- ベストアンサー
武士の心構えとは?藤堂高虎家訓200カ条と葉隠の比較
- 「藤堂高虎家訓200カ条」と「葉隠」は、武士の心構えをまとめた書物であり、それぞれの第1条には武士道の重要性が示されています。
- 鍋島藩士山本常朝は「葉隠」を唱えましたが、彼は「藤堂高虎家訓200カ条」の存在や内容を知っていたのかは不明です。
- 「藤堂高虎家訓200カ条」と「葉隠」の第1条には共通点も相違点もあります。共通点は、武士道や死ぬ覚悟の重要性です。相違点は、表現方法や文化背景によるものです。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
1 さあ。知っていたことを証明する資料は残っていないですね。将来的にどこかの蔵から「葉隠ってさ、あれ藤堂家のをパクったんよ」という手紙が出てくるかもしれませんけどね。 2 「武士(軍人)つうのはいつ死ぬか分からんので常にその覚悟を持て」ってことでしょうね。 日本軍のイメージキャラクターがソメイヨシノなのもそうです。「パッと咲いて、パッと散る」からです。逆にソメイヨシノは家紋には使われません。パッと散っちゃうから縁起でもないからです。 また、警視庁の特殊部隊であるSATは、動員がかかって現場に駆け付けるとき、隊員は必ず新品の白いシャツと白いパンツを身に着けるそうです。そう、「死装束」の心意気です。その覚悟を持って任務にあたるというわけですね。 3 そりゃあ、今川氏真でしょうねえ。 だって父親の仇である織田信長の前で蹴鞠やってるくらいですから。どこまでも「生き残ること」に執着しています。そのためには親の仇の庇護で暮らす屈辱なんて、屁でもありません・笑。 でも考えてみたら、多くの大名がロクな死に方をしていない戦国の世にあって、終わってみれば武田勝頼より信長より秀吉より生き残っています。戦国時代はどんなに身分が低くても己が才能でいくらでものし上がれたチャンスの時代ですが、生き残れるのはごく一握りです。そんな中で、しぶとくもちゃんと最後まで生き残りました。 私生活も、幸せだったようです。北条家の娘を嫁にもらっていますが、分かっているだけで5人の子供をこさえています。一人の女性にこんなにこさえている人はちょっと珍しい(北条氏康など、他にも稀にそういう人はいますが)。しかも一時期二人で北条家に身を寄せていますが、氏真が北条家から離れると奥さんもそれについていっています。このときにはもう今川家は滅亡していますから、奥さんは甲斐性なしの夫を見限って実家に残ってもいいはずです。その奥さんが亡くなると氏真も1年後に後を追うように亡くなっているので、よっぽど愛妻家だったのでしょう。 「愛妻家」というのも、戦国武将にあるまじきことですね・笑。
お礼
ありがとうございました。 1 山本常朝は、関ヶ原から100年後の人です。今でこそ、「佐賀県ってどこにあるの???」という印象さえありますが、幕末雄藩に名を連ねていますし、司馬遼太郎の小説「歳月」などでも、何もないがゆえに、学問を重視した藩風があったという印象が残っています。「知らなかったはずはない」という思いからの質問でした。「あの世」への準備というか、心構えで、読み終えた書籍は極力処分することにしていますので、三島由紀夫の「葉隠入門」も、今は手元にありません。条文を比較したかったのですが。 それにしても藤堂高虎って、「多才」というか、「異能」というか、「細かすぎるほどの配慮の行き届いた人」という、……武士でなければ、法律家としても名を残せたでしょうね。 2 戦争は知りませんが、少年のころ「同期の桜」を歌っていたような気がします。ノートに戦艦や飛行機の絵も描いて、同級生同士で自慢し合っていたし、戦後の少年たちの間では、むしろ「戦争色が強かった」という印象が残っています。これは何でしょうね。朝鮮戦争が日本を変えたのですかねぇ。 新品の白いシャツと白いパンツを身に着けるそうです。……新品の白いマスクが欲しい……。泣・泣 3 生き残れるのはごく一握りです。そんな中で、しぶとくもちゃんと最後まで生き残りました。……「今川という名門ゆえに、殺されなかった。」という気がするし、「足利義昭と同様、もう毒にはならない、殺す必要もなかった」という印象も持ちます。でも、現代に生きる自分に置き換えてもそうですが、誰もが「かっこいい」生き方、「らしい」生き方ができるわけでもないし、なんとなく、「そんな生き方があってもいいんじゃないか」という気持ちにさせるんですよねぇ。氏真って。 「愛妻家」というのも、戦国武将にあるまじきことですね・笑。 ……「優秀な後継者」を生産するためには、一夫一妻では心もとないということですかねぇ。恨めしい、否、うらやましい。笑