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江戸安政頃、 お堂の献金に関する疑問 

江戸時代(安政の頃)にお堂を建立した際の献金額を記したもののようです。素人のずいぶんオタクな疑問ですが、以下の点についてご教示ください。 1. 先頭の「舩越」姓にある数字は、「壱匁」で合っていますか。 2.献金額の多かった順番に名前が列挙されているように思うのですが、なぜ「壱匁」が先頭に来るのか理由がわかりません。 3. 「目」と「匁」の使い分けに何か意味があるのでしょうか。 4. この献金リストの後半には、苗字のない名前がずらりと続きます。江戸時代の農村社会にあって、この苗字のあるなしは何を意味するのでしょうか。

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  • toka
  • ベストアンサー率51% (1167/2279)
回答No.1

1,2 壱匁です。事情はわかりませんが、この舩越助左衛門という人が庄屋かそれに準じる地位におり、筆頭なのでしょう。(事情があって壱匁しか出せなかった) 3 量を測る物(粒銀とか穀物)の単位「匁」は、10や20、100といった切りがいい量の時は「目(め)」と簡単に略すことがあります。 4 江戸時代の一般農民には苗字がないのが当然です。庄屋やそれに準じる富農、御用商人など役人と関わるくらいの地位にある家だけが特権的に苗字や屋号を許されていました。

kahe
質問者

お礼

ありがとうございました。

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