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大和高取藩植村家の諱に「家」がつく

大和高取藩植村家は2万5千石の小譜代大名です。家政、家貞と諱に将軍家の通字の「家」がつきます。御三家、国持は通字でない字(治、斉、慶)がつきますが、「家」がつくのは植村家だけです。しかし偏諱を受けていても格も官位も小大名並みです。・・・一人だけ老中並みで侍従までなった家長がいますが・・・ なぜ植村家だけが「家」の偏諱を受けたのですか

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noname#113260
noname#113260
回答No.1

植村栄政が9才の時から徳川家康に仕え、家康の「家」の字を貰って「家政」にしたのが始まりです。 家政はその後「家存」と名を改めてます。 家存は三河松平家が織田信長と和睦・同盟した際には、家康に従って随行し、織田信長の前にも出たが、織田家からの咎めなどにも堂々と反論し、信長に賞され酒盃と行光作の刀を受けた家臣です。 その孫が祖父の旧名を貰った植村藩初代植村家政で、代々先祖の功績により、「家」を付けていますね。 徳川家康から直接貰った名前なので、特別と考えてよいのでは。

sumiyoshigawa
質問者

お礼

ありがとうございます。ときの将軍からではなく、家康からうけた偏諱を代々受け継いだわけですね。