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あなたが期待する宗教の価値について
宗教にはいろんな問題があり、どれも複雑で奥の深いものですが、タイトル通り、あなたが期待する宗教の価値について教えていただけませんか?
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宗教とは人間の究極的な欲望なんです。人間は死んでも死後の世界で生きたいという欲望が、宗教を生み出したのです。 宗教に価値があるかということですが、ギャンブルに価値があるかと言っているのに等しいものがあります。行為としてギャンブルそのものに価値を感じる人もいるでしょう。儲けがでなければ価値がないと思う人もいるでしょう。 宗教もその価値観に似ています。信じることに価値を持つ人もいるかもしれませんが、死後の世界で生きられることに価値を見出している人もいるのです。 ですがギャンブルと似て非なることは宗教の価値を、それを信じることで死後の世界で生きられるようになれる、ということで見出している人は、生きている間に結果がでないということです。 宗教に価値がないとは言いません。宗教を信じることで心の安らぎを得られる人もいます。それに宗教団体を運営し信者を増やしていけば、宗教法人は税金も安く事業としてとても儲かる商売です。良い悪いは別としてそういった意味での宗教の価値は、現実的に高いものではあると思います。
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- leo0817
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宗教に期待できる価値は 1.科学的無知による疑問の解消 2.死に対する恐怖を和らげる 3.政治・統治の手段 4.金儲け 1.自然崇拝、シャーマニズム、神話など。人が持っている知識で理解できない自然現象は神が司るものとし、 自然(大地、火、水など)を崇拝の対象とする。 2.人は、自分に必ず死が訪れるのを知っていながら生きています。医療が十分に発達していなかった頃は、 苦しみながら亡くなっていく人が多く、死に対する恐怖はとても大きかったでしょう。 これに対して、死後の世界や魂の存在を説き、恐怖を和らげようとする。 3.統治者を神格化して、従えば救われるが、従わなければ罰が下るなどとして統治する。 4.一部の悪徳な新興宗教など。信者の信仰心を利用して、お布施なのどの名目で金を集める。 ※1が最も古典的なもので、1→4で古い順と考えます。 一般論になってしまって、 >あなたが期待する宗教の価値について教えていただけませんか? の答えにはなっていないかもしれませんが、ご容赦下さい。 私個人にとっては宗教に価値は期待できず、知的欲求、学問の対象でしかありません。
- pastorius
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ぼくが知らない、死後のことや、生まれる前のことや、魂とは何かということ、宇宙の果てには何があるのか、素粒子以下の極小の世界はどうなっているのか、絶対零度以下の温度はあるのか、ぼくや地球の未来はどうなるのか、ビッグバン以前には世界には何があったのか、そういった問題について、嘘でもデタラメでも無根拠でも良いから、「大丈夫。安心しなさい。」と、ぼくを信用させてくれる宗教があったら、それはすごく魅力的な感じがします。 ちょっとやそっとでは、信用しませんが。
- sophie_h
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私が考える宗教は、以下のようなものです。 宗教は、普遍的真理でなくてはなりません。 科学的に証明される必要はありませんが、科学的に否定されるものであってはなりません。 万能ではない科学が証明できるとは限らないからですが、その科学に明白に否定されるようなものでも、普遍的真理とは言えないからです。 宗教は、その普遍的真理から、現世における人の生き方の指針となるものです。 宗教は、霊魂の存在を確信しているものです。 人には霊魂が宿り、その霊魂を霊的に向上させることが、人の現世における本来の目的であるとしています。 霊魂は肉体が滅びても存在し続けます。 