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는지について
皆さまどうぞ宜しくお願いします。 以下はテキストの例文です: 방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했는지 結局言いたいことは、「苦労した」なのですが、主語がありません。 1)第三者を主語にして: 그 사람은 방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했는지 は自然な韓国語ですか? 2)는지を지にして 방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했지? は自然な韓国語でしょうか? 鍛上36
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1)~는지で終わる文章が第三者を主語として持ってても 普段自然です。 그 사람은 방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했는지も、 この会話が起こる状況ってどういう場合だろうとは思いましたが、 文章自体は自然だと思います。 2)~는지は辞書に「漠然な疑問を表す語尾」となっていますが、 連結語尾になる場合と、終結語尾として使用した場合がそれぞれあります。 終結語尾の場合は疑問符が付き、そのまま疑問文になりますが、 連結語尾の場合はその漠然な疑問に連携する何かの文章などが続きます。 「방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했는지」の文章だけ聞くと この는지はだいぶの韓国人に連結語尾の는지として認識されると思います。 なので、実は는지の後「몰라(知らない)」などが省略されている形になっていることでしょう。 こんな感じで「방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했는지」をいうと、 「自分が部屋探しにかなり苦労したこと」を相手に強調して言っているように見えたり、もしくは感嘆詞のように聞こえたり、自分で独り言をしているようにも見えたりします。 さて、 質問の「방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했지?」ですが、 文章自体は自然ですが 방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했는지の는지が 連結語尾だった場合の意味とはかなり違う意味になります。 ただ방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했는지の 는지が終結語尾だとしても意味が通じますのでこっちを考えてみましょう。 すなわち、これが「방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했는지?」 のような質問をする疑問文だとしたら、 방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했지? と結構近い意味になります。 但し、 방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했지?は 「部屋探しにどれだけ苦労した(っけ)?」(苦労の量を質問するのがおかしいかもしれませんがそれはおいといて) と、普通に友達や下の人間にできる形の隔てのない質問のしかたになりますが それに対し、 방을 구하러 다니느라 얼마나 고생했는지?は その는지の漠然さが機能するお陰か、 質問がもっと丁寧に聞こえる効果があります。 日本語だとかしら?だろうか?など、 漠然さを込めて質問する形がいろいろあると思いますが、 韓国語では終結語尾としての는지がそっちを担当する 語尾の一つではないかと感じました。
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。 こちらの質問の仕方が悪く、ポイントがずれてしまいました。すみません。 いったん締め切って、新たに質問させてください。 お時間ありましたら、また回答下さい。