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江戸幕府の末期について

江戸幕府の末期の (1)文化 (2)生活(武士、庶民) を教えてください!

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回答No.2

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 余りにも質問が「大雑把」過ぎて焦点を絞りにくかったので、回答しようかどうか何日も迷っていました。 >>江戸幕府の末期の (1)文化 (1)日本は教育普及率世界一!! 幕末近くでは、日本の教育普及率は85%と言われ、ちなみに、同時代のイギリスでは20%、フランスにいたっては1.4%でした。特に、江戸では庶民にいたるまで大概の人が文字の読み書きできました。 従って、「瓦版(読売とも呼ばれた)」や「絵草子」が飛ぶようにうれたのです。また、「三下り半(離縁状)」も大方の人は書くことができました。 黒船などの外国人が日本に上陸した時、日本人が「これほど」文字の読み書きができることに驚き、脅威さえ感じた、と、言われています。 (2)異国趣味(その1) 大名家を中心として、グラスやワインがもてはやされ、人をもてなす時のステータスとして珍重されました。 (3)異国趣味(その2) 長崎の出島でオランダとの貿易を許可していたことは、ご存知かとは思いますが、年に1度、オランダ商館長が幕府への献上品を持って江戸へ出てきましたが、オランダ商館長が常宿としていたのは石町(こくちょう)の長崎屋でした。その異人を一目見ようと長崎屋の前はお祭り騒ぎで、特に、幕末近くでは、豪華なガラス細工(製品)などでしたので、江戸の庶民は興味津々でそれらを眺めました。 (4)異国趣味(その3) 両国の見世物小屋では、「ギヤマン(ガラス)の大灯籠」が有名で、木戸銭10文(約100~150円)を払ってまでも、見物人が絶えなかった、と、言われています。 このギャマンの大灯籠は、高さ二丈(約6m)余りあり、六角形をしており、同じくギャマンで出来た「ぼんぼり」や「朱玉」「青玉」「黄玉」などがぶら下がり、それはそれは豪華だったとか。 >>江戸幕府の末期の (2)生活(武士、庶民) (1)武士(その1) これはもう、何と言っても「坂本龍馬」の写真で有名なように、ブーツが密かに流行しました。 ただし、西洋のように靴下を履くことはせず素足で履いていましたので、「蒸れる」と言うことで、爆発的な流行とまではいきませんでした。 (2)武士(その2) 軍服。西洋式にボタンで止める洋服が主流になりました。ズボンも機能性から軍服に採用されましたが、これも、上下が服なのに、足元は「足袋」に「草鞋」履きで和洋折衷でした。 (3)武士(その3) 大名家を中心に、テーブルや椅子がもちいられるようになりました。当初は舶来品(輸入)で「ニス」や「ペンキ」でしたが、日本人特有の「まね」で作られたものは、「漆塗り」でした。 (4)庶民(その1) 蒸気船を一目見ようと、浦賀や横浜などに見物に出かけるようになりました。 「泰平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん=蒸気船)」 と、落首にも詠まれ、帆船のように風任せのような船から、スピードも速く、自在に向きを変えられる蒸気船は、人々に衝撃を与えました。 (5)庶民(その2) 長崎では、幕末近くになると、異人に対する「恐怖?」もなくなり、かえって、帆船を見ると七福神の「宝船」を見た、と、喜びました。 (6)庶民(その3) ペリーが来航すると、いち早く「瓦版」にペリーのスケッチ画が描かれて売られましたが、中には、眉と目が釣りあがり、鼻が高く、一見して「鬼」のような肖像画まで出回りました。 まあ、まだまだありますが、「焦点」をどこに絞ったら良いのか判りませんので、これくらいで・・・。

mo-chan4
質問者

お礼

ありがとうございます。 こんなに詳しく説明してくださって・・・ 参考になりました!

その他の回答 (1)

  • kishn_an
  • ベストアンサー率44% (597/1336)
回答No.1

回答でなくてすみません。 庶民の生活だったら、岩波文庫の近世風俗志(守貞謾稿)が参考になるとおもいます。 喜田川守貞という、幕末に生きた人が、その時代の庶民の暮らしをリアルタイムに記録した本です。イラストもたくさんあります。 http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/30/3/302671+.html http://www.ippusai.com/hp_home/edo_tokyo/edo000.htm http://www.kabuki-za.com/syoku/bkindex.html