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旗本

旗本は大名と違って譜代・外様の区別がなかったようですが、外様大名分家の旗本でも五位諸太夫の要職を歴任する事は通常であったのでしょうか? 大身旗本で代々、番頭など要職を歴任する家もあれば、ほとんど代々無役寄合の家もあったそうですが、やはり家柄・出自・由緒によって差別・区別がなされていたのでしょうか? どちらか1つでも良いので、お考えをお聞かせ頂ければ幸甚に存じます。

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  • 6dou_rinne
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回答No.1

旗本は外様の分家であろうと譜代です。 もちろん外様の家から一部を分知されたという場合でも、初代は徳川に譜代同様(実質は人質として出されて)に仕えていたという例も多くあります。 ですから外様分家の旗本でも諸大夫役につくのはありました。 また、大身旗本の場合は無役でもそれほど生活が苦しいということはありませんので、名誉欲や権勢欲をもたなければ必ずしも役につく必要はありませんでした。 大身旗本の場合は、それに見合った役も限られていますし、それぞれの家の由緒や出自によって代々要職についている家なら自分が無役のままでは先祖に申し訳ないということもあったりするでしょうが、そうでなければ本人が役につきたいという積極的な気持ちがなければ、猟官運動で多額の費用をかけたり、役について苦労をするより無役で気楽に暮らしていたほうがましだという気持ちになりかねませんので、そういう差が出てきているのではないでしょうか。 また役方ならある程度能力重視ですが、番頭などの番方は初期を除けば実質的にはそれほど能力は重視されませんでしたので、家柄や由緒も重視されたのではないでしょうか。

noname#30350
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 大身はそれほど金に困ってないので小普請組の様に是が非でも役にありつきたいという想いはなかったのかもしれませんね。

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