- ベストアンサー
江戸文化と明治維新の関係について
- 日本の江戸文化は、幕府の批判や鎖国の遅れなどを無視して華やかなものとして語られることがありますが、それはおかしいです。
- 実際には、幕府の統治が原因で飢饉が起こり、庶民は苦しんでいました。また、忠臣蔵の歌舞伎を楽しんでいたとも言えません。
- 明治維新は長州や薩摩などの藩が先導して行われ、日本を植民地化から救うことになりましたが、偏った書き方は避けるべきです。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
> あまり、偏ったモノの書き方はどうかと思うのですが。 ネット上も含めて、世の中にあふれかえっている情報の中で、少しでも世の中から注目されるためには、読者が[えっ]と驚くような刺激的な情報で無いと注目されません。 世の中には、少しでも注目を集めようと、そういう刺激的な情報が溢れています。 その中でさらに注目を得るためには、常識から外れた偏ったもになってしまうことは良く有る事でしょう。 逆の言い方をすれば、偏りの無い常識の真ん中を行っているような当たり前の情報では、今更誰も注目しないと思いませんか。 「そんな事知ってる」 ネットや週刊誌などに溢れている情報には、そういう偏った情報が沢山含まれていると自覚して接するべきです。 その情報が本当に正しい情報かどうかは、結局自分で判断するしか無いと思います。
その他の回答 (7)
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11072/34514)
>江戸文化が華やいでいた元禄の様相が最高だなどと 元禄は江戸時代初期で、幕府の制度疲労による問題ってのはまだなかった時期ですからね。我々が「江戸時代」でイメージする、いわゆる時代劇のような時代っていうのは幕末前夜ともいうべき文化文政の頃です。この間で百年くらいのズレがありますので、元禄と文化文政を「同じ江戸時代だといってごっちゃにするのは許せん」とは、江戸文化研究家でもある父の言葉です。 >寛永、享保、天明、天保の大飢饉から農民の餓死者を出したのは幕府ではないでしょうか 農薬も肥料も発明される前の時代の飢饉に、ときの政権は責任は持てないですよ。それぞれの飢饉の原因も冷夏だったり火山噴火の影響だったり、人知の及ばないところとなっています。今年の冬は雪が多くなりそうですが、それが安倍政権の責任とはいえませんでしょ? それに各藩の支配地域の自治権はそれぞれの藩が持っていて幕府も口出しはできません。できるのはお取り潰しくらい。藩とすればお取り潰しが怖いから、飢饉が起きても隠ぺいに走る部分はあります。でもそれは幕府の責任というより、自治権がある藩の問題です。藩ごとに年貢(税金)は決められるのですからね。 それにね、ご存知ですか。江戸はしばしば大火災に見舞われたのですが、そういった大火のような災害が起きると、江戸城にある備蓄米が無償で窮民(被災者)に配られたのです。これは災害発生から早ければ翌日に解放されたんですね。しかも場合によっては「被災者は体力が弱まっているから、ご飯にして出すとお腹を壊すからお粥にして出せ」というお達しが出る気配りの良さです。 同時代の18世紀頃に、災害が起きたときに国家が救済する社会保障があった国家なんて、少なくともヨーロッパには皆無です。そういうことを江戸幕府はやっていたのです。 >明治維新は長州、薩摩の二藩が先導して成り立ったのですが、それが日本を欧州からの植民地政策から救ったのも事実です。 薩摩藩と長州藩は、それぞれ薩英戦争や下関(馬関)戦争をおっぱじめて危うく日本を植民地にさせるところだったのですけどね・笑。本当は大政奉還と公武合体で平和裏に明治政権に移行することは可能だったのですよ。だけどどうしても倒幕したかった岩倉具視と西郷隆盛が無理矢理の強引に倒幕の詔勅を引き出して徳川政権を倒したのです。ここは多分に薩長の「政治的思惑」が優先したところですよ。 だからね、明治維新のすごいところは、「お殿様が誰も死んでないこと」なんです。フランス革命ではルイ16世はなーんも悪いことしてないし、平和裏に退位しようとしたのに断頭台送りになってるでしょ?