参勤交代と遣唐使 野島氏への疑問
長文ですみませんが、日本史に詳しい方がいれば、見解を聞かせてください。
8月初めに放送された「林修の今でしょ!講座」に、東進の日本史講師、野島氏が登場し、参勤交代が制度化された理由と遣唐使が廃止された理由の解説をしていました。
○参勤交代が制度化された理由
→定説では「大名にお金を使わせて、経済力を削減するため」
→野島氏の解答は「大名達が参勤交代で、見栄をはりすぎてお金を使い過ぎるので、国力が弱くなるのを避けるために、人数などを制限する奉公のル-ルを決めた」
○遣唐使が廃止された理由
→定説では「航海が危険すぎる」
→野島氏の解答では危険を冒してでも行って200年以上続いていたのに、今さら危険というのはおかしい。「唐が衰退した」ことが理由で、その他には「唐・新羅の商船がたくさん来て商品が手に入るようになった」「日本も独自の文化を発展させていたからもう唐に行く必要はなくなった」など。
私は野島氏の意見には部分的には賛同ですが、全体としては賛同しかねます。
まず参勤交代について。
野島氏の解答には「そもそも何のために」参勤交代するのかが抜けていると思うのですが。
私は「将軍と大名の主従関係を再確認すること。戦時では軍役という奉公が相当するが、平時では参勤交代というあいさつに来させることでこれにかえた」がメインの理由と考えます。
野島氏は大名が好きで参勤交代したがっていたように表現されていましたが、参勤交代にかかる人件費や持参する献上物など、その費用は現在の5億円にも達したといいます。そうしたコストを、大名らが好き好んで負担したとは、どうしても思えません。
大名としては、「どうせ江戸に行くなら」、他大名よりも少しでも自藩のみかけを雄大に見せたいアピールは当然あるでしょうから、バイトを使って人数を多くみせるような小細工もしたかもしれません。その結果、必要以上に人数を増やすなという幕府からの注意もあったのでしょうが、それはどちらかというと枝葉のことであって、本質でははないのではないでしょうか?
※ただし定説となっている理由も、結果としてそうなったというだけで、本質ではないと思っています。
次に遣唐使の廃止理由について。
菅原道真が廃止を意見したことが有名ですが、野島氏のいう「唐の衰退」はもちろん明記されています。また「古代から何人もが渡航しているが、遭難で命を落としたり、海賊にあって命を落としたりしている」ことも明記されています。つまり航海の危険が明記されています。
遣唐使は危ないとわかっていたが、古代から何人も渡航していた、だから今さら危険を理由にするのはおかしい、野島氏は言ってましたが、ある程度時間が経たないと、たまたま危険だったのか、恒常的に危険なのかはわからないでしょう。道真の時期では過去18回も渡航していますから、過去の記録を総括し、トータルでみたらやはり危険だという結論になったとみるのが自然ではないでしょうか?
新羅使・遣新羅使による文化流入も、正直いって当たり前のことすぎて、今さら指摘になっていません。
「日本も独自の文化を発展させていたからもう唐に行く必要はなくなった」は、逆ではありませんか?
唐に行かなくなったから、独自の文化が生まれた、のでは?正確にいうと、今まで吸収してきた唐文化が、日本人の趣向にあったものに変質してきた(これが国風文化とよばれる)のでしょう。
例えばまず漢字の習熟度があがり、その先に、漢字を変形させた仮名文字が生まれたのであって、唐の影響を受けずに生じた独自の文化というものは皆無だと思います。
つまり野島氏の解答は、道真の上げた廃止根拠から、「航海の危険」だけをなぜか外しただけ、のような印象を受けるのですが。
お礼
専門的な回答ありがとうございます。参考になりました。