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戦前の歴史教育における古代史の扱い
戦前の歴史といえば、皇国史観に基づいて行われていたのでしょうが、古代史はどのように扱われていたのでしょうか。今の日本の教科書では考古学や支那の歴史書の記述を基にして、縄文時代や弥生時代などの記述がせられておりますが、日本書紀などの記述に従えば、弥生時代などにはすでに天皇が政治を行われていたことになりますよね。戦前の教科書はどういう風に書いていたのでしょうか。また、縄文時代や弥生時代というのは一般に知られていたのでしょうか。支那の歴史書の倭国に関する記述や、時の指導者が支那の皇帝に朝見していたという事を当時の日本人は知っていたのでしょうか。蛇足ですが、足利義満が明に入貢していたということは知られていましたのでしょうか。
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歴史教育は分離方式。 中等教育以上にすすむものと、それ以外とでは教育が違った。 中等教育以上では、リアリズム、それ以外は精神論。 この分離において、中等教育以上のものは、義満の日本国王も知っていましたよ。 どこをもって、日本人とするかで、言い方が変わりますね。
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- kankasouro
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回答No.1
大森貝塚が発見されたのは明治十年(ここから出土した土器にモースが縄文式の名をつけたのが縄文時代という名称の由来)、弥生時代の名称のもととなった土器が本郷の向ヶ岡弥生町で発見されたのは明治七年のことです。縄文時代、弥生時代といった歴史区分はすでに明治時代にあらわれています。
質問者
お礼
ご解答ありがとうございます。
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