天皇、女系天皇の問題も、過去に根ざした問題です。 報道で「天皇家はずっと男系で通してきた」というのをきいたのですが、自分では本当なのか確信をもてませんでしたからね。女性天皇がいたことは知ってましたけどね。 >歴史の答えは、一つでは有りません。 >いくつもの答えを、考える事こそ、歴史の勉強なのです。 では、どうして歴史の授業では殆どの場合、1つの答えしか教えないのでしょうか。 「テストの採点に不向きだから」という理由だとしたら怠慢そのものではないでしょうか。
- pyon1956
- ベストアンサー率35% (484/1350)
>こんなに不確定なことを覚えさせて何の役に立つと言えるのでしょうか といえば、実技科目以外の全教科が多かれ少なかれそうです。自然科学については気を使っている、というのはむしろ教育的配慮であって、難しくならないように「こう考えておくことにする」と宣言しているだけです。 そもそも学校というところは「正しいこと」を教えるところではありません。そうではなく「正しいこと」を自分なりに考えるための手がかりを教えるところです。 第一、いちいちこれの真実度は**%、とかいって解説するわけにもいかないし、その数字もいい加減かつ主観的になります。 だからその時代の共通理解としての知識を示すことになります。 任那があった(これは必ずしも覆っていませんよ?賛否両論がある、というのが現状です)として、たしかにその知識だけ知っていても無意味でしょうが、それと日本列島の勢力との関係は、とか、漢帝国と朝鮮の関係は、とか考えるとき、任那があると無しでは違った結論が出ることもあります。 また数学など特にそうなのですが、1+1=2というのは確かに役に立ちますが、なんでそうなるのか、そういうふうに考える理由は、といえば、やはり背後に膨大な歴史があるわけです。そういうことを無視して「覚えておけ」というのでは困りものです。テストにでるだのはもうどうでもいいことですね。 結局そういう瑣末な知識をそれぞれおぼえても、それを有機的に組み合わせないことには何も本当にはわかりません。そこを間違えると歴史に限らず「学ぶ必要」がないどころか、有害になることもあります。
補足
>そうではなく「正しいこと」を自分なりに考えるための手がかりを教えるところです。 「自分なりに考え」させようという教育的配慮が歴史に関しては少ないと思いませんか? >任那があると無しでは違った結論が出ることもあります。 できれば両方を教えてほしかったですね。 邪馬台国も近畿説と北九州説の両方を教えられたように記憶していますが、他には「こういう説もあるし、こういう説もある」という習い方はしなかったように思います。 学校の先生自身いくつもの説があることを知らないっていうことはあるのでしょうか。もちろん中には詳しい先生もいるでしょうが、その逆もあるんでしょうかね。
- Sombart
- ベストアンサー率16% (45/267)
> >個人が得た気になる程度のちっぽけな経験則よりも、はる > >かに確からしさと有用性の大きな経験則を、歴史は与えて > >くれます。 > 断定する前にこの根拠を示していただけないでしょうか。 それを聞いてしまうということ自体、歴史を知らないことを意味します。これはまさに、歴史を知らないと的確な判断ができないという事例ですね。 ここでは、歴史を全く知らなくても理解できる解説をしましょう。個人は一人です。歴史を紡ぐのは兆単位の人数です。そして、社会を構成する人数は一人よりはるかに多くの人数です。 社会に対応するための法則を作るに当たって、一人のデータを使うのと兆単位の人数のデータを使うのと、どちらの精度が上だか分かりますか? 以上です。 > この「歴史」は必ずしも学校では歴史として学びませんね。 だから、何でしょう? 足算ができなければ掛け算は学べません。学校で学ぶレベルなどは、所詮その程度です。私が予言したとおり、想像力と思考力の欠如を表出しているようですが、そこはあなたの問題ですからご自分で解決して下さい。 > 必ずしも歴史でなくとも良い、ということになりませんか? そこだけ切り出せば、そうなりますよ。つまり、そこだけ切り出すのが間違いだということです。こういうところからしても、土台だけ見て全体像を見ていないようですね。
補足
>ここでは、歴史を全く知らなくても理解できる解説をしましょう。個人は一人です。歴史を紡ぐのは兆単位の人数です。そして、社会を構成する人数は一人よりはるかに多くの人数です。 >社会に対応するための法則を作るに当たって、一人のデータを使うのと兆単位の人数のデータを使うのと、どちらの精度が上だか分かりますか? あくまで社会という個人の集合を扱っていることがほとんどだと思います。ある人の性格がわかれば、その人の細胞一つ一つまでわかるということであれば話は別ですが。 それに学校の授業で扱う人物というのは大抵は為政者ですね。そんなに為政者のデータが万人に必要ですか? しかも実在したかどうかも確定的でない事象がデータたりうるのでしょうか。 >足算ができなければ掛け算は学べません。学校で学ぶレベルなどは、所詮その程度です。 また細かいところしか見ていないと言われそうですが、掛け算は義務教育で扱いますよね。理数系に関しては「こんなに教える必要あるのか」というところまで教えていると思います。 多くの人は大河ドラマであっても無批判に受け容れていると思います。「ドラマだから…」というフィルターをかけて観ていない人が多いように思います。「歴史というのも自分自身が検証しようという気持ちを持たないといけない学問だ」ということを義務教育の間で何故教えようとしないのでしょう。 >土台だけ見て全体像を見ていないようですね。 「全体がなんとなくよければ、土台なんてどうでもいい」ということでしょうか。どこかの建設会社みたいですね。
