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"見たい"は形容詞文?
本の内容についての質問です。 『日本語と西欧語(著:金谷武洋)』の30ページ右から七行目で、"これが見たい"は形容詞文、というようにおっしゃっています。 "〜がみたい"は他動詞文だと自分は思うのですが、どう思いますか?
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- Nakay702
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お礼のコメントを拝見しました。 >宜しければ参考図書としてご紹介してくださった『国語学辞典』ですが、何版目のものかお教え願えますでしょうか? ⇒不便なことに、普段、分厚い書籍は手元に置いていません。実は、旧職を退任後も、自宅の本棚が満杯につき、共同研究室付の保管庫に置かせてもらっています。その代り、不特定多数の人が、どれを使ってもよいことになっています。 それで、(数日前はあったのに)よりもよってこんな時に、誰かが持って行ったらしいのです。週に1,2度くらいしか出向きませんので、最近の状況はよく分かりません。(「今浦島」のロートルです。)あまり新しい版でなかったことは確かです。そのくらいのことしか記憶にありません。 さらにまた、前便の《 》部分、引用符で囲んでありますが、そのとおりの引用でなく、勝手に作文したこともその中に含めたかも知れません。お粗末な回答で失礼しました。 お返事が遅れた上に、せっかくのお尋ねにお答えできず、申し訳ありません。 以上、ご連絡・お詫び申し上げます。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12513)
>"〜がみたい"は他動詞文だと自分は思うのですが、どう思いますか? ⇒ですよね。同感です。 でも、実はこの考え方や言い方、多分に英文法の用語や説明に引きずられている(と国語学者は言う)らしいですね。 >『日本語と西欧語(著:金谷武洋)』の30ページ右から七行目で、"これが見たい"は形容詞文、というようにおっしゃっています。 ⇒国語学者の見方ではそうなるらしいです。 どういうことかと言いますと、国語学者佐久間鼎氏によりますと、《本来の日本語文は「物がたり文」と「品さだめ文」の2つに大別される》と言うのです。 そして、これを受けて、同じく国語学者三上章氏が、《「品さだめ文」は、「性状規定(文)」と「判断規定(文)」の2つに分けられるが、このうちの後者「判断規定(文)」は別名「形容詞文」と呼ぶにふさわしい》と言うのです。なぜなら、《「たい」は、「うれしい」などの形容詞と活用の仕方や用法が同じで、しかも他の動詞のような自立語としての用法はなく、常に「見・たい」「聞き・たい」のように付属語として動詞に後置して用いられるからである》と言うのです。(国語学会編『国語学辞典』572ページ参照) ということで、金谷武洋氏の「形容詞文」という説明は、《生粋の国語学者的な用語法による定義づけ》ということになりそうですね。
お礼
- D-Gabacho
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質問者さまのお考えの通りだと思います。 希望の助動詞「たい」の活用は形容詞と同じタイプではあるものの、ことばの意味としては「見る」+「たい」に形容詞の要素はなく、動詞が形容詞化しているわけでもありませんから、これを形容詞文とするのは理解できません。
補足
回答ありがとうございます! ちなみにですが、もし筆者が単なるうっかりミスでなくある種積極的に"これが見たい"を形容詞文と表現したとします。そのような場合、どのような意図があると思いますか? 形容詞文として"この家が欲しい"という例文がその著書の同じ場所に出てきます。例えばですがこれを同じ類の単語として金谷氏が認識してる可能性はありますか? 筆者の経歴から考えて"見たい"という単語が形容詞ではないことは理解していないとは考えられないので追加で質問させていただきました🙇♂️
- f272
- ベストアンサー率46% (8468/18130)
見たいというのが形容詞(のようなもの)であるはずがありません。 あなたのお考え通りだと思います。
補足
回答ありがとうございます! ちなみにですが、もし筆者が単なるうっかりミスでなくある種積極的に"これが見たい"を形容詞文と表現したとします。そのような場合、どのような意図があると思いますか? 形容詞文として"この家が欲しい"という例文がその著書の同じ場所に出てきます。例えばですがこれを同じ類の単語として金谷氏が認識してる可能性はありますか? 筆者の経歴から考えて"見たい"という単語が形容詞ではないことは理解していないとは考えられないので追加で質問させていただきました🙇♂️
お礼