kondewのプロフィール
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みなさまよろしくおねがいします。
- 登録日2005/05/31
- 武家は男系どころか血統も気にしないのはなぜか
皇室の男系維持論は根強いですね。さて、武家は男系どころか、血のつながりのまったくない人間が後嗣になっても気にしないのはなぜですか。皇室が男系にこだわっている一方で。。。 小生、江戸時代の大名家の系譜を調べてますが、大名家で男子がいない場合、娘に婿養子を迎えるはあたりまえです。いったん婿養子が当主になると血のつながりのない人間が家を継ぐことになりますが、娘に男子が生まれてそれがその次に家をついでくれたらなんとか女系で血統つながります。ところがだいがい正室の子は育たず、婿養子と側室の子が後嗣になったり、正室が早死してまったくの他家から継室を迎えたり、ひどくなると婿養子が男子に恵まれず実家の弟を養子に連れてきたりと、婿養子の次の代以降も血のつながりがない人間が家を継いでるケースが多いです。 有名な例では会津の松平容保は尾張分家からの養子で会津先代の娘の婿養子になるが娘は早死し、結局側室の子の容大、保男が次代、次々代になってます。つまり、明治以降の会津家は初代保科正之とは血統がつながってないわけです。 また徳島の蜂須賀も将軍家斉の養子をもらってますが、それより以前に高松松平家の養子を迎えた段階で蜂須賀の血は切れてます。 大名でなくても、貧乏御家人は御家人株を売って金持ち町人から養子という形で実質家を明け渡しています。これこそどこかの馬の骨でもいいから苗字と家と墓と位牌を受け継いでくれればいいという考えです。
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- sumiyoshigawa
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- この古文書について詳しく勉強したい!お勧めの解説書はありますか?
江戸時代の「寛永十二年 霜月十日ニ被仰付候条々」という古文書で、老中や六人衆の仕事にいてのことが細かく書かれているものです。 この古文書についてわかりやすく解説されている本がございましたら教えてください。 というよりも、古文書の解説書はふつう、いくつもの古文書がその中で解説されているものだと思いますので、「わかりやすくて、『寛永十二年 霜月十日ニ被仰付候条々』の古文書が収録されているもの」がありましたら、紹介して下さい。 日本史はまったくの専門外である上に、古文書の解説書を購入するのも初めてです。 どの解説書が詳しくてわかりやすいのか、また、収録されている古文書を調べるにはどうしたらよいのかが検討がつきません… よろしくお願いいたします。
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- marumaru-33
- 回答数4
- この古文書について詳しく勉強したい!お勧めの解説書はありますか?
江戸時代の「寛永十二年 霜月十日ニ被仰付候条々」という古文書で、老中や六人衆の仕事にいてのことが細かく書かれているものです。 この古文書についてわかりやすく解説されている本がございましたら教えてください。 というよりも、古文書の解説書はふつう、いくつもの古文書がその中で解説されているものだと思いますので、「わかりやすくて、『寛永十二年 霜月十日ニ被仰付候条々』の古文書が収録されているもの」がありましたら、紹介して下さい。 日本史はまったくの専門外である上に、古文書の解説書を購入するのも初めてです。 どの解説書が詳しくてわかりやすいのか、また、収録されている古文書を調べるにはどうしたらよいのかが検討がつきません… よろしくお願いいたします。
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- marumaru-33
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- 歴史ってなぜ学ぶ必要があるの?
学生時代、歴史が苦手だったものです。ひがみと捉えられても構わないのですが…。 「日本最古の通貨は和同開珎」とか「任那という国があった」とか「弥生時代は○○年頃に始まった」とか、最近になって覆ってしまった事実を、私が学生だった頃に覚えさせられた記憶があります。 そんなことを覚えさせる学校の先生も浅はかだな、と今では思うのですが、実際にテストで出るのですから仕方がないとも言えるのでしょう。社会の教科書も含めてそうだと言えると思うのですが、こんなに不確定なことを覚えさせて何の役に立つと言えるのでしょうか。 こういう話をするとよく「自然科学も同じだ」と言われる方がいますが、理科の先生や教科書に書かれていることは、最先端科学的観点では既に覆っているため、その点に関して気を使って書いているように思うのです。 結論の出ない質問かと思いますが、歴史好きの方に意見をお聞きしたいと思います。