- ベストアンサー
【江戸幕府の参勤交代はなぜ必要だった?】日本史の教
【江戸幕府の参勤交代はなぜ必要だった?】日本史の教科書では各藩主が江戸幕府に反乱を起こさないように財を放出させて反乱を起こす資金を作らせないためだったと習いましたが、本当は江戸幕府は各藩主に江戸に来させる参勤交代によって各藩主に道路整備をさせたかったのが本当の参勤交代の意図するものだったのでは? 江戸幕府が日本で初めて全国統一した。江戸を中心に全国につながる街道を整備させるために参勤交代制度を思いついた。違いますか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
https://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005310087_00000 >江戸時代、幕府は江戸と全国を結ぶ道路を整備しました。東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道という5つの街道です。この街道は、大名が参勤交代のときに使われました。 幕府が整備したようですので、藩主に道路整備はさせていないのではないでしょうか。
その他の回答 (3)
- kabosu2022
- ベストアンサー率26% (122/466)
A. 参勤交代によって大名の財政を圧迫し,幕府にはむかう力をつけさせないために行われました。 五街道として定められたのは、徳川幕府(江戸幕府)2代将軍の秀忠の代になってからのことで、1604年(慶長9年)に日本橋を五街道の起点として定めたことが参勤交代の時期と重なりご自分なりの解釈をしているのだと思います。 ただ、そのような記述は見つかっていないのが現状です。 ■参勤交代とは 1635年,3代将軍徳川家光のときに,武家諸法度に追加された制度です。 「一 大名は,江戸と領地を交代して住むことを定める。毎年4月中に江戸に参勤すること。」 ※武家諸法度とは1615年に2代将軍徳川秀忠のときに出されたのが最初で, 以後,将軍がかわるたびに出されました。これは,大名を統制するために定められました。 参勤交代によって,大名は妻子を人質として江戸に置き,江戸と領地を1年ごとに行き来しなければならなくなりました。 ■参勤交代が行われた結果 江戸と領地とを行き来するための,費用(交通費,人件費など)がかさみました。 →大名の財政を圧迫し,余分なお金がない大名は,幕府にはむかう力が持てませんでした。 しかも,江戸から遠い外様大名(関ヶ原の戦いのころから徳川氏に従った大名)ほど移動にかかる費用がかさむことになり,幕府にはむかう危険性が高い外様大名の勢力を抑えるのに効果を発揮しました。
- runatickdance
- ベストアンサー率26% (375/1432)
うーむ、 道路かなぁ? 特に勢力あって、財閥藩主ほど、 参勤交代に呼び出したと 聴きましたが。。 江戸までの長い道のりを 大名行列を作りながら、要所要所で 休憩し宿屋に泊まり、 私腹を減らす目的により、 参勤交代に呼んだとさえ 言われております。
- f272
- ベストアンサー率46% (8623/18441)
全然違います。 参勤交代は徳川に従うことになった大名たちが自発的に始めたものです。謀反を起こす気はないことを示すため徳川家に人質を送るとともに、徳川家の当主に挨拶をするのです。これをしないとどんな難癖をつけられて、攻められるかもしれません。戦国時代に豊臣家に対して行っていた事を踏襲しているに過ぎません。 これがどの大名もやるようになって、家光の代になったときに制度化されたのです。 江戸幕府に反乱を起こさないように財を放出させるとか道路整備をするのは目的ではなく結果です。
お礼
みんなありがとうございます