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薩摩藩と銃(大砲?)

凄くうろ覚えなのですが、幕末、薩摩藩がイギリス?にボゴボコにやられたことがあり、薩摩藩は、その銃(大砲?)の威力を身を持って知り、以後、その銃(大砲)を購入し、その後の戦いに勝った、という歴史なのですが、この事をご存知の方、概要でよろしいので教えてください。

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回答No.2

ちょっと気になる箇所がありましたので、調べてみました。 「薩摩藩がイギリス?にボゴボコにやられたことがあり」と書かれています。 確かに、鹿児島市街の1/10を消失するという甚大な被害が出たのは事実ですが、薩摩の迎撃も物凄く、イギリスか薩摩か、どちらが勝者であるとは言えないと思います。 イギリス艦隊7隻の内、1隻が大破、2隻が中破したほか、63名もの死傷者(旗艦ユーライアラスの艦長や副長の戦死を含む死者13人、負傷者50人内7人死亡)に及んでいます。 イギリスは兵を上陸させるどころではなく、勝利を諦め、鹿児島湾から撤退しました。  当時、世界最強を誇っていたイギリス海軍が撤退したことは、西洋を驚愕させました。 西洋は、この戦争をどう評価したか、興味が湧いてきますね。 wiki「薩英戦争」によれば、ニューヨークタイムズは、 「この戦争によって西洋人が学ぶべきことは、日本を侮るべきではないということだ。彼らは勇敢であり西欧式の武器や戦術にも予想外に長けていて、降伏させるのは難しい。英国は増援を送ったにもかかわらず、日本軍の勇猛さをくじくことはできなかった」と。 ニューヨークタイムズの詳しい記事は、下記ブログの「薩英戦争後の海外の反応は?世界情勢は変化した?」にあります。 大山俊輔ブログ ー 脳科学による習慣ハック・歴史・経済のサイト https://shunsukeoyama.com/anglo-satsuma-war 武器については、よく知りませんので調べてみました。 薩摩他西南雄藩は、グラバー商会を通じて、アメリカの南北戦争で使われた中古の武器を大量に購入したそうです。 グラバー商会は、幕府にも売りつけていますので、戊辰戦争では、両軍、同じような武器で戦ったのではないでしょうか。 Wiki「ミニエー銃」によれば、 「江戸幕府は幕末の元治元年(1864年)にオランダ製ライフル・マスケットを採用した。しかし当時は南北戦争が終結直後であったため、アメリカから余剰武器のエンフィールド銃が約5万挺も輸入され同時に幕軍に配備されたほか、佐幕派・倒幕派双方の諸藩も制式小銃として購入・運用した。戊辰戦争では幕軍も新政府軍も主力はエンフィールド銃で、戦跡から出てくるのはほとんどがプリチェット弾である。箱館戦争では、新政府軍の装備するスナイドル銃と連発式のスペンサー銃は全軍の5%にも満たなかった。箱館政府軍が武装解除した際に引き渡された装備の内訳は、エンフィールド銃(二ツバンド三ツバンド)1,600挺に対しスナイドル銃(元込め銃)107挺だった。」そうです。 「ミニエー銃」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%BC%E9%8A%83 イギリス艦隊の大砲「アームストロング砲」は、薩英戦争でも不発や、自爆事故が起き、薩英戦争後は、イギリス軍からお払い箱になったそうです。 そして、日本にも売払ったそうですが、実情は、あるサイトによれば、 「幕末期の日本で後装式のアームストロング砲がどれほどの活躍をしたのかは、学術的には未だ不明であるが、研究者間ではおおむね活躍には否定的な見解で一致している。」 とのことです。

tahhzan
質問者

お礼

大変、詳しく調査していただき、ありがとうございます。この説明を読ませていただき、何となく思い出しました。それは、この戦争によって、イギリスの力を思い知り、それまで推し進めていた攘夷を実現するのは不可能だと悟り、イギリスと仲良くしてイギリスから学ぶ道を選び、藩を発展させ、それで、倒幕の力を得ることが出来た、というものです。従って、薩英戦争によって、イギリスも痛い目に遭ったが、薩摩の方も人も土地もボコボコにやられて、西洋の力を思い知り、そして、災い転じて福となすのとおり、倒幕を達成した、というものです。これで、スッキリしました(笑) ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • rikimatu
  • ベストアンサー率19% (629/3297)
回答No.1

うろ覚えをざっくりいうと横浜辺りの生麦村辺りで薩摩藩主の父親の行列にイギリス人が乱入。それを切り殺したから国際問題になって薩英戦争になって負けてしまった諸外国は強いぜみたいな流れです。

tahhzan
質問者

お礼

ああ、生麦事件ですか(記念館は行きました笑)。なるほど。確かに、そのような流れでしたね。ありがとうございました。少し思い出しました。

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