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イギリスの宗教改革
イギリスの宗教改革はルター、カルヴァンがやってたのと関係ない、別もの、と考えていいですか。同じ「宗教改革」と呼ばれてますが。 ピューリタンとしてイギリスに及んだものとは関係ないものですよね? 同じ「宗教改革」と呼ばれているのに関係がわからないのです。
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イギリスの宗教改革は,少し複雑な経緯を辿っていますね。 NO1の方の回答にあるように,ルターやカルヴァンの宗教改革は教義上の問題でした。 端的に言うと,カトリック教会は教会を通じて神と繋がるとしていたのを,個人個人が神と直接繋がっているという発想に転換したわけです。 一方,イングランドの宗教改革はヘンリー8世が愛人と結婚したい為に王妃と離婚をしたいと申し出た事からはじまります。 それに加えて,経済的・政治的な理由として王権強化のためにローマ教皇の影響力を弱めようと画策していきます。(王権神授説の否定) 具体的には,国内のカトリック教会を廃止し財産の没収を行いました。 そのヘンリー8世の後を継いだエドワード6世が,プロテスタント的な教条に署名し,一度はプロテスタント側へと傾きました。 ところが,そのあとを継いだブラッディ・メアリーことメアリー1世がカトリックの教義へと戻します。 これでカトリック復活かと思いきや,彼女の後を継いだエリザベス1世が再びイギリス国教会中心の宗教政策をとりました。 さて,このイギリス国教会なのですが,実はプロテスタントではありません。 教義的にはほぼカトリック教会を受け継いでいます。 違いとしては,教皇権を認めず最高統治者をイングランド王と定めています この時,一度はプロテスタント運動が盛んになりました。 当然,イギリス国教会はプロテスタントではないので対立することになります。 また,イギリス国教会内部でもプロテスタントにシンパシーを感じている人々(ピューリタン)が教会内部から改革を試みます。 そして,イングランド王家の権力が弱まった隙を付く感じで二度のイングランド革命が起こりました。 そして名誉革命により「権利の章典」が採択され,王権は制限される事になりました。 もう少しざっくりまとめると, プロテスタント諸派の多くは大陸であり,英国内でもプロテスタントに傾倒する者が現れていた。 ところが,王権が宗教を握るという政策の為にイギリス国教会がローマ教会から独立。 但し,教義的にはプロテスタントに傾倒するのではなくて,カトリック時代のものを継承。 ただ,王権との対立等で教会内にもプロテスタントに惹かれる者がおり,彼らをピューリタンと称した。 イングランドのプロテスタントやピューリタンは迫害から逃れる為に,メイフラワー号で新大陸アメリカに渡ったものが多数いた。
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- SPS700
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1。イギリスの宗教改革はルター、カルヴァンがやってたのと関係ない、別もの、と考えていいですか。 ルターのは贖宥状に対する批判だったのに比べイギリスのは王の離婚問題がきっかけだったのは違いますが、カトリック教会から離別した点では同じです。 https://www.y-history.net/appendix/wh0903-048_0.html 2。ピューリタンとしてイギリスに及んだものとは関係ないものですよね? これも見方によりますが、まあ究極的には、イギリス教会に容れられず宗教的避難民としてアメリカに行った訳ですからあながち無関係とも言えないと思います。
お礼
ありがとうございました。
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