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大名の行列

江戸市中、特に江戸城周辺では登城する大名の行列同士・旗本の駕籠などがすれ違う事はままあったと思うのですが、その際に何か作法みたいなものはあったのでしょうか?

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  • 6dou_rinne
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回答No.1

行列がすれ違うときには駕籠の戸を引いてあいさつするのが礼儀たったようです。 ただし行き会う相手が御三家だったりすると面倒?なので大大名の場合は偵察を先行させて行き会うことのない様にしていましたし、小大名であれば行きあいそうになれば横道に逃げて、すれちがったりすることはめったになかったということです。 江戸城への登城の場合は、順番や時間が決まっていましたし、みんないっしょに江戸城へ行ったり、帰ったりするわけですから下乗所の周辺は混雑しましたが、頭をさげるくらいで特になにかしたということはないのではないでしょうか。

noname#30350
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 一般大名からすると御三家は煩わしい存在だったのですね。

その他の回答 (1)

  • yumihiko
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回答No.2

二階堂流平法の開祖・松山主水は熊本藩細川家に仕えていましたが、彼が江戸城に登城する細川家の行列の先頭に立って二階堂流奥義・心ノ一方(相手を金縛りにかける秘剣。催眠術の類ではないかといわれていますが、主水しか使える人間がいなかったため詳細不明)を使うと家格に関係なくその場のあらゆる大名家の行列がとまってしまい、細川家の行列のみ自由に動けたとか。 いわゆる剣豪伝説の一つではありますが(ですから話自体の真偽は措いてください)、江戸時代はきちんと大名・旗本各家の家格の高低が定まっていましたから、普通はもし登城の際に行列がかち合った場合は家格の順に動いていたことがこの伝説から伺えます。 すれ違いの際の作法はNo.1の方のお答え通りかと存じます。

noname#30350
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 面白い伝説ですね。 やはり家格は重要だったのですね。