- Elim03
- ベストアンサー率23% (146/632)
歴史を学ぶ最大の意義は「歴史というものは人間社会において今後起こるであろうことの参考になるから」というものだと思います。 単純に「何年何月に何が起きた」というのを丸暗記しても、それは受験対策でしかなく、真に歴史を学ぶ態度とはずれがあるように考えます。 かつて、このような情勢の時に、社会の人々はこのように反応したが、それはこのような悲惨な結果に終わった。これは、もともとこのような社会情勢であった上に、このような条件が重なったことにより結果で、考えさせられる問題である。」というような学習方法でないと、歴史の意義は理解できないものと思います。 人間の歴史は、良くも悪くも成功と失敗のデータベースです。 それを活かして、今後の問題を解決すること・・・というのが、歴史学の神髄だと考えます。 例えば、今の情勢で言えば、「金融恐慌」が発生して極端なデフレになったときに、かつて我々の先人達はどのような対策を取って、どのように成功又は失敗したのか? ということを知ることは、極めて重要な教訓です。 また「国が滅びる」という場合の決定的パラメータはどんなものだったか? というのをを知るには、過去の王朝や帝国(特にローマ帝国)の盛衰記を学ぶと、「あ、今の日本は過去の例に照らすと、あの状態に酷似していて、ヤベーんじゃねーか?」と思えたりするのも、歴史学習の醍醐味です。 だいたい、歴史学習を怠っている人間が政治を切り盛りするとろくなことになりません。
補足
> 例えば、今の情勢で言えば、「金融恐慌」が発生して極端なデフレになったときに、かつて我々の先人達はどのような対策を取って、どのように成功又は失敗したのか? ということを知ることは、極めて重要な教訓です。 未だに中学(公民だったかな)で「不景気なときは何をすればよいか」→「公共事業」などという問題がテストで出てます。問題の正確な言い回しを忘れてしまったのですが、これって今の専門家でも賛否両論別れているわけですよね? > だいたい、歴史学習を怠っている人間が政治を切り盛りするとろくなことになりません。 不景気でし、戦争や報道に関連する法案が次々と成立している現在って危機感は感じますね。 しかも国民はドラスティックな改革者を求めています。
文学や勿論科学も、時代的背景ってものがありますしね。 それから、役に立ちますよ。鎌倉が近いんですけど、良く外人に 歴史説明してますから。以外と喜んでくれるし。 まぁ、ソレはソレとして、不確定じゃなくて、普通は進歩と呼ぶ 気がしますけどね。進化かも。 そして、常に吸収していかなければ、自身が役に立たなくなりま すな。例えば、もう20年前の米語は、アメリカ人でも解らない 単語が、形容詞なんかに多くありますし。ま、日本語も同様で、 もう、レコード屋なんて言わないし、某ハンバーガーチェーンを ファッキンとか言われちゃ、わかんないですからねぇ。 そんなところで。
補足
古典力学が破綻して量子力学や相対性理論が生まれたと思いますが、ほとんどの場合は古典力学だけでも十分な知見を得ることができる、と聞きます。 進歩というのは、そういうことじゃないでしょうか。
補足
もやもやとしていたものを少しすっきりさせていただいたように思います。ありがとうございます。 >余談ですが、 私も「役に立つかどうかわからない研究」はやっていますから、その辺は理解しているつもりです。 >アインシュタイン以前のニュートン力学はそれだけで、世界の全てを説明できるだろうと考えられていましたが、 >アインシュタインの出現によってそれは否定されました。また、次の存在がアインシュタインを否定するでしょう。 この辺は私は認識が違うんですよね。 歴史を知らない人間なので間違っているかもしれないですが、 ニュートン力学の破綻が見えてきた頃に相対論が現れた、と思っています。 自然科学にも幾つもの謎がありますから、それを説明する理論はきっと現れる時が来るのでしょうね。 それはどうあれ先にも少し書いたんですが、ニュートン力学では破綻している部分があるものの、大雑把に成り立っているんですね。相対論を発表して100年ほどになった今でもニュートン力学は有用なものと言えると思います。「新しいPCが発売されて多少は悔しいけど、古いPCでもまだ使えるからいいや」と似た心境です。 それと比べると、例えば弥生時代の始まった時代が大幅に変わるというのは「今まで使ってたPCで新発売のソフトが使えなくて、また新しいPCを買わなきゃきえないのか」みたいな心境に陥っちゃうんですね。 「これこれこういう史料があるから、どうも弥生時代は○○年頃に始まったらしい」ということを少しでも義務教育で話してくれてたらな、と思うわけです。 国としての必要性として歴史を学ばせる必要はあるんでしょうね。