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宗教改革者

Martin Luther(1483年11月10日 - 1546年2月18日)は宗教改革者として授業を受けました。 真言宗,天台宗は措いて、 日本仏教でも多くの宗派の契機になられた方々がおられます。 法然上人,親鸞上人,道元上人,日蓮上人,そして一遍上人。 【質問】 この方々も宗教改革者なんでしょうか? 従来の宗教の批判と改革のために新たな教えを起こしたのでしょうか? 強烈な批判や改革ではなく、単に自己の思いでの教えの布教や展開だったのでしょうか?

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  • ks5518
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回答No.2

本題に入る前に2点ほど確認の意味で書いておきます。 1.『宗教』という言葉自体は、幕末から明治の初期に英語の『Religion』を日本語表記にするために作られた言葉であり、仏教をはじめ神道、キリスト教などを一括して表す言葉です。 2.鎌倉時代と現代では、根本的に『僧』の在り方が違います。違いすぎると言っても過言ではないでしょう。比叡山といえば、現在の東京大学 法学部に値するもので、その能力についてはエリート中のエリートです。そして、質問に上げられている方々の多くは、その比叡山に籍を置いた、もしくは修学をされた方々だということです。 【本題】 >法然上人,親鸞上人,道元上人,日蓮上人,そして一遍上人。 >この方々も宗教改革者なんでしょうか? >(1).従来の宗教の批判と改革のために新たな教えを起こしたのでしょうか? >(2).強烈な批判や改革ではなく、単に自己の思いでの教えの布教や展開だったのでしょうか? 日本仏教史上において、、、 ◆法然、日蓮の法門は鎌倉時代に広く用いられた宗派です。法然は『南無阿弥陀仏』の念仏を、日蓮は『南無妙法蓮華経』の題目を唱えました。そういった意味においては、(1)の改革者です。 しかしながら、法然の説く称名念仏は法然の勘違い(経文の見落とし)から生まれた法門で、仏教の本義ではありません。したがって、それ以降の念仏の僧等についても同様であるといえます。 ◆親鸞、一遍においては、法然の説いた念仏を根本としていますので(2)にあたります。 親鸞は、法然の弟子ですので、基本的に真新しい事はないでしょう。多少の独自の解釈はあると思いますが。 ◆道元においては、『禅』というそれまで日本には無かった思想概念を持つ仏教思想で、鎌倉時代に展開されたものであるため、(3).『新規』の仏教という事でしょう。また、禅は北条時頼等の帰依により擁護されていました。 このような分類になるかと思います。 ちなみに、日本天台宗は最澄が中国天台宗に修学し、後に比叡山に開山しましたが、第三代座主円仁により真言密教を取り入れてしまったためそれ以降純粋な天台の教義は存在していません。

krya1998
質問者

お礼

仏教史についての該博なご知見のご披歴ですがどうも私の質問には正面からのご解答にはなっていないように見受けられます ありがとうございます。。

krya1998
質問者

補足

今、自分の言葉に執着することなく読み直しました。 親鸞にしろ道元にしろ敢えて従来の仏教の批判とか改革ということではなく、ただ教えの普及というあり方だったのですね。 これは日本社会の性格性や彼ら仏教者の人格という事とともに日本人の心性として、争わず共存していくということの現れでしょうね。 数波に亘っていろんな種族民族が列島に来ましたが、戦争をして滅ぼしていく過程はすくないですよね。この列島の人はそういう同調棲み分けしていくことを選ぶ人たちなんでしょうね。 免罪符のようなルターの批判になるようなものもなかったし。 ありがとうございます。

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その他の回答 (4)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.7

krya1998様、こんばんは。 「信教の自由」と、その限界、という立場からすれば、 教義が・・・いずれが正しい??といった問題には、立ち入らないのです。 ただ、「他者の人権を侵害するような行為は、許されない」というだけです。 ・・・昨今の「3〇(〇ダルト)ア〇メ」の展開は、目覚ましいものがありますね。

