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山縣有朋が口にした「太平洋戦争」とは?
原敬総理が暗殺された時、山縣が西園寺に「太平洋戦争で師団を出してる時に大本営がやられたようなもの」と言い後継を要請したそうですが、「太平洋戦争」という語は、日米戦争を想定して大正時代に一般的に使われていたのでしょうか?
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国会図書館デジタルコレクションで「太平洋戦争」をキーワードに検索したところ、原敬暗殺事件のあった大正十年前後の著作にも日米戦争を想定して「太平洋戦争」を使用したものがいくつかありました。 ルドルフ・キエレン著、長田新訳『現代の八大強国』(大正7年) p259-260「太平洋方面に於ける合衆国の発展は、前世紀に於て暫らく中止せしも、合衆国がハワイとフィリピンを領有せることは、此等の地点に於て地理的優越権を有するが如き観ある日本との衝突を早く既に胚胎した。然しながら斯く如きは風雲すでに地平線上に行き交ふ、重大なる世界歴史的意義ある太平洋戦争の一面にすぎぬ。」 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/955596/1/145 ヘクトル・バイウオーター著、海軍軍令部訳『太平洋海権論』(大正11年) 目次 第十章 太平洋戦争予想状況 p212「万事を武力を以て解決すべしと言ふ日本の政略権謀家は米国の両艦隊が合同する以前に急襲与ふべしと言ふなるべし(中略)宣戦布告の前後に於てパナマ運河閉塞は可能にして之が為に大西洋艦隊の来り合すること五六週間遅延し為に米国の最高作戦計画に大齟齬を来すを得べしと。若し米国艦隊が常に一隊となりて両洋に遊戈し居らんには斯かる大言を発するものなからん。兵力のかかる強大なる集中は正に太平洋戦争熱の解毒剤たり得べし。 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/942269/1/110 藤井武『創造』(大正12年) p395-396 「…英国又は我国に於ける労働者の大騒擾、太平洋戦争勃発の危惧、其他全世界に亘りての思想の混乱等は何を意味するのであるか。」 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/971055/1/202 大正7年の著作にすでに「太平洋戦争」が使われていること、大正11年出版の著作に「太平洋戦争熱」という、ある種のブームとなっていたらしい表現が使われていることからみて、大正10年11月の暗殺事件ごろには、かなり一般的なことばになっていたのではないでしょうか。
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- ithi
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明治末期に帝国国防方針で陸軍はロシア、海軍はアメリカを仮想敵国として戦力の整備を行っている。大体10年位で改定されていたようですから、仮想敵国の順位は変動しますが、それ程、位置の変動はないみたいですよ。この頃から、すでにアメリカとの戦争も日本か考慮していましたね。軍令部も想定した作戦を考案していましたね。 山県と西園寺は元老ですから、どんなことになるかという事をいち早く考える人たちなんですね。詳細は下記のURLを参照してください。 帝国国防方針 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E9%98%B2%E6%96%B9%E9%87%9D
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- nagata2017
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「アジアの欧米植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」という理念を掲げた。 植民地宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策で「大東亜戦争」は「太平洋戦争」へ強制的に変更させられた。 つまり 大戦後に作られた言葉のようですけど。 もうひとつNHKの番組では https://www.nhk.or.jp/archives/sensou/special/warmuseum/nenpyou/ 1941年 12月 太平洋戦争はじまる(日本がマレー半島とハワイ真珠湾を奇襲攻撃) これは最近作られた番組です。
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