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有力譜代の官位
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html ↑こちらのウェブサイトをみると、彦根井伊家でも従五位下の当主が何人かいますが、譜代筆頭・三十五万石の家であっても国持ち大名の様に初官従四位下侍従ではなかったのでしょうか? 井伊家は国持ち大名ではなかったのでしょうか。 大老職に就かなかった場合の井伊家の極官は何だったのでしょうか? 酒井雅楽頭家と左衛門尉家の初官・極官と、家督後何年くらいで侍従となったのかも宜しければご教授頂ければ幸いです。
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彦根の井伊家は国持ちではありません。 ただし、譜代としては最高位の溜ノ間詰めで大老になれる家柄で、初任は従四位でした。 それで歴代ですが、10代直定は分家大名となったために従五位からスタートしましたが、のちに本家をつぐことになったときに従四位に昇進しました。 11,12代については従四位で五位であったことは確認できません。
お礼
御回答ありがとうございます。 初任は四品だったのですね。 直定は分家だったから諸太夫だったのですね。