krya1998
質問者

お礼

ご訪問とメッセージに感謝申し上げます。

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回答No.6

 (あ) 宗教は あくまでひとりの個人たるわたしの問題としての信仰から――ヒラメキをとおして――得られた直観ないし観想を 人間の言葉で表わしこれをオシへとしたところから 一般に始まります。  (い) したがって 《宗教の改革》と言えば けっきょくのところ 元の・個人の主観内面における信仰の問題に立ち還ること ここに行き着きます。  (う) その信仰の――宗教のオシへやヒエラルキア組織から自由な――信仰そのものとしての復活が 成らなければ 改革とすら言えない。こう考えます。  (え) 日本仏教については――あるいは世界のブディズムにあっても―― この意味での宗教改革者は 親鸞ひとりのみです。  (お) たとえば 神ないしブッダを あたまの中の観念(または 概念や理念としての義)である想像の産物としての神ないしブッダから解放しました。  (か) たとえばつぎのようです。:    ▼(親鸞:義なきを以って義とす) ~~~~~~~~~~~~~~~~  1.(親鸞の書簡:末燈抄・十) 他力と申し候ふは とかくのはからひなきを申し候ふなり。  2.(同上) 仏智不思議と信ぜさせ給ひ候ひなば 別にわづらはしく とかくの御はからひあるべからず候ふ。ただ ひとびとのとかく申し候はんことをば 御不審あるべからず候ふ。とかくの御はからひあるべからず候ふなり。  3.(同上:九) 他力には 義なきを義とするとは申し候ふなり。  4.(歎異抄・十) 《念仏には 無義をもつて義とす。不可称・不可説・不可思議のゆゑに》と仰せ候ひき。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (き) ★ 従来の宗教の批判と改革のために新たな教えを起こしたのでしょうか?  ☆ 《オシヘ》は 考えるものであって 信じるものではない。したがって 信仰について分かりやすく説明するためにその説明としてのオシへを述べたかも知れませんが オシへを起こしたわけではないと考えます。  (く) それでも オシへとして受け取られたとすればそれは 次のふたつの事情がかかわっていると見ます。   ( a ) それまでのいわゆる仏教におけるいわゆる仏典の研究としての教学は もうオシへとしては要らないと言うために述べたことが たしかにそれは《あらたなオシへ》と受け取られてしまった側面はある。   ( b ) じっさい親鸞じしんも けっきょく師匠の法然を悪くいったり批判したりすることはさすが出来かねたようです。あるいはつまり ブディズムという枠組みを 実質的に出てしまっているにもかかわらず 表向きの表現としては ブディズムの枠内にとどまっているかたちを採った。  (け) つまりは いわゆる伝統を全面的にやぶるといったことは成し得なかったものと見られます。もしくは その時代の風潮にかんがみて 仏教の破壊といった路線を採らないほうがよいと見たのだと思います。  (こ) しかしながら すでにじゅうぶん《神は 無根拠を根拠とするナゾの何ものかだ》という信仰の核心について到達したし そう述べていると考えます。

krya1998
質問者

お礼

bragelonne さん、ありがとうございました。 ご見解に賛同します。 Infinite、無根拠を根拠とする。まさにその通りですね。 ”伝統を全面的にやぶるといったことは成し得なかったものと見られます。もしくは その時代の風潮にかんがみて 仏教の破壊といった路線を採らないほうがよいと見たのだと思います。” ずぅっと師を師として敬い、仏教の破壊は無論していない。これは日本人の心性としての他者の破砕をしない、同調の態度同和していくということでもあるのでしょうね。だから親鸞もやはり従来の仏教を否定、改革はしていない。しかし内容は従来の仏教を出ているということですね。 ご知見のご解答に感謝申し上げます。

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  • yoruaru-q
  • ベストアンサー率17% (476/2703)
回答No.3

ルターの宗教改革はざっくりいって「聖職者たちが手書きでうつした少数聖書を独占していたが、技術革新により聖書が印刷できるようになったのでみんなの宗教にしようとした」ということ。 その後「王様が独占していた国の権利を、みんなの権利にしようとした」フランス革命に影響を与えました。 また、宗教改革の影響からプロテスタント(=改革がきっかけで元気になった人たち)がイギリスにも入ってきて、カトリック(もともと教えを独占していた側の人たち)がところてん式にアメリカ大陸に渡ったりしています。 たとえばその後の革命に影響を与えるなど、影響が大きい改革なので、中学の授業でも取り上げられます。 グーテンベルグによる活版印刷の発明は、単なる技術革新におわらず社会を変えて世界を変えるきっかけになったという前提のもと、「インターネットの登場」がよく印刷技術の発生と比較されたとえられたりします。 質問に関して。 日本でも「困っている人々が宗教でまとまって一揆や抵抗をした」という出来事は時代ごとにあったと思います。困っている人々(食べるものがないとか、自然災害にに苦しんでいるなど)を助けるために布教をしていたということもあると思います。 ですが、活版印刷から革命を作りだすほどの力にはなっていないのではないかなと思います。

krya1998
質問者

お礼

ご訪問とご解答に感謝申し上げます。

krya1998
質問者

補足

日本の一揆と欧州の革命との違いですね。 印刷技術や権力や知を独占していた人の移動と変化という事情と相互に相乗的に働きあっての改革とは違っているんですね。 欧州の宗教改革の事情に関する深いご知見に感謝申し上げます。

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noname#211413
noname#211413
回答No.1

宗教改革が必要だったのかな? 宗派分裂で 対立を生みだしただけなのに・・ 「全人類の幸せ」が目的なら 宗教は一つで良かった筈・・ これからの時代は 分裂した宗教が 一つの真理で纏まり やがて無くなる・・ 全人類の幸せが実現すれば 宗教は不要なものなので・・

krya1998
質問者

お礼

そうでしょうね。 西洋の宗教改革は必要でなかったのでしょうね。ありがとうございました。

krya1998
質問者

補足

宗教改革が必要であったかどうかを含めての質問なんです。

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