革命というのは、そういう「旧政権の支配者を見せしめのために殺す」というのは逃れられないものでもあるのです。だいたいどこの革命でもそうです。 ところが、徳川慶喜は従一位勲一等公爵ですよ。従一位ってのは上から二番目の非常に高い位です。さすがに元公方を低い官位にすることはできなかったんですね。朝敵だったはずなのに・笑。最後まで戦った会津藩の松平容保も天寿を全うしましたし、戊辰戦争のときに千葉県の請西藩の藩主だった林忠崇という人は「将軍に忠義を尽くすのが武士道」といってなんと藩主自らが脱藩して(藩としては新政府に恭順するという結論でした)戦ったのですが、この林忠崇も明治時代に名誉回復されています。「武士は二君にまみえず」を貫かれたのは明治政府も批判できなかったんですよ・笑。 明治維新で死んでるのは、近藤勇とか土方歳三といったような、まあ立場としては「元から使い捨てるような人たち」ばかりなんです。江戸幕府も明治政府も痛くも痒くもないっていうね。新選組の斎藤一なんて、明治時代には警察官になって西南戦争で政府軍兵士として参加していますからね。 だからほとんどの人にとって、徳川幕府というのは「倒したいほど憎い政権」ではなかったのだと思います。ただ、産業革命も起きて文明と社会が大きく変わっていく時代に、近世の封建制度では社会制度が対応できなくなったのです。いずれ中央集権の近代国家にならなければいけませんでした。 そういう意味では、明治維新というのは「かなり上手くかつ平和裏に政権移行ができた」ほうではないかなと思います。「明治維新とは、日本全体を巻き込んだ死人も出るお祭りだった」というのが私の説です。
お礼
大変失礼なご回答ありがとうございます。 維新の立役者は一握りの人物ではなく、それぞれの人物が葛藤し ぶつかり合って成し遂げたものです。とても笑など差しはさむ 余裕もなかったのです。 会津若松に行ったことがありますか、鶴ヶ城から見える飯森山 は遥か遠くに見える位置です。そこから白虎隊隊士たちは 何を思ったのでしょうか?。 それから、一人責任を負わされて切腹した萱野権兵衛や身内を 自害に追い込んでしまった西郷頼母。まだまだあります。 函館戦争で仲間を次々に亡くし、切腹しようとして止められた 榎本武揚。戦場に散った土方歳三。砲台で討死した中島三郎助 親子。まだまだ多くの人材が死んでいます。 数えきれないほどの有能な人物が数多く死んでいったのが戊辰 戦争です。 ですから、これ以上有能な者を死なせるのは国家として損失だ と思って明治新政府は生き残った者を登用したのです。 あなたのような軽薄な物の考え方はいけませんね。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
日本が鎖国によって ↑ 鎖国については、そうではない、という 説もあります。 日本は、中国、朝鮮、オランダとは貿易 していました。 鎖国、というのはドイツの一学者が言った だけです。 明治維新は長州、薩摩の二藩が先導して成り立ったのですが、 それが日本を欧州からの植民地政策から救ったのも事実です。 ↑ そう信じている人が多いのは確かですが、 実証研究が進むに連れ、徳川幕府のままでも 同じだったろう、という説が強くなっています。 政権が変わると、前の政権が悪者にされるのです。 明智光秀は徳川幕府になってから悪者に されました。 日本も大東亜戦争で悪者にされました。 あまり、偏ったモノの書き方はどうかと思うのですが。 ↑ どんな時代でも、何処の国でも良い面もあれば悪い 面もあります。 総合的な評価の問題でしょう。 餓死者などは中国、朝鮮に比べれば微々たるもの でしたし、諸外国に比べて、平和な300年で あったことは確かでしょう。 実証研究が進み、士農工商など制度としては存在 しなかったことや、農民が結構豊かな暮らしをしており、 発言権も強かったことが判明しています。 庶民の負担なども実質20~30%の地域も出現したりして これは現在よりも軽いぐらいです。 全体的には良い時代だったと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 黒船が来た時に一番驚いたのは幕府の役人でした。 