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外様と旗本
旗本には譜代・外様の別はないとの事ですが、外様大名の分家筋や、元外様大名から事情により旗本になった家でも、大番頭や書院番頭・遠国奉行などの幕府要職に就く事はできたのでしょうか? それともそういう家は無役寄合が通常だったのでしょうか。
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旗本はすべて譜代扱いでしたから元外様大名であっても、あるいは分知された旗本でも幕府の役職へ就任することは可能でした。 元外様大名が改易されて堪忍分ということで旗本になった家の例はちょっとわかりませんが、外様大名の分家の旗本であれば町奉行の職についた例はあります。
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- tyouei
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少し話はずれますが、例えば長崎奉行。長崎奉行は長崎港で事件がおこれば,佐賀藩、唐津藩をはじめ近隣大名を動員し、指揮する権限も有していた大役です。ですから江戸幕府初期は家康近臣の大名から選ばれていたのですが、後には旗本から選ばれる様になりました。ところが、幕末には外様大名からも選ばれています(大村藩12代藩主大村純熈)。 ただ、元々大村藩4代藩主は旗本から養子としてやって来ていたために外様であった大村藩(即応性の面で長崎に一番近くに藩庁を置いていたことやイエズス会に寄進するまで長崎が大村領だったことも関係するかもしれない)も譜代に近いものと認識されていた可能性もあるので詳しいことはわかりません。兎も角時代背景もあるのでしょうが絶対に外様大名が幕府の要職に就けなかった訳では無いと思います。
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ご回答ありがとうございます。 幕末はかなり例外的だったみたいですが、外様大名が長崎奉行に就任していた事もあったのですね。 「目付」などは遠国奉行などと違って、旗本でも由緒のある旗本が独占した職で、御家人から昇格した旗本が就ける役職ではなかったようですから、譜代系と外様系の旗本でも、任用に差があるのかなと思い、質問させて頂きました。
お礼
御回答ありがとうございます。 出自が外様の旗本でも、譜代系の旗本と同様に役職に就けたのですね。 外様系が譜代系よりも無役の割合が多いという訳ではなかったという事でしょうか。 番頭など、番方・幕府軍事部門の中核を成す役職は外様系の旗本では就けないのかと思っていました。