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「宣んする」音読みに送り仮名がつくのに違和感

土井晩翠訳のホーマー・イリアスを読んでいますが、頻繁にみられる次のような表現が気になります。 たとえば、 しか宣んすれば人天の父クロニオーン之に聽き、 やがて地上に血の雨を灑ぎ愛兒を崇めしむ、 16歌457 ほかの個所で「センする」とルビの降ってある箇所もあるので、読みはこれでよいのだと思いますが、私の理解では、「セン」が宣の字にあてられた音で、そこにわざわざ「ん」の送り仮名を追加するのにすごく違和感があります。 古文ではこのような記述が普通なのでしょうか。 私の違和感をどなたかスッキリぬぐいさってください。

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  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (417/1292)
回答No.1

>古文ではこのような記述が普通なのでしょうか 土井晩翠は明治4年生まれですから、古典の影響は受けてますが、 古文では無いですよ、土井晩翠の言い回しと思いますが。 日本語自体の言文一致の表現が確立されていず、更に翻訳となると、手探り状態ですから、表現がギクシャクするのは、やもう得ないのでは、ないでしょうか。 土井晩翠が超古典を翻訳に、挑戦した熱意に感嘆します。 質問の主旨とは違う回答かも・・・

multiphlale52
質問者

お礼

ありがとうございます。返信遅くなりまして大変失礼いたしました。 時代背景のご指摘ごもっともだと感じます。私たちにとって当たり前のものである言文一致の表記もこの時代はまだ手探りの状態、表記の揺れも致し方なしと納得いきます。 ですが、昔も今も、中国由来の文字である「宣」は「セン」であるのは普遍の常識ではないのでしょうか。「セ」ん、とわざわざ送り仮名をふる感覚が理解できません。同じ16歌の中でも、ご自身で「宣スル」と表記した箇所もいくつかあるのは先述のとおりです。 この時代の送り仮名の振り方にたいするイイカゲン?さの他の例など見つけられたら、質問も今少し明確にできるかと思います。 ご返答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

noname#253068
noname#253068
回答No.2

普通ではありませんが、音読してみて下さい。「しか宣(せ)んすれば/人天の/父クロニオーン/之に聴き/やがて地上に/血の雨を/…」 格調の高い七五調になっています。 「イリアース」は吟遊詩人ホメロースによる叙事詩の名作。土井晩翠は和訳をする時、日本の読者が音読することを意識して、韻文に工夫をされたのでしょう。 さて、「宣」は古語では「宣(の)る」です。告げるという意味でこの字をどうしても使いたかった土井先生のこだわりが感じられますよね。

multiphlale52
質問者

お礼

ありがとうございます。 私が問題にしたかったのは、同じ歌の中でさえも、「宣する」と「宣んする」が並び立つ、送り仮名表記の揺れ動きでした。音はこの場合問題にしておりません。 私も土井晩翠さんの訳業を素晴らしいと感じており、より深くその日本語を味わいたく、このような質問をいたしました。

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