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日本の姓と苗字:姓と諱の間に「の」が入るが苗字と諱の間には「の」が入らないことについて
古来、日本では姓と苗字は別です。姓と諱の間に「の」が入るが苗字と諱の間には「の」が入らないですよね。さて 1)「豊臣」は天皇から賜わった「姓」ですよね。苗字とは違います。だったら「とよとみひでよし」ではなく「とよとみのひでよし」というのではないのですか。 2)江戸時代は姓で呼ばれる人はあまりいないようですが、荷田春満 は「かだのあずままろ」、賀茂真淵は「かものまぶち」というからには荷田と賀茂は姓ですか。かれらは苗字でなく姓で呼ばれてたのですか 3)江戸時代で他にも「の」がついてる人はいますか 全部でなくても部分回答でもいいのでよろしくおねがいします。
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慣例や原則に関する学説は、誰もが自由に述べることができますが、 人名辞書においては、表記統一のため、二者択一を迫られます。 どちらが正しいかは別として、わたしは辞書の凡例を重要視します。 ── 長音符号、中黒(・)は無視し、清濁については、清音、濁音、 半濁音の順とした。 ── 《新潮日本人名辞典 19910305 新潮社 》P0007/18000名 ── 「蘇我・藤原・源・平」など古代から中世にかけての人物の読み 仮名などでは、多くの場合慣例により「うじ名」あるいは「姓」と「名」 の間に小文字の「の」をつけて表記し、「おおとものやかもち」のよう にした。この「の」は中黒「・」と同じ扱いとして項目配列の際には無 視している。 ── 《朝日日本歴史人物事典 19941130 朝日新聞社》P0003/13000名 新潮:ふじわらの「藤原 顕季~藤原 ●子」(●=才+侖) 朝日:ふじわらの「藤原 顕季~藤原 麗子→陰明門院」 いずれも「藤原 惺窩=ふじわら・せいか」が孤立しています。 方法論としては、上記の姓と生没年代を抽出し、「の」の有無を分別 すれば、慣例や傾向を知ることができます。回りくどいようでも、諸説 を照らしあわせるよりも、簡明な成果が得られると思います。 ── 本書は明治十九年に初版刊行以来、学者や専門家だけでなく、広 く一般教養人に支持されて多くの版を重ね、更に増訂を繰り返し、不朽 の名辞典として定評を得た。遠く記紀神話の神々から昭和初年の重要人 物まで、日本歴史上の主要人物は完全網羅。ことに古今の文献を博捜し た精細な記事は、読んでおもしろいとの評判を呼んだ。 さらに本最終巻には、名家系譜・歴史年表・刀剣鍛冶叢伝など、他に 類を見ない貴重な歴史資料をも収録した。(カバー) ── 《大日本人名辞書(五)19800810 講談社学術文庫》約10000名?
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- pyon1956
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1)秀吉については、 「源氏と日本国王」岡野友彦 著 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061496905/249-7932277-6597123 の中で、著者が同様の指摘をされています。 2)この方たちは国学者なので、それ風に読ませた、ということではないでしょうか? ちなみに荷田春満は羽倉家(荷田宿禰の家系、荷田氏はさらに秦氏の家系とも)、賀茂真淵は岡部家(先祖は京都の賀茂氏という)ですから、名字ではなく姓を名乗ったのですね。
お礼
ありがとうございます。買って読みました。自分の考えと同じでした。
- sammi-2837
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1)回答ではないのですが、藤原惺窩も「ふじわらのせいか」ではないですよね。 2)について 荷田と賀茂は姓です。 春満の実家は羽倉氏という伏見稲荷神社の社家で、雄略天皇の皇子磐城王の後裔とされる荷田氏(伏見稲荷神社の社家の家系)の後裔です。 賀茂真淵の実家は浜松の岡部氏という神官の家で、八咫烏武津之身命の後裔とされるの賀茂氏(賀茂神社社家)の後裔だそうです。 苗字、姓どちらで呼ばれていたかは寡聞にして存じませんが、春満の学派を羽倉学というそうです。
お礼
なるほど、源家康とか大江輝元とかと同じですね。ありがとうございます。
- dulatour
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司馬遼太郎さんの『この国のかたち 1』(文春文庫)のP269に「苗字と姓」として若干のヒントがあります。
お礼
ありがとうございます。早速買いました。
お礼
ありがとうございます。もっともです。提示してくださった書ですが、○万円でした。。ちょっと買えないです。図書館で探します。