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宗教(特に信仰宗教)と聞くとどんなイメージをもたれますか?。
私はとくに特定の宗教を信仰している者ではありません。 巷では、色々な宗教が氾乱しています。そこで特定の宗教を信仰している方 や無宗教の方からの「宗教(信仰宗教)」に対するイメージとか、 印象とかをお聞きしたいです。宗教と言っても様々な思想がありますから お聞きする方の立場や価値観でご意見は様々だと思います。 難しい質問だとは思いますが、よろしくお願い致しますm(__)m。
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私は特定の宗教団体に属しているものです。 宗教、と聞いてのイメージはそんなにありません。他の宗教(教義)に関しては「いい事言ってる事もあるな。駄目な事言ってるのもあるな。」ってだけですね。自分の信じる宗教に関しては生活の一部ですから、聞いてどう評価するも何もそれは自分への評価とそんなに変わらないです。 返って無宗教である事をさも素晴らしい事だ、と自信ありげに答える人を見ると宗教の意味を履き違えているのだなぁ、と感じます。 宗教は人間の生き方を示すコンパスのようなものであります。上手に使えばいい人生を送る事ができるでしょう。コンパスの使い方を間違えるととんでもない方向に進んでしまう事もあると思います。無宗教である、というのは実はコンパスを持たずにたまに見かける看板(常識)や目に映る風景(慣習)を頼りに進んでいるようなものです。上手く進める事もあれば、ずっと間違って進む事もあります。しかもその事に気付かずに。一体どれがpainkiller954さんにとっていい状況になるでしょうか。コンパスを持って上手に使うのか、間違って使うのか、それとも持たずに闇雲に進むのか。 多くの方々がここで意見を述べられているような強引な勧誘や入信後の強要などは教義の上においての正しい姿ではなく、そこに無理矢理な個人の解釈が挟まり、歪んだ言動を生んでいるのだと思います(コンパスを間違って使っている)。教理に矛盾がある、と書かれた部分がありましたが、それは解釈する人間(painkiller954さんに教えた人)が歪んだ解釈をしたからに違いありません。 そうでありますから、人に頼っている宗教(いわゆる現人神や本尊が人間、教祖絶対主義など)、その中でも特に経典が存在しない宗教は宗教と語ってはいけない存在に感じます。絶対的な教義がコンパスの元となってなければならない、と思います。
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- netcatme
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宗教と限らず、思想や支持政党・支持政策・学説などで特定のイメージを持たないようにしています(逆にいえばそれで私が判断しがちなんですけれど)。 立派な人は立派な人、つまらない人はつまらない人。人格で判断したいと思います。まあ、それも自分の勝手な判断基準にはなるんですけれど。 ただ、自分の考えが絶対で他の考えがくだらない、というような人とはお近づきになりたくないなとは思いますが、宗教でも思想でもね。
お礼
たぶん、あなたのお近づきになりたくない本人は 私の事だとおもいますが、あなたと私が面識を 持つ事は120%ないでしょう。 私の幼稚な質問に善意でお答え下さった みなさんには、お礼を申し上げると共に 不快感を抱かれた方もいることでしょう。 そうした皆様には、深く謝罪致します。 思想、宗教、哲学、政治ネタの誹謗中傷はかなり 危険なことになりますので、わたしも言葉を選びながら お返事しようとしたのですが、ついつい本音が出てしまい ご迷惑をおかけしたことをお許し下さい。 言論の自由、報道の自由という民主主義の下で このような発言が出来たのもアメリカさんが 押しつけてくれた占領政策のおかげである事を 忘れてはいけないようです。 本来規制されるべきゴシップネタやくだらない投稿写真 などは、垂れ流しておきながらこうしたハイブローな テーマになると本音を言うのが中々難しいのが日本社会です。 