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北原白秋が書いたものについて
「真実 諦メ タダ一人/真実一路ノ 旅ヲ行ク/真実一路ノ 旅ナレド/真実 鈴振り 思ヒ出ス」 質問(1)意味がちょっと分からないのですが教えてくださいませんか。よろしくおねがいいたします。
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おはようございます。 字面を見て解釈すれば個人的には大変好きな詩なのですが、多分、あの頃の白秋自身の背景を鑑みると、この「真実」とは元妻の俊子事では無いのか・・・と、自分は解釈していました。 25歳の頃、隣人の新聞記者の妻である俊子と道ならぬ恋に落ち、夫に姦通罪で訴えられて投獄されたにも係わらず、激しい恋の末に結婚したのですが、彼女の浪費癖や我侭ぶりに、結局は一年余の結婚生活を終えたのでした。 この「巡礼」は、その離婚のドロドロ期から離婚の喪失期までの間に書かれたものだったと思うので、この真実は多分「真実の愛」なのではないでしょうか。 真実の愛だと貫いた人を諦めて、我一人、真実の愛を求めて生きていく。真実の愛を求めて生きていこうと思った自分なのに、事あるたび、真実の愛だと貫いた彼の人を思い出す・・・ 結局白秋は、その後、章子と言う女性と結婚すれど、今度は彼女に不倫駆け落ちされて離婚したりと、波乱万丈の人生を送りますが、最後に菊子と言う貞淑な妻を娶って、ようやく「真実」に辿り着いたのではないか・・・と言うのが、私の解釈です。 白秋研究をされているかたには曲解だと言われるかもしれませんが・・・そう言う背景もあると言う事で、ご参考の一部に加えていただければ幸いです。
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- prashanthi
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aifen さん こんにちは。 この文章の意味は 一つではなく 読む人によって それぞれの受け取り方がある と私は思いますので それをまず ご理解ください。 「私の人生 真実 真心 一生懸命に今日まで生きてきたと私は思う(思ヒ出ス)けれど 本当にそうだろうか これからも もっと もっと 真実一路 一生懸命に 精一杯 自分の人生を生きていこう!」 この世に人として生(命)を受け 私はそれを100%活用できているだろうか? 今までも 精一杯やってきたけれど もっと何か努力できる部分はないだろうか? と 自分の生(命) もしくは 自分の人生とまじめに向き合うことを忘れないために 人生訓=座右の銘 としている人もおられます(います。)。 座右の銘(ざゆうのめい) = 生きていく上で (苦難の時など)時々思い出す 名言・格言などの事 解らないところがあれば また 聞いてください。 日本文学を読んで頂いて とてもうれしいです ^ ^ ... 。
- otasuke009
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「真実」は詩の基調をなすリズムとテーマを紡ぎ出す言葉ですが、一旦省いて考えてみましょう。 すると…… あきらめただ一人 旅を行く なれど 思い出す というストーリーが見えてきます。 あきらめた物のあきらめきれない旅をする作者の姿が浮かび上がってきます。その思いの切実さが「真実」という言葉に込められているのではないでしょうか。