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近世の日本について
1、江戸幕府が約260年続いた理由。 2、元禄文化と化政文化の違いについて。 この2つを教えて下さい。
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江戸幕府が続いた理由は、トップの能力に左右されず、組織として機能するようにシステム構築を行ったことです。 初代の家康は創業者として優れた能力を持っていましたが、後継ぎには武勇に優れた次男(長男信康は死んでるので、長子)の秀康や猛将の4男忠吉(清洲松平家)を差置き、関ヶ原の合戦にも遅刻した、3男の秀忠を指名します。 そして3代目には、孫のうちで、利発な国松ではなく、根暗でホモの竹千代(家光)を指名。 2代目に関しては武勇に優れた人間より、調整能力を買ったことと思いますが、3代目は組織も固まり、既に個人の能力などどうでもよくなり、4代目の家綱に至っては、人間的には聡明で優れた人物でしたが、何もやらないことが一番と考えたのか、政治は全て叔父の正之(会津家)などに丸投げし、何でも「そうせい」と返事するので「そうせい様」とあだ名されるようになったとか。 組織的には朱子学を導入し、身分の上下を固定して、戦国のように力のあるものが上に行くということが無いようにして、政治の実権は譜代と呼ばれる石高の小さな大名、旗本に任せ、外様の大大名には政治に関わらせないようにして、政治的な力と財力が一致しないようにしました。 また全国の金山などを直轄地とし、領土も徳川一門を合わせるとかなりのものとなり、他の大名を圧倒できる力を持っています。 幕末にシステムが破綻したのは、黒船の来航などにより、こうした大大名(越前松平、水戸徳川、土佐山内、薩摩島津など)が政治に介入するようになり、また身分よりも能力のある人間が上に行く時代となり、システムが破綻(疲弊)したことによる。
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- saebou
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(1)に関してはNo.2の方がお答えになっているので、(2)について補足を。 元禄文化は江戸以前の桃山文化の影響がかなり強く残っており、東大の故蓮実重康教授なんかは元禄文化を桃山文化に入れるべきだとさえ主張しています。上方中心に起こった文化で、戦国時代以来の上方商人の経済力をバックに花開いたと言っていいでしょう。近松門左衛門の浄瑠璃や井原西鶴の浮世草子、尾形光琳のデザインなど、華やかさ、派手さが特徴です。 しかしながら幕末近くなるとだんだん上方に物が集まらなくなり、経済力をつけた江戸の庶民が文化の前面に出てきます。また徳川家斉の享楽的な浪費ぶりなんかからもわかるようにだんだん文化が爛熟してきます。派手さよりも粋でやや退廃的な美に主眼を置く文化で、とくに庶民をターゲットにしている浮世絵が流行りました。
お礼
元禄文化のことについてよくわかりました。有難うございました。
- mai9999
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(1)江戸幕府を倒す勢力ができないための諸制度を用意していった。 (2)元禄文化=高度成長=金ピカ=軽い? 化政文化=安定成長=渋い=粋? こんな印象を受けます。それぞれは資料を調べて頂けるといいかと思います。
お礼
とても簡潔にまとめて頂き有難うございました。
お礼
とても詳しく教えてくださってありがとうございました。