もうすでにみなさんもお分かりの様に、わたしは決して レベルが高い人間ではありません。 私は、宗教に犯せれている方達と 同じように偏った思想を抱いています。 ですからこのような発言をする権利がないのかもしれません。 世間一般の宗教に対するイメージが、わたしが抱くものと あまり変わらない事が分りましたので、たいへん勉強に なりました。 最後に、かなり(?)宗教に対して否定的な意見を 書きましたが私は完全に宗教を否定している者では ありません。であるばかりか宗教の本質が正される事を 願ってやまない次第です。 現実問題として、法的訴訟もかなり行われているのが 事実ですが、私は自分の目と耳で教理を洞察しなければ 納得しないことにしていますので、そうした勧誘行為 にもちょくちょく顔を出しています。 それでも尚、私が宗教に理解が出来ないのは やはり良き出会いが無いのだと感じます。 さっそく出会い系サイトにでも登録して、良き出会いを 求め様かと思います。ですが本当にそうしたサイトに 甘い誘惑を漂わせて待ち構えているのが、本当の所なので 気を引き締めて淫らな世界に突入したいと思います。 宗教が善か?、悪か?と言った不毛な議論をしても 時間の無駄ですので、そろそろ皆さんの前から消える事に 致します。ご意見ありがとうございました。
彼女がクリスチャンなので、私も聖書を時々読みます。私も数回ミサに一緒に参加しました。彼女はミサに出ると心が落ちついて、翌日から一週間仕事を頑張る力を得れるそうです。また、私の母がスペインを旅行した時に観光で大きな聖堂をまわったそうですが、「普段は仏教なのにその時はキリスト教の神様に祈ってしまったよ」と言っていたことを思い出しました。 私は宗派を問わず、純粋にその人の信じる神様などによってより自分の心が正されるのなら、とても良いことだと思います。 そもそも宗教というのを国が認め、かつ納税が許されている理由は、宗教の存在が国民の精神面にプラスになり、為になるからです。なのにそれを利用して金儲けをして私服を肥やす輩は単なる悪人です。 うまくは言えませんが、間違ったことや悪いことをしている団体はいずれ滅ぶんじゃないんでしょうか。でもオウ○はいまだにつぶれないんですから驚きですね。
- madakana
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これはある新興宗教の話ですが・・・ 私の場合、すごく久しぶりに電話をかけてきた友人に「うちでご飯食べない?」と誘われたので懐かしい~と思い行くことにしました。 仕事帰りにご飯も食べずその子の家に行くと、もう一人共通の友達が来ててなにやら私の父が余命が少ない(末期ガンで入院していた)ということにつけこんで宗教の話を持ち出しました。(←電話する前の時点でそのもう一人の友達から情報を聞いて知っていたらしい) それ以外にもそばに知らない人がいたんですけど、その子たちの知り合いかな・・・と思っていたらだんだんその人が話しに加わってきてどうもその人もその団体の人らしく3人で私を勧誘してきました。 はじめっからそのつもりで呼んだんだ・・・って私は悲しくなりました。 その証拠にご飯なんて用意してなかったし。 私ははっきりと断りましたが。 それ以来、その友人とは何も連絡とってません。 その頃、ねずみ講とかがはやっていたのであーゆーの友人なくすよね・・と言っていましたがその子たちも友人なくすな・・・と思ってしまいました。
お礼
実はわたしは、ある神教と仏教の信仰.. いッ、いや新興宗教教団に所属していた経験があります。 そこでの経験から言わせていただきますが 教団の中での活動はまさに洗脳教育です。 毎回、毎回来る日も来る日も洗脳思想を叩きこまれていれば 妄信的に布教活動(勧誘行為)が救いであると思い込まされる ことでしょう。まさに恐ろしい世界です。 この勧誘行為が最終的に人を救い、自分を救う道だと 洗脳されるわけですから、やっている方は必死です。 溺れるものは藁をも掴む...、ということです。 かと言ってやっている教団は真剣そのものですから 悪意があるわけではないのですが、わたしが経験した 中での教理には完全な矛盾があり、簡単に引いて考えれば どうしてもおかしい事が洗脳によって理性がブッ飛んでる 方々には到底理解できなくなってしまっているようです。 とにかく頭ブッ飛んじゃってますから、あまりそうした 方々との交流はお避けになった方が無難だと思いますよ。 貴重な体験談、ありがとうございます。
