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元禄文化の繁栄をある一面から支えたという理由から、
元禄文化の繁栄をある一面から支えたという理由から、 江戸時代の吉原遊郭は、 一定の文化的評価がなされているというのは 一般に認められていることかと思いますが、 仮にも売春が行われていたような所が こうした評価を得ているのは何ゆえなのでしょうか? 当時の花魁は、教養も深く、文化芸能に非常に優れていた というのがその第一の理由かとは思うのですが、 個人的には、落語の“明烏”にも垣間見えるように、 花魁が、気に入らない客であれば体を許さない自由があったからか? (つまり、金銭が絡んでいるとはいえ、そこには男女の機微があったからか?) とも思えます。 ご回答お待ちします。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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- at9_am
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- Willyt
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お礼
詳細な説明ありがとうざいます。 勉強になります。 確かに、動物の死体から皮を剥いで革製品を作ったりする仕事が 卑しいものとされることに関しては、 今の日本を生きる身にあって、 それが卑しいものだという明確な理由は見つからないと思いました。 どの仕事が卑しいかということを決定するのは、 その社会の枠組みなのだろうと思います。 今の日本社会で、動物の皮を剥ぐことでそれが卑しい行為だと 結論付けるには、多分に恣意的な判断が含まれると考えます。 また、労働が卑しいということになれば、 医者も弁護士も、卑しいということになってしまいますからね。 しかし、売春については… と、個人的にはどうしても疑問を禁じ得ません。 個人的見解ですが売る側はともかく、 現代の日本で女性を買う、ということには、 どうしてもそれを行う自己の内面にブレーキが掛るのでは? と考えるのです。 知らず知らず、キリスト教的な見方に影響を受けているのかもしれませんが、 どうしても、その行為を通して、 自己の性的な欠落を認めざるを得ないことになるのでは?と。 ですので、卑しいと言っては言いすぎですが、 そんなことをしたら男として情けないというかなんというか… いずれにしても、 人はその人が属する文化に影響を受けて 物事を判断するものだということは、忘れてはならないと思いました。 江戸時代に、女郎・飯盛女の類が大抵は一般人に嫁すことが普通だったことや、 大名に身請けされた太夫がいたことの要因は、 それが江戸時代の日本の社会であったからということでしょうね。 (つまり、どういう条件からそうなったかは解りませんが、 売春をしたところで、後ろめたい気持ちを抱かせる社会ではなかった。) と、いうことは売春に後ろめたい気持ちを抱くのは、 現代の日本だから、という解釈は納得がいきました。