宗教における神とは、あえて言えば、宇宙における大いなる存在であり、霊魂の帰着すべき霊的集合体の最上位霊です。 従って、宗教は、霊魂全体の向上をめざすものです。 地上にあっては、人間界全体の向上をめざすということです。 宗教は、金を欲しません。金がかかる宗教は、本来、存在しえません。 宗教は、人と人の競争を必要としません。人と人の協調を必要とします。 宗教は、宗教的他者を排斥しません。宗教を信じない者をそのために差別することはありません。まだ、悟らない者と認識するだけです。 宗教は、国籍・人種・性別の差別をしません。 神の前では、人はすべて、同じように、神の子であり、神の兄弟だからです。 宗教は、政治権力に無縁です。 従って、私が思う処、現世の宗教組織は俗化し、真の宗教からは、はずれているものが多いと言わざるをえません。 本来、宗教の価値は、人の確たる行動の指針となることにあります。 いわば、現世に出直し出現した迷える人の魂に、現世における本来の目的を気づかせ、その目的をできるだけ達成できるように導くことです。
- vagabond_0710
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「宗教」という枠で考えるより、「宗教」を「人生」に 置き換えてみてはどうでしょう? 質問:あなたが期待する人生の価値について 人生にはいろんな問題があり、どれも複雑で奥の深いものですが、 タイトル通り、あなたが期待する人生の価値について教えていただけませんか? じゃ、ダメですか?一応、哲学カテなので、こっちの方が本質的な問題に なるんじゃないかなと思ったのですが。やはり「宗教」にこだわりますか? 宗教の価値は、#1の方が言われているように、 「魂の価値」、僕のここでの表現だと「人生の価値」になります。 キリストや釈迦とか実在したかどうかは別として、言ってることも やってることも素晴らしいし、共感する人物でもあります。しかし 彼らの行動にこそ価値があって、その功績を周りの信者が勝手に記し、 過去に残した宗教と彼らは別だと僕は考えます。 彼らはアクションですが、宗教はリアクションにすぎません。 僕がこんなことを言うのは、「宗教」の枠に縛られるから、他の宗教 といざこざが起きて戦争にまでなってしまう狭さが不潔に思うからです。 他の宗教にも寛容でなければ、この先も地球に平和は訪れないと思います。 しかし信仰対象が絶対神だと、そこで矛盾が生じてしまう…。 また、#2の方が言われているように、教えを生み出した彼らは素晴らしい と思いますが、教えに寄りかかっているのは、まったく別ですね。 なので僕は、宗教に期待できません。それよりも、各々が自分を信じて運命を 切り開き、その人生経験の中から素晴らしい宗教性ともいえる思想的な哲学を 生み出し、共存できる社会になればいいなと思います。 僕は、今の自分以外に何も期待しません。
- pyon1956
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何も期待していません。以上。 ・・・・というのではあまりにもそっけないですね。ですが、なんかわかったような事を説教したり自分たちだけがわっかっている態の姿勢はもうそろそろ卒業すべきだと思います。 なにも神や仏をもちださずとも、価値のある考えは価値があるものだとおもうんですが。 本当に価値があるのか、またその出自からひきずっている迷信や有害・無価値なものをどうするのか。そういうことをきっちりやって生き残っていくのなら、おのずからその価値は光り輝くでしょうし、そういうことをきちんとできないのであれば、価値があるのと同程度に有害でもあるでしょう。 このあたりをきちんと考えている宗教者、宗教信者、宗教団体がどれだけいるか? それを考えるとやはり「期待してない」という答になります。 むろん、宗教を信じない私ですが、もろもろの宗教の達成したものの中からいろいろ学ばせてもらっています。しかしそれは宗教そのものの価値ではなく、かつて生きた人の生み出した優れたものだと思うので、今の信者がそのうえでふんぞり返る理由にはこれっぽちもならないと思うのです。
