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日本史 江戸時代のまとめ

日本史 江戸時代のまとめ 寛政期、元禄、化政のまとめをしなくてはいけないのですが、社会がにがてなので簡単にまとめをお願いします。

みんなの回答

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

普通 寛政期 元禄 化政 って まとめないと思う 寛永期 って言い方するのかな?最近は。 寛永:参勤交代とか鎖国の完成 元禄:武断政治から文治政治へ、上方中心の文化で、それはコメを中心とした経済が大坂を集散地→江戸へという構造になっていたから 化政:江戸中心の文化へ、消費地を中心とした地域経済の高まり。最大の消費地が江戸なので、江戸が文化の中心に。地方においても、城下町を中心とした地域経済が成長する。それによって大坂の衰退が始まる。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

江戸時代の人類史的役割を思い付くままに列挙してみます。 1)二百数十年に渡る太平が続き、鎖国によって世界に類を見ない独特な文化を発達させ、各民族には固有な個性のある文化を持っていることを全人類に確認させると言う意味で、この人間世界の多様性に貢献した。 2)またその固有な文化を手に入れたことにより、日本人は未だに外国の物をそのままコピーすることが出来なくなってしまい、外国の物を受け入れるのに必ず、日本の個性に馴染むように改変してからでないと受け入れることが出来ないという、世界にも類を見ない文化を作り上げた。その結果、日本の製品は外国では常に一目置かれる独特な物と評価されるようになり、現在の日本人が外国から尊敬される土台を作った。 3)天皇を頂点とする中央集権制度による人間の序列を排し、各大名に原則的に私有権を認める封建制度特有の制度を採用したことにより、私有財産制度の発達を促して、その後の世界に類を見ないほどの資本主義の発達を促す土台を作った。 4)天皇を政治的な中心から徹底的に外し、象徴的な役割を明確にすることによって、天皇を人事を超えた全く別扱いにして、「全ての日本人は天皇の下に平等である」との意識を日本人の中に植え付けた。その結果、将軍と言えども天皇から見て一介の民であって、その権力は天皇からお借りしているだけであるとの認識を人々が持つようになり、その後の江戸幕府から薩長土佐の豪族への権力の委譲を「大政奉還」とう平和形式で行える準備をした。それは、あたかも西洋人が「全ての人間は神の下に平等である」との概念を発達させたのと並列であり、日本では、その「神」の役割を「天皇」に担わせた。事実、日本人の持っている平等意識は世界的に見ても特筆すべきであり、それは例えばアメリカ等のように、人間の質をその人の人格的完成度では見ずに、その人が成功したかしないかで区別して、人間の間に差別を付けようとする差別文化とは対極に位置する文化を形作っている。その証拠に、日本では、「自由」と「平等」は殆どの場合対で語られるが、アメリカでは自由とうい言葉だけが突出しており、平等という言葉は滅多に聞かれない。西欧は幾分日本的ではあるが、どちらかの言うとアメリカ型に近い。 6)キリスト教の徹底的な排除により、人類には西洋人の信奉するキリスト教文化と言う一方的な文化に併呑されない文化も存在することを世界に知らしめ、人類の世界観の豊富で多様性の維持に役立つという、人類的な貢献をする土壌を作った。事実、韓国等は現在大変な勢いでキリスト教化されつつあるが、信教の自由を徹底的に叩き込まれた現在の日本でのキリスト教の教化はまるで成功せず、未だに日本でのキリスト教教徒は人口の2%以下に留まっている。 7)幕府制度は本質的に軍事政権であり、したがって、対外国に対しての軍事的脅威を骨の髄から認識出来る政治制度であった。そのお陰で、日本の指導者達は西欧の軍事的な野心に直ぐに気付き、日本を西欧の属国として飲み込まれることから救う処置をすることが出来た。それに対局に位置する例はお隣の朝鮮である。朝鮮は千年の規模に渡って、中央集権の下で徹底的なシビリアンコントロールの制度を取っていたために、指導者達は外国からの軍事的な脅威の恐ろしさに気付かず、日本とは違って、あっという間に外国の属国にされてしまった。 他にも、ダーウインの進化論に半世紀も先立って、鎌田柳泓や山片蟠桃らの石門心学の連中が自然淘汰に基づく進化論を唱えた等、江戸時代の日本人の人類的な寄与はあるのですが、その辺りは他の方の回答に任せましょう。

  • kh1007
  • ベストアンサー率29% (36/122)
回答No.1

他人に頼らず、教科書や授業でならったことを元に 自分でまとめてください。

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