幕府開闢以来270年が経ち、これからも平穏な幕藩体制でいられる と思っていたのが青天霹靂。天地がひっくり返ったというのが 本音でしょう。 それから、咸臨丸でアメリカ使節団がサンフランシスコの金門橋 を潜り、アメリカという国を見て回ってこれじゃあダメだ。 と幕臣たちは思ったそうです。 勝海舟などは、すぐにも幕府を閉じて、新政府を作らなくては とてもじゃないが太刀打ちできないと思ったそうですが。 勝海舟は微温湯に浸かってあくびをしている間に寝首を欠かれる 間抜けにはなりたくないな。と言ったそうですが、正にその通り です。 いま、江戸時代の風聞が懐かしく思われる書き込みが増えてきた のも、世界情勢が緊迫してきた証拠です。 そんなまやかしに踊らされるほど今の日本人は間抜けではないと 思いますよ。
ネットは自己責任とか言って 見る側の責任にするのは おかしいでしょう。 間違った情報が出まわること自体が だめなんですよ。 >江戸文化は語れません。 真実を伝えることです。 >華やいでいた元禄の様相が 最高だなど 年貢を納めて飢えていたでしょう。 お米の大事さをそういうところで 教えるんです。 奴隷は異民族や人種によるものもあると 思います。 日本は同じ民族に強いるんだから 本当に奇妙ですね。 責任転嫁してスルーしてる人が いざという時に悪を叩いてるけど 自分も同じようなことをしてるって 気づかないんですよね。
- tknkk7
- ベストアンサー率11% (378/3310)
確かにウザイです、多少歴史を勉強?したのかどうか、今時読書三昧じゃぁ取り残される。 でも偏見と誤解と妄想だけが、人間の習性なのでしょう書籍・販売不況を加速させてる。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
meido2010 さん、こんばんは。 元禄期というのは実はあれはバブルなんです。慶長年間からの家綱の明暦くらいまでの間は新しい田んぼがたくさんできて、作付面積がとうとう日本史上最大になりました。そして、収穫高もほぼ秀吉の時代の倍になりました。しかし、その後から、だんだん金の含有率を下げなければならないほど、綱吉のころになりまとお金が不足しだしました。そして富士山が噴火した宝永噴火でバブル崩壊により、田んぼや作物が不作の年が何年も続いたのです。元禄時代が天下泰平で最高といっているのはいかにも薄っぺらい考えですね。
「士農工商」、 身分制度ありませんでした? 中学生の頃、教科書に書いてあって 漠然と可哀想だと思いました。 最近、ネットで見たらいつの間にか 歴史が変わってました。 実は江戸時代の人たちは幸せだった、 身分制度はなかったと。 >江戸文化が華やいでいた元禄の様相が 最高だなどと言うのは一言で言って、 サブカル的な感じに違和感。 >世界の情勢から大変な遅れを 取っていたことを何も言わずに はじめて(パンに塗る)バターを見たとき、 何か分からなくて頭に塗ったと 聞いたことがあります。
- AnataO192
- ベストアンサー率28% (162/562)
この世の中は工作員だらけで、本人ですら工作員という意識のないまま一生を過ごす者もいます。 偏った情報やうその情報を刷り込む者が大勢います。 人間より猿のほうがまだマシです。 なので、やはり歴史は正確に伝えていただきたいものですよねえ。 ある一定の視点に居心地を見出す観念の学者や作家が多いんですよ、もともと猿なんで。 なので内乱も起こるし内乱を絵図する者もいまして、おつかれちゃんです人間は。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね、トンでも論というのはこのOKWaveでときどき 目にしますが、その最たるものがこの「明治維新の誤認」 でしょう。 明治維新というのは日本の歴史上唯一と言っていいほどの 大変革です。これ程の大偉業に泥を被せて格好つけるなど天に 唾する行為といっていいですね。 昨日、坂本龍馬の書簡が見つかりました。という報告会があり ました。三岡八郎の新政府登用を促すものだそうですが、坂本 龍馬はそこまで新政府のことを考えていたのか。と思われる ものです。少し反省してほしいですね。