これ、宗教学のレポートだとしたら、こんなところで聞かないで、自分の思ったこと自由に書いたほうが面白いと思いますよ。 >期待する宗教の価値 というあたりから、「罰当たり」な表現だなぁと思います。 宗教は、グラムあたりいくらで売っているものでもなければ、 価値という『モノサシ』で計れるものでもないでしょう。 宗教の目指すものが「魂の救済」だとしたら、魂の価値が宗教の価値と いえなくもないでしょう。 ましてや「期待する宗教の価値=お布施の額」や「=壷の値段」でも ないですね。 多くの宗教で喜捨という概念を推奨しています。布施も同様です。 べつに、僧侶や聖職者の生活費を賄うために推奨しているのではなく 信心の根底に、物欲や金銭欲を捨てて、恩に報謝する心を求めている のだと思います。 とはいいながら、質問にお答えしないといけませんですね。 あなたの期待する宗教の価値・・・ですか。 宗教の値打ちは、あくまで魂を救済することですから、魂が救われない 宗教には価値は無いですね。 生きていても、人は不安ですし不満なんですね。 希望とか期待とかは際限なく伸びていくのですね。 でも、一方で若さとか元気の源は、実は欲望の量で決まるみたいなところが あって、人間枯れると若さがなくなり、若いと悩みが尽きないという ちょっとやっかいなところがあるのだと思います。 若い頃って人生の量が、推定できないものだから、なんでも控えめに 考えちゃう。たとえば、一生の間に本気の恋愛は5回でいいとかね。 いやいや、私なんか3人で十分、なんておもいながら45歳過ぎた頃には いやいや、なんやかんやでこの私も、波乱万丈の人生生きてきたなぁ なんて思うのですよ。 1000万円なんて金、若い頃には手にしたこともないけど、退職金を貰う頃 には「なんだこんなはした金で、長年働いたオレをねぎらうつもりかよぉ」 なんて毒づいている。 あるいは、せっせと繰り上げ返済で1000万円なんて借金5年で簡単に返す 人もいる。 毎日100円玉3個づつで10年で100万円貯まるのです。時間というのは 偉大です。 そうそう、宗教の価値ですね。 宗教に期待するのは、私の場合は現世の御利益ですね。 自分の望みを叶えてほしいという、そういう他力本願信心ですねぇ。 苦しいときの神頼み。それと、道に迷ったときの開運祈願。 自分でなかなかやる気が出ないこととか、疲れたときってあるでしょう。 宗教ってお前にとってユンケルみたいなものか? そういわれても仕方ないですが、正直そうですね。 厳密にいうと、私特定の宗教の信者じゃないですから、でも、神様には 結構すがっていままでやってきました。 私の神様は、たぶん御先祖さまとかでして、土着の先祖崇拝宗教の 名残ですね。 オレが子供がかわいいように、御先祖さまもきっと、子孫のオレがかわいい はずだから、オレがこまっていたら、おそらく悪いようにはしないだろう。 そういう感じで信じていたりします。 御先祖さまは、じぶんの一部で、根底は生命の共通無意識につながって いて(筆者注 このへんから急にユングに入ります)そこに願いごとを 書けば、無意識が覚えていていつか実現する(筆者注 このへんから ナポレオン・ヒルの成功哲学とポジティブ・シンキングがまじってきます) から、とにかく縁起でもないことは考えないほうがいい。 (筆者注 このへんは、日本古来の言霊信仰ですね) さてまとめますと、諦観とか喜捨とか宗教を煎じ詰めると、欲望を捨てる 方向にいきますけど、歳を経てくれば、逆に欲望の可能性を信じないと 若さが消えていきます。誰が65過ぎたら年金で暮らせって言ったんだおぅ! と啖呵切れないと、老け込んでしまう惧れもあるので、自分には無限の可能性 と収入があるんだと信じないと、年とったら生きていても面白くない。 そこで、ビジョンを実現する保証機構として、ある種の信心みたいなものが 必要になってくるのです。 国民年金が、むかしはその役割を果たしていました。いまは、介護保険 ですね。でも一番必要なのは、老後を元気に支える宗教でしょう。 それは、信じたら金がばんばん入ってきて、元気もりもり、20歳は 若返る。そういう宗教がいいですね。 御利益は3つほしい。 カネ 愛 美 まぁ健康は自分で努力してまかなうので、カネと愛と美しい自然や 住まいや街の環境や、かみさんの容姿を出来る限り美しく保ってくれたらまぁ それでいいです。 というか おもいっきり罰当たりなこと書いてしまってますね。_| ̄|○
お礼
いえいえ、意見ありがとうございます。ちなみに宿題でもレポートでもないんですが、表現が悪かったですね。すいません。