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参勤交代

江戸時代に行われていた参勤交代は、海外には事例が無かったと聞いたことがあります。大名にとっては、大変な費用負担だったのでしょうが、上手い仕組みだと感心しました。歴史の教科書には家光時代から始まった制度とありましたが、何かきっかけになったヒント、または類似の仕組みがこの時代にあったのでしょうか?

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  • jkpawapuro
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回答No.3
sabichine
質問者

お礼

ウィキペディアをチェックしていませんでした。起源自体は鎌倉時代のようですが、「慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利して覇権を確立すると、諸大名は徳川氏の歓心を買うため江戸に参勤するようになった。」というのが、直接的なヒントになったのかも知れませんね。確かに今でも、年始の挨拶とか、○○○幹事長の下に各地元の政治家が集まったりしますよね。納得です。

その他の回答 (2)

  • tpg0
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回答No.2

参勤交代の制度は、家光の乳母だった春日の局の入れ知恵だったと思います。 諸藩大名を散財させる目的と人質取りは女性でなければ浮かばない知恵だと思うからです。 その裏で、大奥を作り出したのも春日の局です。 家光も春日の局には逆らえなかったと思います。

sabichine
質問者

お礼

なるほど、世界にはない制度を作り上げた所以ですね。なっとくです。

回答No.1

何がキッカケとなったかはよく分かりませんが、経済的な面で大名の財力を抑制し、更には定期的に中央に顔を出させるコトで、信用創造をさせたとはよく聞きます。 参勤交代の周期も中央からの距離や交通整備などによって異なり、離島や辺境の方だったら年1回で、近くの方だったら年2、3~回行かなければならなかったそうです。 さらに面白い話ですが、参勤交代は権力のある人は権力誇示のためにそれだけ大きな行列にしなければならず、莫大な出費になるので行列は参勤交代の際、走って移動していたと聞きます。

sabichine
質問者

お礼

ありがとうございます。近い大名は年に2~3回というのは、それはそれできついですね。きっと大名組織の中に、参勤交代のための体制や役職があったのでしょうね。