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宗教改革がおこった背景、理由について

ルネッサンスと宗教改革をつなぐものは免罪符だったのでしょうか。 そんな「ひょんな」ことが宗教改革の発端だったということでしょうか?

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  • tyr134
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回答No.5

宗教改革は色々な面を持っているのですが,ルネサンスと結び付けるとしたら,やはり人文主義がキーワードになるでしょう。 ルネサンスの始まりは,ギリシア・ローマ時代の研究から始まります。 ギリシア・ローマ時代はキリスト以前の時代であり,故に中世以降支配的だったキリスト教的(カトリック的)世界観とそぐわない面が出てきます。 さらにこの時代,聖書研究も盛んに行われるようになります。 カトリック教会が使用する言語はラテン語です。 しかし,聖書はヘブライ語が原点であり,のちにギリシア語にも訳されていきます。 その次にラテン語という感じで,神の声は「翻訳」という作業事に歪められてきたのではないかとの疑いも現れてきます。 そこで,各言語や文献とのすり合わせや解釈の変更が試みられていきます。 この作業は,聖書を直接読み解く行為で,言い換えれば「カトリック教会を通さず,直に神の声を聴く」作業とも言えます。 また,それまではラテン語・ギリシア語・ヘブライ語が優れた言語であり,現地の民衆が使う言葉は一等低いものだとされていました。 ところが,ルネサンス期には現地語を見直す動きが起こり,現地語を通したキリスト教理解も進んでいきます。(ダンテの『神曲』は正にその集大成的書) 同時に現地語への翻訳という作業も進められていくことになります。 その延長線上にあるのが,ルターやカルヴァンに代表される「ピューリタリズム」です。 カトリック教会とピューリタリズムの違いは,「神との繋がり」を教会を通すか通さないかです。 カトリック教会のローマ教皇が「神の代理人」と言われる所以です。 一方のピューリタリズムは,教会ではなく聖書を通して個々人が神と繋がります。 この「聖書を通して」という点が重要で,これが出来るようになったのは,現地語の評価と各言語の聖書研究があったからです。 とまぁ,思想的な宗教改革としては超簡潔に纏めるとこんな感じです。 当然,宗教改革のきっかけや動機は1つだけではありませんし,カトリック教会とピューリタリズムの対立だけでもありません。 カトリック教会内でも喧々諤々議論が交わされてきましたし,今でも行われています。 宗教改革に限らず,歴史を色んな面で切り取って考察すると楽しいですね。

0407
質問者

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ありがとうございました。

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  • eroero4649
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回答No.4

それこそ本が一冊書けるくらいに単純な話ではありません。 綺麗事な話としては、まず「カトリックの堕落批判」というのがあります。カトリックというのは上意下達の組織なんですね。だけど各方面に色々と堕落していて、それに対する純粋な信徒や神父からの批判というのがそもそもありました。 また宗教改革つまり後のプロテスタントになる地方というのは今でいうとスイスやドイツ、オランダといった所になりますが、これらの地域というのは当時フランスやスペインやローマの植民地のような地域だったんですね。これらの支配に対する不満というのもありました。 ドイツは当時は神聖ローマ帝国になるわけですが、彼らの皇帝はドイツにはおらずローマにいて、しかもローマでのフランスやスペインとの政争に明け暮れていてドイツを顧みることがありませんでした。ローマに搾取されるばかりであることに、ドイツの豪族や庶民も不満を持っていたのです。 そういった中での「免罪符」だったわけです。お金を払えば罪が赦される。これは現代日本に例えると日本政府発行の免罪符を購入すれば刑事事件を起こしてもチャラになるということに匹敵します。人を殺しても、盗んでも騙しても免罪符を買ったら処罰されることがない。もしそうなったらやっぱり真面目な人なら誰だって「冗談じゃない」と思うじゃないですか。 当時のカトリックというのは現世にも大きな影響を与えていましたから、まさに政府発行の免罪符も同然だったのです。我々のお札やお守りを買うのとは全く感覚が違います。 そして、ローマカトリックの権威が落ちて影響力が落ちるということは、神聖ローマ帝国の名目上の支配下にあるドイツ諸侯にとっては、自分たちの力がついて独立もできるかもしれないわけですから、その宗教改革の力を利用しようというのも出てきますね。ローマの権威を使ったほうが得か、自分たちの力をつけたほうが得かなんてのがあるわけです。 このへんの力関係や各国の思惑なんてのは本当に複雑怪奇で、日本人に理解するのはなかなか難しいです。

0407
質問者

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ありがとうございました。

  • kappa1zoku
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回答No.3

今、「ソフィーの世界」という哲学の入門書のような本を読んでいますが、ルネッサンスが起った時代のことを書いています。 「トマス・アクィナスが死んで何年もたたないうちに、キリスト教単一文化がひび割れしだした。哲学と科学は教会の神学から少しづつ離れていき、これにあわせて宗教も理性にたいして自由な態度をとるようになっていった。」 「宗教と科学の関係がゆるやかになったおかげで、新しい科学の方法と新しい信仰のあり方が生まれた。こうして十五・六世紀の二つの重要な革命、つまりルネッサンスと宗教改革の基礎がかたまった」 「ソフィーの世界」の著書は、ルネッサンス時代を用意したものを、三つあげています。 コンパスと鉄砲(火薬)と印刷物です。これに望遠鏡を付け加えてもいいでしょう。 つまり、キリスト教会が権威づけていた神話的な世界が、色あせてきたということでしょうか。 免罪符売買も十六世紀の半ばころにはカトリック教会でも禁止されていましたから、免罪符だけの問題ではありません。 むしろ、「神の前には万人は平等だ」と唱えたルターの考え方にあり、また印刷技術の発達により、ラテン語以外に翻訳された聖書(自国語の)が広く出回ったことが大きいのではないでしょうか。 やはり、人間中心主義とも言うべきルネッサンスのエネルギーが宗教改革までの道程を作ったと思います。

0407
質問者

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ありがとうございました。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

1。ルネッサンスと宗教改革をつなぐものは免罪符だったのでしょうか。  他にもいろいろあるでしょう。  https://manapedia.jp/text/61 2。そんな「ひょんな」ことが宗教改革の発端だったということでしょうか?  金を出せば天国へ行けるという金儲け手段ですから、ひっかかるのはあながち「ひょん」でもなかったのでしょう。  日本でも「真言宗旨の安心は、上根下根の隔て(=貧富の差)なく」と和讃で言った空海が開いた高野山の墓地を見れば「地獄の沙汰も金次第」です。  また仏教の宗旨によれば今でも余分にお金を出せば、位牌に「院号」がつけてもらえるという一種の免罪符があります。  https://www.y-history.net/appendix/wh0903-005.html  

0407
質問者

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ありがとうございました。

  • mpascal
  • ベストアンサー率21% (1136/5195)
回答No.1

「16世紀(中世末期)のキリスト教世界における教会体制上の革新運動である。贖宥状に対するルターの批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、ローマ・カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した。」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E6%94%B9%E9%9D%A9#:~:text=%E5%AE%97%E6%95%99%E6%94%B9%E9%9D%A9%EF%BC%88%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B%E3%81%84,%E3%81%AE%E9%9D%A9%E6%96%B0%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B4%96%E5%AE%A5%E7%8A%B6

0407
質問者

お礼

ありがとうございました。