- kana32
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私の持論は「宗教は麻薬である」です。 苦しいとき、痛いときに適量を用いれば、それらを和らげる効果はありますが、 使用方法、使用量を間違えると、身も心も滅ぼします。 麻薬をやっている本人達は、気分がいいわけですし、苦しさから救われた気がするでしょうが、 まわりから麻薬中毒患者をみれば、当然嫌悪感が先に立ちます。 そして中毒患者はじきに周囲も巻き込んでいきます。 同時にその一方で麻薬を広めることによって甘い蜜を吸う人が必ず存在します。 新興宗教は、すでに組織ができあがってしまった既存の宗教教団では、 この蜜を吸えない人々が、不満に思い、新規に麻薬の販売ルートを作り上げたものでしょう。 ですから熱心に勧誘を行い、拡販行為を行おうとしますし、 逆に既存の宗教からすれば縄張りを犯されている訳なのでおもしろくないわけです。
お礼
麻薬密売組織とは、かなり飛躍したご意見だと 感じます。例えは悪いですが、宗教=麻薬 とは昔からよく言われている言葉ですね。 精神世界にはまっちゃっている方は 人間としての正常な判断感覚が麻痺していますから 一般論はもちろん通じません。 ですが、現実社会での常識とか一般論などと言った 刹那的な幻想などは、砂上の楼閣のように もろくも崩れ去るものですから、そもそも 人間の精神性をはかる基準なんてあってないような ものだと思います。 神戸の酒気薔薇生斗ではないですが、現実生活 の中でもこうした異常精神疾患者を多く排出してしまうのが 現代の病んだ社会です。 宗教もある意味ユニバーサル的な精神世界を構築 していますから、もうそれはす~~ごいことになってます。 ここで大切な事は、いくら現実が悲惨な状況でも 楽観的な現実主義者として生きていかなければ、 世の中のカモになることを忘れては困ります。 悲観論は、株を空売りする人か、金持ちの未亡人 を口説いている詩人以外通用しないことを キモに命じたいと思う次第です。 ありがとうございました。
- acacia7
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イメージとしては、「人生かけた壮大なゲーム」っていう感じですかね。 座禅にしろ初もうでにしろラマダンにしろ謝肉祭にしろ、 ゲーム上で発生するイベントみたいなもんだと思ってます。 ゲームの基本は、ある状態からルールにしたがって次の手を打つこと。 宗教の違いはルールの違い。 無宗教とかいうのはルールが緩いだけでしょう。 むろん、慣習としてのルールには縛られていますしね。 ただ、将棋と囲碁を同じ盤面でやっている様なもんなので、 相手が予想外の手を打つのでめんくらったりしますよね。 物理的に世界はそのルールを許容しているのであって、 どっちのルールが正しいとかはなかなか決めようがないでしょう。 僕自身は特になく、強いて分類すれば僕は神道だと思います。 というのも、日本に住んでるからですが、 宗教的ルールの寛大さ(というかルーズさ)はなかなか 他の追随を許さず、そんな所がすきなのです。 例えば、神道の信徒に仏教的なイベントやキリスト教のイベントをするな、 というのはハッキリ言って神道のルールをしらないからでしょう。 神道でも一部の神は他を否定するかもしれませんが、 排他しないことが多く、それを選択するかどうかは各自の自由です。 まぁ、神道の神は排他できる程強くないからかもしれませんが。 あ、気をつけた方がいいのは、宗教はその他の慣習がなければ 完全なルール集にならないということです。 慣習までもちこまずに宗教だけもってけば破たんするでしょう? それこそ、なんもないところに神道持って行ってもなんも機能しないでしょう。 いうなれば、特許法のないところに、実用新案法だけもっていくようなもんです。(超謎な例えだな。。) 全然横道それてますけど。 「原理主義」の問題はベースにあるはずの「慣習」を捨てて、 「宗教」を第一にもってきちゃう場合に起こるのではないかとおもいます。
