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参勤交代の大名行列に女性は。
『東海道中膝栗毛』。 小田原宿での話ですが、「お大名のお国からお江戸入りの女中たち、駕籠をつらせて四五人づれ騒ぎ連れて来るのを見て」と、あります。 大名行列に女性はいましたか。 「入り鉄砲に出女」ですから「参勤」の場合には、目立たぬようにして、女性もいたのではないかと思っています。 よろしくお願いいたします。
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>大名行列に女性はいましたか。 いましたよ。 徒士(かちさむらい)の後にお駕籠が続きますが、このお駕籠には腰元が一緒に歩きます。 また、大名家関係者の女性(娘・正室・側室など)は幕府の許可を得てお駕籠で一緒に移動しています。 「入り鉄砲に出女」は、あくまで「幕府の許可を得ていない物・者」を取り締まるものです。 幕府の許可を得ていれば、関所でも駕籠を降りる事無く通行出来ました。
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- pri_tama
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何らかの事情で大名の女中衆が江戸や領地へ移動する事は有りました。 ただ、参勤交代の大名行列は既定の日に遅刻すると厳罰に処せられます。 (遅刻した南部重直は、蟄居閉門) さらに参勤交代は莫大な予算がかかりますので、余裕を持った行軍とは成りません。 その為、遅延すると人目が無い所では、駆け足で移動するなどの強行軍を迫られます。 (1日50Km以上も舗装されていない、山道をふく街道を移動する…。) さらに、事前に予約した本陣等の宿が遅延等で使えなかったり、他の大名とバッティングしたり、幕府の役人等が横取りするような事も有り、お殿様は兎も角、他のメンバーは野宿なんて事も…。 以上の理由(主に体力的問題から…。)により、女性は参勤交代の事前・事後に別に移動したようです。 (無理して体調を崩した女性を置いていく訳にもいかないので…。)
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね。多くの場合、それも遠距離の、関西以西の大名の「女性は参勤交代の事前・事後に別に移動した」と思います。 では、大井川より東の大名の場合はどうなのだろうかと、想像しています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「このお駕籠には腰元が一緒に歩きます」ということで、まさかと思って検索してみますと、飯田市の観光大名行列の場合がそうでした。 観光行事とは言え、かなり当時の様子に忠実なようです。 当時は、宿場に着いたときだけ整然とした行列をするのだそうですから、『東海道中膝栗毛』に書いてあるように、宿場では駕籠から降りて歩いたのでしょう。 質問して回答をいただけると、いろいろ面白いことに出合えますから楽しみです。