• ベストアンサー

長州藩

長州藩は、明治時代の基礎を気づいた藩で、ということは、幕府に反対していて、天皇を擁護する立場だというのが私の理解なのですが、「第一次長州征伐」で、孝明天皇の怒りを買ったという記述があり、混乱しています。禁門の変で、御所に銃を撃ったのが、第一次長州征伐の発端みたいですが、どういう歴史の流れか、どなたかわかりやすく教えて下さい。しかも、第一次長州征伐で長州を倒したのが薩摩藩となっていますが、長州と薩摩はともに明治時代を築いていますよね??最初は仲が悪かったんでしょうか??

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#180427
noname#180427
回答No.2

難しい説明は苦手なので、簡単に・・・。 仰るとおり、長州藩は勤皇には間違いないのです。 勤皇攘夷と言っても良いですけど・・・ 幕府を倒して天皇中心の国を作ろうと考えたわけです。 それに対して孝明天皇のお考えは、幕府と協力して、 この国を作ろうと言うものです。 いわゆる公武合体ですね。 会津は勿論、薩摩も最初はそうなんです。 孝明天皇の妹の和宮は将軍家茂の正室になりましたし、 孝明天皇は幕府にとても好意的なんです。 ですから京都守護職の会津容保などにも親しく声を かけられています。 ですから孝明天皇のお考えと長州の動きは違うのです。 孝明天皇がお怒りになるのは当然でしょうね。 今でも孝明天皇が長州寄りの公家に毒殺されたと言う話が出るのは そう言う背景があるからです。 孝明天皇が存命でしたら維新も別な形になっていたかもしれませんね。 最後に・・・そう言う事情ですから最初は仲悪かったんです。

monupage
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ございませんでした。ご回答ありがとうございます。いろいろな歴史の流れがあったのですね。とても興味深いです。

その他の回答 (3)

  • Verhalten
  • ベストアンサー率17% (36/201)
回答No.4

最初は攘夷だ開国だとお騒ぎしていました。 孝明天皇は異国人嫌いで有名でして攘夷を唱えていました。 そこで、長州や薩摩は異国の船目掛けて大砲を打ち込みます。 (薩英戦争と下関戦争) そこで薩摩は攘夷など出来るはずが無いと悟ります。 孝明天皇は公武合体で難局を乗り切ろうとしていました。 それを会津、薩摩藩は支持します。 しかし、長州は尊皇攘夷に拘り、八月十八日の政変で追放されます。 長州は朝敵とし第一次長州征討を受けます。 その後薩長同盟が結ばれます。 この時、急激に思想は公武合体から倒幕になるのです。 倒幕、大政奉還、王政復古と思想は大きく変化します。 第二次長州征討の時、薩摩藩は参加しませんでした。 孝明天皇は京都守護職の松平容保をとても信頼しておりました。 孝明天皇が崩御すると会津藩はいきなり朝敵になったのです。 京の治安維持にやっきだった新撰組もいきなり賊軍になったのです。

monupage
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ございませんでした。ご回答ありがとうございます。非常によくわかりました。

  • ennalyt
  • ベストアンサー率29% (398/1331)
回答No.3

坂本龍馬がどんだけ苦労して薩長同盟なり立たせたか。 図書館いって日本史の詳しい本手に取られたらいいのに。

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.1

禁門の変の様な武力衝突は、昭和初期にもあった。 その理論は 国の進む道が間違っている(=自分達が政治の主導権を握れない)のは、天皇が間違った考えを持つ側近に騙されている操られているからで、天皇を悪い奴らの元から救い出さなければならない。 正しい目的の為であれば、規則を破っても武力を使ってもその行為は正しい考えに基づくモノだから正しい行為である。 目的が正しければ、その手段は何でも良いという考え方。 最近の首長にも似たような考え方で、(さすがに武力は使わないけど)何でもぶっ壊せば良いという考えの人もいるようで、そう言った人々は明治維新を必要以上に理想化しているのは偶然の符合か? 薩摩対長州の点で言えば 日本という国で見た場合に、開国派もいれば鎖国堅持派もいる。 同様に、長州藩や薩摩藩といった各藩の中でも穏健な勢力や急進的な勢力がそれぞれに藩内の主導権を握ろうとする抗争があった。 同じ改革派と言っても人それぞれ改革の進め方や改革の目標地点が異なるし、同じ人でもその地位や立場によって考えが変化する事もある。 当初は比較的しっかりしていると見られていた幕府権力も、実際に事に当たってみれば中身はガタガタでスカスカというのが明らかになっていった。 そうなると、各藩も今までの様に何から何まで幕府の言うが侭という事にはならなくなった。 理想論を述べている頃には理想に反する事には反対しても、現実の政治を動かすためにはイヤな相手とも手を組む事も必要。 結構前に、野党に転落した自民党が与党に復帰する為の多数派工作で、「悪魔」とまで罵った相手に一転ひれ伏してお願いした「有力者」がいましたが、それ程までに権力というのはとても魅力的なのです。

monupage
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ございませんでした。詳しく教えて下さってありがとうございます。

関連するQ&A