- azzaro
- ベストアンサー率17% (416/2361)
宗教や信仰そのものを批判する気はないのですが・・・ 夏の暑い中、よぼよぼのおじいさんや小さな子供を連れて家庭を回って小冊誌を配って歩く人。この雪の中(関東ですが夕方まで降ってました)薄いジャンパーを着たやせぎすのご婦人2人(2人とも別の団体と思われる)。 こういう方を見ると『人の幸せ祈らなくていいから自分たちの事もっと大事にして』と思ってしまいます。 口を開くと相手はペラペラ話し始めるので、『忙しいので』とドアを閉めてしまいます。 (彼ら・彼女らが帰った後必ずポストに小冊誌やチラシが入ってる。) まだ実家にいる頃、親しくしてる女性がいました。 彼女は、生まれた子供が障害を持っている事がわかってから某宗教に入信しました。 その後彼女は人が変わったように私を誘い、口を開けば宗教の話ばかり。彼女を嫌いになりたくないし哀れに思えてなるべく家にいないようにしてました。(その後彼女は引越しました) ・・・という経験上、ちょっと偏見があるかもしれません。(勧誘されても絶対入信しないと思うし、どんなにすばらしい事が書いてあろうとも小冊誌やチラシを読まないでしょう)
お礼
あなたは、正しい!。
- SCNK
- ベストアンサー率18% (514/2762)
どのような宗教であれ、それは一つの規範社会であるわけです。問題となるのは宗教を野放しにした場合、国家の規範、つまり国家の法体系と衝突する可能性が否定できないことです。主権国家が成立するまでの過程は宗教社会との戦いでもあったわけです。まさにウエストファリア条約以降の近代世界成立は宗教からの独立に他ならないわけです。私としては国家の仮想敵に備えないわけには行かないだろうと思います。したがって聖俗を分離し、世俗社会への介入を防ぐ必要があると考えます。 政教分離とはまさにそこに原点があるわけで、国家の統制の元に置き、監視する必要のあるものと思います。
お礼
あの方達の精神ワールドは、国家の法時体制 といった規範などなんの役にも及ばないほど 超ーーーブッ飛んじゃっているので 確かに危険分子ですね。 日本が宗教の自由を認めていますから仕方ないと 思いますが、所詮日本の民主主義などアメリカ から押しつけられたエセ民主主義ですから 根本的なところで機能してないのですよ。 オームの事件以来、当局はかなりそうした情報収集に 力を入れているみたいですけど。 ですから監視の目はかなり鋭くなっているのが 現状です。しかしながら彼らが法の裁きを受けようものならば それを逆手にとって「迫害こそが真の宗教だ!」 となってしまいよけい団結力が強まる傾向にあります。 あなたがご指摘なように、宗教とはいつの時代も そのご時世を批判する立場をとりますから 勢いがつけば簡単にカルトになる訳です。 オーム事件で破防法を適用しなかったのは 国家のミスですね。エセ民主主義などクソ食らえ! と思っている私としては、面白くない結末になって しまって残念です。しかしながら法の正義なども いい加減なもので国家に都合のいいように 作られているだけでなんともお粗末です。 宗教も法の正義も腐っている、すなわち 人間の本質が腐っているので、日本の未来は ないでしょう。そんなことはどうでもいいですが 北朝鮮に核ミサイルを打ち込まれる前に アメリカさんにお金払って核をブチ込んで頂きましょう。
- grapevyne2002
- ベストアンサー率37% (13/35)
私も無宗教派です。 かと言って熱心にご自分の宗教に傾倒している方を批判するつもりは有りません。 何故ならこんなご時世に誰だって心の拠り所は必要だし、それが人それぞれ違うだけだと思うからです。 ただ自分が信じているからと言って、他人にとっても良いとは限らないのに熱心な勧誘をされると困りますよね。 私が勧誘で一番反発を感じるのは、信じる者は救われる」的な言い方をされる時。 神様や仏様って誰にでも公平であるべし!だと思うので、こういう言い方をされると「じゃあアンタん所の神様(教祖様?)は、信じる者しか救わなくて、他の者は見捨てる心の狭い方なのね!」とツッコミを入れたくなってしまいます。 だって本来はそういう迷える人達を救うべきものだと思うんです。 どんな宗教にせよ縁があれば出会うと思うし、他人に勧められて入るのは納得できないです。 そして勧誘も含めた宗教活動に従事する事が、その人の信仰心の表れという風にマインドコントロールされているように見えてなりません。 信仰心の深さと宗教活動は全く別物ではないでしょうか。 私個人は神様仏様は人それぞれの心の中に存在すると思っています。
