• ベストアンサー

俳人としての北原白秋について

北原白秋は童謡や詩人として有名な印象があるのですが 俳人としてのなにかの話をご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。 以前、「俳人としては優れなかった」というような文章を読んだことがあるのですが…

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

  以下は記憶で記すことです(インターネットのページで調べるのなら、「北原白秋 俳句」とでも入れて、以下の Google で検索すれば、色々出てくるでしょうし、そこに記されていることを繰り返しても仕方ないことだとも思います)。 白秋は「邪宗門」で詩人として鮮やかな作風でデビューし、次々に詩集を出して、新しい境地を開き、大詩人になったとも言えます。ただ、白秋の詩人としての名声が高すぎて、彼が色々な文芸活動を行っていたことは、あまり印象にないようです。 童謡の歌詞を書いたのはよく知られていますが、彼は「マザーグース」も日本語に訳しています。無論、彼一流の詩になっています。 白秋は、「邪宗門」で、隠れキリシタンなどを題材に取り上げたぐらいで、かなり国際意識があり、日本の文芸の行く末のようなことをまじめに考えていました。 俳句を作りはじめたのは、確か名声が確立した後で、詩を書くよりも、晩年は俳句の創作にいそしみました。弟子か友人が、すでに名声を得ている先生が、あまり認められることもない俳句の創作に没頭するのは、惜しいのではないか、というようなことを述べたとき、白秋は、「自分が頑張らなければ、誰が頑張るのか」というようなことを返答したそうです。 「俳句第二芸術論」と時代が重なっていたのかどうか、いまよく分かりませんが、白秋は日本の伝統文芸の一つとして俳句を高く評価していて、これを再興隆せねば、廃ってしまうという危機感を持っていたようです。 白秋は高名な詩人であり、その彼が、義務感のように創作を続けたのですから、俳人としての評価、その作品の評価は、どうであったかという疑問があります。別の仕事で名声を持ちながら、同時に俳人としても高名な人もいますから(折口信夫がそうです)、白秋の俳句は、やはり、俳人としての才能に彼があまり恵まれていなかったのだとも考えられます。 >Google >http://www.google.com/  

参考URL:
http://www.google.com/
noname#3202
質問者

お礼

趣味ではなく使命感による創作活動だとは 考えてもいませんでした。勉強不足でした。 詳しい回答をどうもありがとうございました 普段Yahoo!の検索ばかり使っていましたが 他の検索も活用するべきですね;

その他の回答 (1)

noname#118466
noname#118466
回答No.1

北原白秋は確かに詩、短歌、童謡の分野で大家と認められていますが俳人としては 名をあげなかったようですね。白秋の俳句が駄作だったと言う事ではなく、彼の感性は詩と童謡の世界でより強く発揮され世間に認められたと言う事だと思います。 白秋の俳句 http://youtk.hp.infoseek.co.jp/bunjin/hakusyuu.pdf 白秋の生地、柳川で毎年11月2日に白秋祭が行われていますが、そこでは短歌大会と共に俳句大会も行われています。 白秋祭 http://www.yanagawa-net.com/topics/hakusyusai/hakusyusai.html 白秋の句を他の俳人と比較して論評することは出来ませんが、白秋は童謡であまりにも有名になったため、他の俳人ほど注目されなくなったのではないでしょうか。

noname#3202
質問者

お礼

親切な回答をどうもありがとうございました。 書いていただいたURLにもアクセスしてみます; 「駄作だったのではなくより他の分野で評価された」 というお言葉になるほどと納得しました。