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幕末の幕府財政。
文久2年の生麦事件で幕府は、イギリスに言われるままに10万ポンド(およそ25万両)の賠償金を支払っています。 さらに、イギリスが薩摩藩に要求した賠償金の2万5千ポンド(6万300両余)も薩摩藩に貸付とはいうものの幕府が支払っています。 この時期、幕府は外国から艦船を購入したり、さらに膨大な出費をともなう複数の自国船建造を命じたり、しています。 幕府財政は、厳しかったといいますが、実際はどうだったのでしょうか。 賠償金や艦船購入費用、長崎製鉄所他の建設費用などはどのように工面したのですか。 よろしくお願いします。
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noname#224207
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noname#224207
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お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに今の日本のように国債発行でその場しのぎ、累積残高は気の遠くなるような厖大な額という状況とは異なりますね。 それに実際、賠償金をポンと支払って、さらに新産業を興し(製鉄所建設)、艦船を購入するなどして軍備を整えるという前向きな政治を行っているのですから。 >莫大な借金を抱える公社や民間会社を救済する事も無く、財務省の役人や経済の専門家が居なくても回って行くシステムだったと言う事だと思います。 「回って行くシステム」、なるほど!うまい表現です。 そんな見方もできますね。よく考えてみます。