補足
いまどき神様、仏様などとぬかしている ナルシシズムは相手にしない方がいいですよ。 攻撃的無宗教論者であり楽観的現実主義者 の私としては、悪の枢軸=宗教と思っているので 自分を破棄している方達の哀れな姿を見るたびに 「馬鹿は死ななきゃ治らない!」と思わずにいられません。 くだらない観念に犯され自分を捨てた愚か者が 起こす行為で迷惑をこうむるのは一般市民です。 正直者が馬鹿を見るのが現代ですから、私の中に いるのは悪魔です。なんてかくとサタニズムな人間に 思われがちなので誤解を解くためにいいますが、 そんな幼稚な遊びにふけっているほど暇ではないので くだらない明日の為に仕事にでも精を出したいと思います。
- taknt
- ベストアンサー率19% (1556/7783)
宗教を信じる、信じないは、どうでもいいんだけど、その立場をはっきりして 欲しいですね。 信じないんだったら、クリスマスをする必要もないし、初詣だって不要なはずです。 困ったときの神頼みで、神様仏様たすけてーというならば、普段から、信じましょう。
補足
微妙です....
- Matsuri1982
- ベストアンサー率47% (19/40)
こんにちは。私も特定の宗教を信仰しているわけではありません。 ですが、知的好奇心を満たすために、それなりに世界五大宗教に関しては学びました。理解が足りないと言われればそれまでですが、けっしてその深さを探ろうともせずに馬鹿にしているわけではありません。その上での私の主観を述べさせていただきます。 まず、私は新興宗教全体に対して否定的なイメージは持っていません(特定の団体に、といわれれば嫌なイメージを持たざるを得ない団体も当然ありますけれど)。そもそもキリスト教だって、発足の当時はユダヤ教をうまい具合に利用した新興宗教という扱いだったのですから、新興宗教が興ることそのものは何も変ではないと思います。むしろ古くからある宗教だから有り難味がある、なんて言っているほうが「洗脳されているのでは?」と疑ってしまいます。古い新しいに関係なく、教義を深く理解することが真の信仰への道ではないでしょうか。 宗教とは、一言で言ってしまえば「偏り」です。人間はいろんな生き方をすることが出来るし、いろんな考えをもちます。しかし、よりどころが無くただふらふらしている状態と言うのは、それを心地よく思う人も多少は居るにしても、多くの人にとっては不安な事でしょう。だから信仰に値する何かによって、自分に制約を加え、生きる道を定めるのだと思います。それを馬鹿馬鹿しいと思う人も居れば、それこそが尊い生き方だと思う人も居る。結局はどっちの人間も150年も経てば土に還っているわけで、何を愚かと決め付けることは出来ません。 ただ、現在の日本の宗教はずいぶん現世主義な気がしますね。それが悪いとかじゃないのですが、新興宗教は言わずもがな、古くからの宗教も興った当初とはだいぶ違ってきているのではないでしょうか。仏教は修行で自らを輪廻の環から断ち切り、解脱するのが目的の宗教だったはず。いわば理想の死に様のために生きる宗教です。それがいつのまにか随分と生きてる人間に優しいものになっていますね。キリスト教も、偶像崇拝を禁止していた気がするのですが、今は偶像崇拝こそキリスト教の真骨頂というほど、偶像に溢れています(自分の教派は違うと言う方は申し訳ないです)。念のためにもう一度言うと、私はそれが悪いとは思っていません。どんなことを言っても、宗教は人間のために存在するものですし、今生きている人間の願いに即した形になっているのは当然だと思います。 ただ、信仰している当人にとっては、「自分は利益のために信仰しているのではない」となるわけで。行き過ぎると他の宗教を認められなくなったり、盲信につながっていきますね。そして、良心的な一般人にも小さい頃からの教育で、正義という名の宗教の盲信の域に達している部分があると思います。人を殺すと罰せられますし、殺人者を我々は悪と呼びます。しかし、「人はなぜ人を殺してはいけないのか」と聞かれたとき、迷わずに即答できる人はどれだけいるのでしょう。本当に「いけないこと」だと思っているのなら、なぜいけないのかすぐに答えられるはずです。すぐに答えられたとしても、その答えは「人は尊い」とか「悲しむ人が居る」とか、かなり宗教的な答えになるんじゃないでしょうか。「何故人は尊いのか?」「何故悲しむ人が居たら殺していけないのか」と、永遠に質問を続けられてしまいます。 おおよその人間は、いつのまにか刷り込まれた観念を頼りに生きています。現代は無信仰な人間が多いという意見をよく聞きますが、それは特定の宗派に分類されないだけで、実際は十分に信仰や思想と呼ぶにふさわしい観念を持っていると思います。それが一つの形を持って噴出したのが新興宗教ではないでしょうか。その動きに乗じて金儲けだけをたくらんでいる輩も居るようですが。 ちなみに「何故人を殺してはいけないのか」の私の答えの一つは、「誰かを殺したらその分だけ、社会の役割が他の人に回ってきてめんどくさいから」です。今の安定した社会ならともかく、人類が狩猟をしてくらいしていた時代、部族の優秀な戦士同士が殺し合いを始めたりしたら部族の一大事でしょう。人は支えあって生きている、誰かが死んだらその分だけ社会の勢力が衰える。だから人は人を殺してはいけなかったのだと思っています。では人口過多に喘いでいる今の社会では、本当に人を殺してはいけないのか・・・? 不必要な人間を殺したほうが社会が安定するのではないか・・・? 怖いですね。怖いですが、人間が家畜や果樹に行っている管理方法は、この「間引き」です。人間社会の中でもつい近年までは普通に行われていたことです。過激な思想を持った宗教団体は、はたして本当にただの犯罪者だったのか。さまざまな問題を抱えた人類社会の中、どんな宗教が興ってもおかしくないですね。 なんだかまとまりの無い文章になってしまって申し訳ないです。結論の出しようの無い不安感を抱いていると言うことにして置いてください^^l では、失礼します。
お礼
なぜ人を殺してはいけないのか? そもそも、こうした疑問に理屈をつけなきゃ いけないこと事体が人間性の崩壊に至っている 現代の病理ではないでしょうか。 人間という愚かな生き物は、社会規範という 統制の下では管理できないのが一般です。 感情の動物ですから、怒り、憎しみ、憎悪 といった負のエネルギーが臨海に達すれば 簡単に人を殺すでしょう。 歴史をひも解けば人類は、戦争の繰り返し なわけで教育で教えているのに、今更 ヒューマニズムもあったものではないでしょう。 人間とは人間を殺す生き物です。 もう、平和ボケした日本の教育制度には この辺で変革が必要なのかもしれません。 そもそも、資本主義社会がサバイバルとしての 生き残りゲームなわけで、綺麗ごとを口に するのはもうやめませんか。 人間性の崩壊と共に宗教の教理も崩壊しています。 宗教の世界はファンタジックワールドです。 考えて見て下さい、デズニーランドの中にいるときは 楽しいですが、子供じゃあるまいし現実社会のなかで ミッキー、ミニーなんて叫んでたら可笑しいですよね。 サンタクロースを信じているのは勝手ですが 現実を直視する強さも必要です。 直接的な表現をすれば「人間、すなわち悪」 と言わざるをえないでしょう。 宗教ばかりではないようです。 ナショナリズムとしてのファシズムなども 正義の名のもとに大量虐殺を犯しているのですから 人間の残虐性が浮き彫りに現れている一つです。 そんな時代ですから、せめて宗教規範で 人間性の回復をはかりたいところですが、 宗教事体が腐っている現代では、救い様がありません。 友情=フレンドシップ 平和な時は二人乗れる船ですが、いざとなったら 一人しか乗れない船。 これが子供達の現実ではないでしょうか。 という訳で、私も結論が出ない不安の中で なんとかこの嘘っぱちな世の中を生き延びようと 頑張っているところです。ありがとうございました。
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お礼
おッ、おゆるしください.....m(__)m